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第六話 御籤①

 後宮は新年を迎え、賑やかな日を送っていた。


 しかし皇帝が朝廷に出向いているため、後宮の政は滞っている。倭国との関わりが減る季節を迎えた通倭司は、尚のこと仕事がない。


 通倭司の司官は多くが朝廷の雑事に駆り出されており、残るは留守を任された者が数人と、雑事に駆り出していいものか判断がつかない倭国の人質「小文」だけであった。


 他の司官は片付けや掃除など、形ばかりの仕事をしている風を装ってはいるが、小文はただのんびりと窓から空を見上げている。そんな中、この暇な部署を訪ねてくる者がいた。


「明けましておめでとう、小文」


 倭国語でそう声をかけてきたのは、小文が以前働いていた東和宮の下女、小鳥であった。


「明けましておめでとうございます……どうしたの? 小鳥がここに来るだなんて珍しいじゃない」


 后妃の下女は特段用事がなければ勝手に外も歩けぬ身分。逆に言うなら、小鳥は何らかの用事があってここに来たということである。


「紫妃様からの手紙だよ」


 小鳥の持つ壮麗な紙に包まれた信書を見て、ああそっちかと小文は納得する。


 華国において「手紙」とは「手に持つ紙」、つまりはお手洗いの時に用いる紙を指す。個人からの文は「信」もしくは「信書」と呼ばなければ、大恥を書くことになる。


 今は倭国語で話しているため問題はないが、后妃からの信書を「手紙」扱いなどしようものなら、首が飛びかねない。


「手紙ではなく『信書』ね。小鳥」


 そう諭しつつ信書に目を送ると、宛先が通倭司宛てであった。小文は姿勢を正し態度を改める。


「紫妃様よりの信書、確かにお受け取りいたしました」


 この信書は小文個人宛ではない、通倭司宛ての「公書」である。儀礼に倣い正式に応じると、小鳥はぷっと吹き出した。


「すごい、まるで司官みたいじゃない、小文ちゃん」


 小文も通倭司の中では怠惰な方だと自覚しているが、小鳥のそれは怠惰を超えて無礼である。


 小文はそんな彼女のおおらかな態度を心の内で心配しつつ、少しだけ羨ましくも思った。それはつまるところ、彼女の働く宮――『東和宮(とうわぐう)』が、さほど厳しくない場所である証左であるからだ。


 侍女や下女に辛くあたる妃も多いと聞く中、紫妃は下女にさえ寛容であることがこのことからも分かる。


 だが寛容であるということと、慎ましいということはまた別である。この信書もまた、戯れに人を呼び立てるものではないか……この時の小文はそう思っていた。




「土曜の正午、訳を依頼したし。小文とそのお付きの者を東和宮に寄こすこと」


 朝廷より戻った通倭司の長は、その文面を見て露骨に顔をしかめた。


 後宮とは、皇帝の寵愛を受ける后妃たちの住まう場所であり、その権力は皇帝に次ぐものである。その后妃からの呼び出しであるならば、通倭司としては最上位の役職者、つまり陸子衡が向かうのが通例である。


 しかし、わざわざ「小文とそのお付きの者」とあるのは……司長である陸子衡を「お付きの者」として向かわせろという紫妃なりの冗談なのかもしれない。


 そう考えれば、司長が顔をしかめるのも納得がいく。小文の付き人扱いされて、相当不満なのだろう。


 それにしても、と小文は首を傾げる。東和宮にも通訳はいる。むしろ紫妃が両国の言葉を話せるのである。わざわざ訳を依頼するのはよほど難解な文章か、もしくは戯れではないか? と小文が考えるのも当然であった。


「……紫妃様から高く買われているようだな、小文」


「それならば侍女を辞めさせられたりはしないでしょう……昔から冗談のお好きな方なんですよ」


 小文も、表情は決して明るくはない。紫妃が優しい人柄である一方、「冗談」が好きなことも彼女は知っている。その冗談に何度からかわれたことかと、ちょっと苦い思い出がよみがえるのだ。


 いずれにせよ、后妃から呼ばれた以上断ることはできない。小文は訳者として、司長はお付きの者として、後日伺わなければならないことは確定事項であった。


 東和宮は華風の重厚な作りでありながら落ち着きある色合いをしており、過剰な装飾を避けた外観はどことなく倭の装いを感じさせる。


 土曜正午、東和宮の侍女頭に案内された小文と陸子衡は、いくつか門をくぐり、この宮の主である紫妃へ拝謁した。


「いらっしゃいな、陸子衡さん。そして久しぶりね、小文」


 華国の言葉で軽妙な挨拶をする紫妃は、二人を歓迎するかのように穏やかな笑みを浮かべていた。


 紫妃は淡紫を基調とした絹衣をまとい、肩から胸元にかけて施された金糸の刺繍と宝石の飾りは華美でありながらも、品よく抑えられている。その装いは、後宮における寵愛と権威を言葉より雄弁に物語っていた。


 陸子衡は深々と頭を垂れ、小文もそれに倣う。


「本日はご用命を賜り、恐悦至極に存じます」


 通倭司の長として何度と繰り返してきた型通りの挨拶である。しかしそれを見た紫妃はわずかに眉を寄せた。


「そんなに畏まらなくても結構よ。客人として招いたわけではないもの」


 その言葉にかすかに含まれる棘を司長が聞き逃すはずもない。しかし聞き返せるはずもなく、彼はただ深く頭を下げる。彼の様子を眺めていた紫妃は、ふと視線を小文へ移した。


「小文がそちらにお邪魔してから、どれくらいになるでしょう?」


 そして、紫妃はことさら無邪気な調子で付け足す。


「陸殿とは上手くやっていらっしゃるのかしら?」


「……」


 穏やかな問いかけだが、逃げ道はない。司長が言葉を探すより早く、小文が一歩前に出た。


「司長様には、仕事のうえで幾度も助けられております」


 控えめながら、はっきりとした声。それは事実であり、同時に場を和らげるための言葉でもある。下手なことを言って不興を買うわけにはいかないことくらいは、さすがの小文にも分かっていた。


「そうよねえ」


 紫妃は頷き、今度はどこか愉しげに微笑を浮かべる。


「小文は昔っから本当に融通が利かないもの。きっと、苦労ばかりかけているのでしょう?」


「……」


 冗談めかした口調ではあったが、やはり言葉のどこかに棘がある。今度は司長が応じた。


「倭国出身である彼女にしか担えぬ役目もある故、誠に頼りにしておりまする」


 額に浮かぶ汗を拭うことができず、司長は汗の雫が床を濡らさぬよう、顎を強く引いた。


 司長は、紫妃の元侍女であった小文を冷遇していると疑われているのではないかと身構えている。


 小文もまた、別部署に移されてから怠惰に過ごしていないか見咎められるのではないかと、胸を冷やしている。


 この奇妙な間に耐えられなくなった司長は、自ら要件を切り出して、この沈黙を破った。


「……それで、本日はどのような仕事をご依頼なされるのでしょうか」


 紫妃はふっと息を一つ吐くと、傍らから小さな一本の木の棒を取り出した。片側を削られたその表面には、細い文字で詩が刻まれている。


『雪下冒烟、慎心自守』。


 それを見た司長と小文の二人は同時に息を飲んだ。


 占い籤――倭国の言葉では「おみくじ」と呼ばれているものである。


「このおみくじを、それぞれ二人に訳してほしいのよね。私のこれからが書かれている、この詩を」


 口元に悪戯めいた笑みを浮かべて、紫妃は二人を見比べる。


「倭国人の私にも分かるように――倭国のおみくじとして、読める形でね」

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