第二十三話 暗語③
皇帝を彩る花々を集めたこの後宮には、中心となる七名の后妃がいる。もちろん紫妃はここに含まれるが、それ以外にも寵姫として数えられる者は数十名に上る。
彼女たちは下級妃と呼ばれ、この中から主上に声がかかるものがいないわけではないが、后妃は皇帝の好みで選ばれる以上に各出身地方の権力争いの側面が強く、皇帝もまたそれを理解している故に安易なお手付きはなされない……のは、小文が以前皇帝の寝殿を訪れたときに手を出されなかったが故の出した結論である。
ま、まぁ自分にさほど魅力がなかったという可能性もあるというか、むしろそうである可能性が高いのだろうけど、とにかくこの後宮の妃というものには派閥などが大きく関わっているのは間違いない……決して言い訳ではなく。
さて、ではなぜ下級妃なるものがあるのかというと、これはまず各地の勢力から人質として送られた者たちへの形ばかりの肩書、というのが理由として一つある。
さらに、華国により滅ぼされた小国の姫などもこの下級妃に入れられる。一段下の下級妃に属させることにより格付けをはっきりとさせるという側面が強い。
その他にも借金のカタとして送られた者、侍女や下女として働くには能力が不足している者、他に行き場がない者、孤児や江湖出身、あるいは妃がひそかに産んだ子でそれなりに美しい者など、ひとえに下級妃といってもここに来た理由は様々であった。
彼女たちに共通していることは、皇帝に必要とされているというよりは駒として置かれている側面が強いことである。朝廷や宦官あるいは各地方の部族、あるいは他国への貢物として下賜されることも多い。
なお、小文自身がここに属していてもおかしくはなかったが、彼女の場合は倭国という言葉すら違う地方であり、通訳付きという仕事が割り振られたがために肩書をつけるのが容易であり、妃とする必要がなかったことが大きい。倭国特有である公家武家制度を刺激しないためという理由も当然ながらあった。
骨壷を見つけてから一夜が過ぎ、翌日に司長と小文は通倭司を出て、その骨壷を手に東和宮へと向かっていた。その骨壷のあり方から、紫妃が関わっていることが考えられるためである。
「昨今宮中でもっぱら噂になっている下級妃は、一説には后妃の一人が帝以外の者となした子だと言われている」
道すがら司長は小文にそのように説明した。さすがに小文がすぐに信じることはなく、うんざりした顔を見せる。
「紫妃様に御子様以外の子がいたと? それはさすがに無理があります。紫妃様がご懐妊すれば、父親が誰であれ、その報は宮中に知れ渡るでしょう」
「だが、紫妃様がその下級妃と関係があると言ったのはお前自身だろう。それを噂と統合すれば、そのような結論になってしまう」
東和宮に向かう道を曲がり、小文は呆れたように言う。
「『紫妃様がこの壺と関係があるかも』と言ったのです。推量を現す副詞「可能」です。まさか「姑娘」と聞き間違えましたか? 紫妃姑娘なんて呼び方、私がするわけ……」
「あら、小文。それは私が姑娘ではないと言いたいのかしら?」
女性の年齢について触れることは国を問わず禁忌である。曲がり角の先で不意に姿を現した紫妃に、両者はその身を凍らせた。
「秋風が心地よくて、少しばかり外を散歩していたの。まさか途中で友人たちにも出会えるなんて、とても嬉しく思うわ」
東和宮の本殿にて、改めて上席に座った紫妃は、にこやかな笑みを浮かべて友人二人を迎え入れた。
その笑みに気圧されるようにして、小文は深く頭を下げる。まさかあんなところで紫妃に出くわすとは思わなかった。目論見がご破算になりかねない……危機一髪のところだった。いや、危機の最中か?
司長は小文よりも平伏し、もはや額を地面に押し付けんばかりである。
(小文、何をもってすれば許しを得られると思う……?)
(倭国には「切腹」なる、腹を切って自害するものがありまして……)
(それはなんと野蛮な……)
小声で相談する二人に、紫妃はにこやかに声をかけた。
「さて、文姑娘。今日は何か用があって訪れてくれたみたいだけれど、どうしたのかしら?」
秋風の冷たさに身体を固まらせた小文はぎこちなく笑みを浮かべると、先の話題を変えるにはもってこいと、すぐに本題を切り出した。
「は、はい! 実は、紫妃様に見ていただきたいものが……」
小文は手に抱えていた箱から例の白い陶器を取り出し、丁重に前に差し出した。
「これはどこから見つけたものなの?」
「瑶華庭園翠明閣、石段左下の奥に隠されていたものにございます」
小文が答えずにいると、司長が説明を買って出る。その言葉に紫妃はしばらくの間黙っていたが、小文が無言でいることを訝しながらも問いかける。
「……その骨壺がどうかしたの?」
「……やはり、ご存じですよね」
小文は一人呟くと、どうしたものかと肩の力を落とした。
「この小さな骨壺に亡くなった者の喉仏と歯を入れる宗派は、倭国で流行りの宗派のもの。いわゆる末法思想に基づいた宗派であり、貴族の間では未だ広がらない派にございます」
通常、骨壷は文字通り骨を納める壺である。であるならば、それなりの大きさでなければならない。しかしその宗派は骨壷を二つに分ける。体の骨を入れた大きな骨壷と、喉仏と歯を入れた小さな骨壷に。
「……ですが、今まさに力を伸ばしている武家の方々はこの宗派を取り入れているところも多いと聞いております。紫妃様の家はどのような宗派でしょうか?」
小文の声は震えていた。彼女はつまるところ、このように尋ねているのである。紫妃がこの骨壷を置いた者ではないかと。小さな骨壺は、倭国で今流行りの宗派でなければ使われないのだから。
「……なるほど。それで私に疑いを抱いてここに来たと」
紫妃はため息を一つ。
「かといって、それだけで私とその骨壺を結びつけるのは早計ではないかしら?」
「もし、紫妃様がこの骨壷を置いたのではないとしたら」
小文はもう一つの可能性を告げる。倭国で流行りの宗派の骨壷に骨を入れ、このような暗号文を用いて表沙汰にしようとした者が他にいるなら――
「その小さな骨壷を置いた者は間違いなく、いずれ紫妃様に罪をなすりつけようとするでしょう」
小文は二つの可能性を考えていた。一つは武家出身の名家である紫妃が関わっていること。もうひとつは、その紫妃を犯人に仕立て上げたいものがいること。
そして後者には心当たりがあった。劉翔である。彼が骨壷を用意し、宮中に噂を流し、武家の宗派の火葬を装って紫妃の関与を窺わせる――暗号が倭国人に解けるようにしたのは、小文が、通倭司が解き明かし、小文と紫妃の仲を疑わせること。
いずれも想像にすぎず、証拠のないことである。今の小文に断定できる程のものはない。しかし、もしこの骨壷を自分の手の届く通倭司に置いておこうものなら、今度はその疑いが小文にまで向けられるのである。
「――そう。ならこの件は私に預からせてもらっていいかしら? 決して悪いようにはしないわ……お互いにとって」
小文の内心の苦汁を見て取った紫妃は、骨壷を自ら預かることを申し出た。小文が抱えたままよりかはいいだろう。彼女もまた、そのつもりでこの東和宮を訪れたのであるから。
小文はいつかここで籤を見せられたことを思い出す。
『雪下冒烟、慎心自守』
しかし、雪が溶ければその下にある燻りは表に出てくるものである。再び雪の下に埋められるかどうかなど、小文は知る由もない。




