第二十六話 起誓②
華国の港にある一部署で、港監の劉翔が一人の青年を尋問している。それに立ち会わせられた小文は、彼が茶碗を投げつけるのを見て、すぐに意図を理解した。
間者の尋問に使われるこの定番のやり口は、小文も知っている。
反射的に言葉を叫ばせ当人の母国語が何であるかを知るこの手法は、ありふれた手口であっても回避が難しく、だからこそよく使われるのである。
劉翔は茶碗を投げつけて熱湯を青年にかけることで、その手口を用いた……かのように見えた。しかし、実際のところは一点が違っていた。
「今お前に投げつけた茶碗に入っていたのは、熱い茶ではなく冷水だ。氷から溶け出たばかりの冷え切った水は、そうも『烫死』するものか?」
鍋から茶碗に注いで熱湯にみせかけてはいるものの、中身は冷水であった。それなのに熱いと叫ぶということは、この青年が事前にこの手口を知っており、逆手にとって反射的に華国語の悲鳴を上げることで劉翔を騙そうとしたのである。
「反射的に叫ぼうとすれば、茶碗に入った液体が熱いか冷たいかを判断する猶予はない。今のお前の叫びは本能的に出たものではなく、意図的に出したものであるという証拠だ。なぜそのような華国語を意図的に出した? それはお前が倭人であることを誤魔化したいからに他ならない」
劉翔の策は理路整然としていて一点の疑いもないように聞こえる。朝方の凍えるような寒さを利用し、凍った鍋を炉にかけ、溶け出したばかりの冷水をかけられるとは誰も想像しないだろう。この青年は見事にその策に騙され、思惑通りに「烫」と叫んでしまったのである。
だが、一つだけ言い逃れができる余地があることを小文は思い知らされる。もっとも、それはこの青年が……悪あがきをする性質の持ち主であればであるが。
「と……咄嗟に叫んだのは本当ですだ! いきなりそんなもんぶっかけられたら、熱いか冷たいかなんて分かるめぇよ! 反射的に熱いって叫んじまってから、ああこれ冷てぇなって思ったんです! 信じてくだせぇ!」
尚も粘りを見せ苦し紛れの言い訳をする姿に呆れたのは小文だけではなかった。
「……まだその下手な華国語で戯言を抜かすか」
劉翔はため息交じりにそう呟いた。先ほどまでの怒りは呆れに変わっている。
言い訳としてはさすがに拙いと小文も思わざるを得ない。劉翔は別に彼が倭国人である確実な証拠を得たいわけではない。ある程度疑惑を固めることができれば、それでいいはずである。
しかし劉翔は念には念を入れる性質であるのか、それとも確証を得る必要がどうしてもあるのか、首を傾げた後、小文に助けを求めた。
「小文、君の知恵を借りたい。この男が倭人である確証を得るために、何か質問をしてみてはもらえないか? そうだね……華国の者であれば誰でも知っているような言葉をこの男が知らなければ、立証できたと言えるだろう」
「……なるほど、それは確かに」
劉翔に協力するのは癪だが、これも仕事だ。それにこの男のあがきも、ちょっと往生際が悪いように思える。さて、ではどのような言葉であれば、この青年は素直に白状するだろう?
この男は東北の生まれを自称している。多少の語彙不足は田舎出身であることを理由に誤魔化そうとするだろう。だからこそ、東北の者でも知っている当たり前の言葉を用いなければ意味がない。
「当たり前……子供のころに誰しもが歌う、童歌のようなものであれば……」
そう言って、小文はこの青年の素性を思い浮かべた。彼は期貨取引を行うために倭国の商人と繋がっていたと考えられる。であれば、商人である、もしくは商人と深い関わりがある者であろう。
それなりに華国の言葉を覚え、話せるようになろうとも……倭国の商人は決して使わない言葉がある。商人同士では絶対に使わない、口約束なら。
小文はそう思い至ると、彼の目の前に手をやり、小指を差し出した。
「あなたは東北の出身であると、そう言いましたね。それは倭国の東北ではなく、華国の東北地方であると、嘘偽りはありませんか?」
「……も、もちろんでごぜえますだ」
「私としては、あなたのことを信じたいのです。……ですから、指切りげんまんをしましょう。嘘吐いたら、針千本飲んでもらいます」
華国語でそのように告げると、男は訝しながらも、納得したのか小指を絡めた。そこに迷いはない。怯えるような気配もない。ただよく分からないといった、不安げな表情だけがそこにある。
小指を絡め、彼は戸惑いを見せながらもそのままかすかに手を振ろうとするが、小文の手は動かない。共に振ろうとはしない。
「……嘘吐いたら、針千本のーます?」
男はどうしたらいいものかと、小文の言葉を復唱する。すると小文は劉翔の方をちらりと見た。彼はその物騒な言葉に、意外にも顔を青くしていた。
「なんだい、その恐ろしい言葉は? 僕より怖い拷問を思いつくとは、意外と君もこちら側だったりするのかな?」
小文は当然のように首を振った。それは劉翔の言葉を否定するものであると同時に、この疑いをかけられた青年が、ボロを出したことを指摘するものでもあった。
「小指を絡めただけでは、指切りげんまんはできませんよ。しっかりと続きをしてもらわないと。華国の者なら、どんな子供でもできることです。……倭国の商人であれば、そんな口約束をする機会はないと思いますけど」
小文の指摘が何を指しているのか、その青年は尚も気づかない。しかし、自分が何か間違いをしてしまったということは薄々察しているようであった。
商人にとって口約束など以ての外である。少なくとも紙に書いて証書とするのが当然で、場合によっては判を押す。それでも偽造されることを嫌い、厳重な契約の場合は紙を裂き、その上に判を押して互いに半分の紙を持って符合までさせる。
そこまでする彼ら商人であれば、『指切りげんまん』などする機会がなかろうとおかしくはない。大の大人が小指を絡ませ、そのまま「親指を合わせて」契約することなどあり得ないのだ。
……だからこそ、この青年は小指を絡めることしかしなかった。華国でのやり方のように、その後に親指を合わせることをしなかったのである。
「それに倭国と華国では歌も違いますしね。『嘘ついたら針千本飲ます』なんて、そこにいる性格の悪そうな港監でも考えないでしょう」
華国では、指切りげんまんはこのように歌うのである。
――指切りげんまん、百年経っても変わらない。
小文はふと余計なことを考える。そんな約束が叶うなら、私もいつか倭国に帰る日が来るのだろうか。もう一度、あの子に会えるだろうかと。
まぁ、実際のところは「百年変えることを許さない」といったきつめの言葉なのかもしれないけど、と小文は心の中でおどける。この辺りは訳し方で結構変わってしまうし、それは倭国の歌も同じだ。「針千本飲ます」を本気の脅しとして言っている人はまずいないだろう。
小文は改めて彼を、倭国の商人に通じていた男を見る。彼もまた、倭国からこの国に渡ってきた者だろうか。どのような事情があってここにいるのか。そんなことを考えると、そのまま見捨てるような事はしたくないという思いに駆られる。
ようやく自分の過ちに気づいた彼は、観念したかのように項垂れる。そんな姿を見た小文は一つ、劉翔にお願い事をすることにした。
「劉翔様、これで証明はできたかと思います。手間をかけさせた褒美として、この者を激しく拷問するようなことはしないと、約束していただけませんか。もし嘘をついたら……」
「……針千本飲ます、というわけだね」
小文は劉翔に手を差し伸べて、小指を一本立てた。そしてしばらく経った後に、互いに絡めた小指を、そのまま振って指を切った。




