第十九話 謁見②
「……あなたはその違和感に気づいていると思います。倭国から送られた全ての信書――全ての文は一行三十七文字で言葉が切られぬように調整されているのです」
小文はこれまでのものと比較しつつ、そのように説明した。
動詞や名詞が行替わりの途中で切られぬよう、全ての文が調整をされているにもかかわらず、今回の国書だけが途中で言葉を切るように、行の切り替えがなされている――
小文が指摘したその一点が、これまでの全てと決定的に違っているのであった。彼女は国書から顔を上げ、静かに伊都を見据えた。
「これまで倭国より届けられた信書には、必ず一定の作法が守られておりました。改行の仕方はその一つです。ですが今回それが崩れているのはなぜでしょう?」
広間の空気が張り詰める中、倭国の使者をかたる者は目を伏せた。
「それは、わたくしが書いたものでは……!」
倭国語でそのような言い訳をする伊都。しかし通訳官は己の弁解を付け足して尚も言い訳をする。
「そのような作法は書き手によるところもあるでしょう。今回に限ってはその作法が守られていなかった、それだけのことにございます!」
「国書とは、国の意思を反映した確乎不動のもの。みだりに作法を変えてよいものではありませぬ」
小文はぴしゃりと、通訳官の「意訳」を退ける。
おそらく最初は読みやすさを意識した故のものだったのだろう。改行される際の言葉を調整し切りを良くする。それは次第に縛りとなり、作法にまで昇華される。もしくは呪縛と言ってもいい。
小文は一方で、これだけでは証拠にならないことも理解していた。
しかしこの改行の作法が守られていないということに、朝廷側が気づかなかったということは――つまりは過去の倭国からの信書を、朝廷側がしっかりと見る機会が得られていなかったことを意味する。
ならばこの国書に押された金印は、一体どのように用意されたものであろうか。
「それにこの作法だけではありませぬ。末尾に押された金印、この印影にも疑念がございます」
小文は追及の手を緩めない。さらに追い打ちをかけるように、新たな証拠を提示する。
「金は柔らかな金属にございます。幾度も押されれば縁はわずかに丸まり、刻みも甘くなりましょう。印影にもその歳月が刻まれるものにございます」
小文はこれまで見てきた倭国からの信書を思い浮かべる。
以前は紫妃の侍女であったが故に、全ての信書に目を通してきたわけではない。けれど、少なくともこの数年の信書には、通倭司の者として目を通してきた。無論そこに押された金印にも。
「今回の国書の印影には、その刻まれた歳月がないかのように思えます」
これら倭国からの信書は典書司により厳重に保管されている。その信書を朝廷側が直接確認できていないことは、先の改行の作法が守られていないことから明らかである。
(朝廷側の者は、むしろ私より優秀……見る者が見れば、このような作法はすぐに気づけたはず)
であるなら、この印は朝廷に保管されている、だいぶ過去の印影を基に複製したものであるに違いない。
「もしこの印が朝廷に保管されていた過去の印影から作られたものであれば、歳月による摩耗が反映されぬのも、仕方なきことであるかと」
小文はその言葉の矛先を、伊都から朝廷の者へと変えた。
「それでは何か、朝廷が金印を偽造したとでも申すのか! この痴れ者が!!」
宰相の王景元は堪らずに声を荒げた。
「朝廷を疑うとは何事だ! 己の身分を弁えよ! 通倭司の者ごときが、国家の威を貶めるつもりか!!」
宰相の言葉に、朝廷の者が数名ほど立ち上がろうとする。互いに顔を見合わせ、小声で囁き合う者もいる。
もはや後には引けない。元より後に引くことなど、小文にはできなかった。
「朝廷が偽造したなどとは一言も申しておりませぬ。しかしながら、印影の比較はするべきかと」
宰相の眉がひくりと動く。
「比較など不要! 倭国の不敬は明らかであろう! ここで断を下さねば、華国の威信は地に落ちようぞ!」
その強い声色には、焦りが如実に現れていた。宰相の怒声が広間に残響する中、玉座の上にいる皇帝は、おもむろに手を上げた。
「その国書を」
その簡潔な一言により、典書司の司官が小文に近寄りその国書を受け取る。同時に、司官は予め用意していた過去の倭国の信書を取り出して皇帝に渡した。
皇帝が国書を手に取ったことに、誰もが再び静まり返る。
しばしの沈黙の後。
「……確かに差異があるように見えなくもない。後で目の利く者に確かめさせるとしよう」
皇帝は国書から目を離さぬまま続ける。
「朝廷の司官は保管されし過去の印影を持て。典書司に検めさせる」
この場の裁定は下された。しかし、宰相は納得がいかないのか、この後に及んで尚も食い下がる。
「お待ちくだされ! その通倭司の小娘は、元はと言えば倭国の人質。そやつは帝を誑かし、倭国の益となるよう企んでいるのでございます!」
「この者を信じるか否かは、印影の比較が済んでから考えればよいではないか。王景元、なぜそこまで頑なになる?」
「異国の者の讒言に耳を貸し、朝廷すら疑うとは――陛下は乱心されたか!!」
その一言は、臣下の一線を明確に超えるものだった。
宰相は周囲の朝廷側の者に目配せした。その動きが事前に仕組まれていたものであることは誰もが察する。
「奸計に惑わされる帝を戴いては華国の権威は地に落ちよう! 忠臣は今こそ陛下を『お救い』するのだ!」
おそらくそれは、宰相がいざという時に備えた「誅殺」の合図であっただろう。宰相は袖を振り払い、声を張り上げる。しかし、その声に呼応する者はいない。
「何をしておる! 盧景! 伯倫!! このままではお主らにも害が及ぶぞ!」
その名を呼ばれた者は目を背け、他の者も矛先を向けられまいと顔を伏せる。
気丈に一人振る舞う宰相に、皇帝は情けをかけるかのように言葉をかけた。
「――もうよい。この者を捕らえよ」
その一言に、近衛兵が足音を響かせる。素早く宰相の元に近寄ると、そのまま腕を捩じ上げ、大広間の外へと引きずっていく。
この場にはその衣擦れの音のみが響く。誰一人として言葉を発しない。その沈黙こそがこの場の終演を現していた。
宰相、王景元の胸中には、元より二つの道があったという。
一つは皇帝が倭国との戦を決すること。その時は戦の大義の裏で軍政を掌握し、今以上の権力を手にできる。
もう一つは皇帝が戦を避けること。その時は弱腰を理由に臣の不満を煽り、皇帝を国威を損なう者として退ける。
いずれに転んでも実権は己の手に収まる――そのように考えていたようだ。
だが国書の偽造が白日の下に晒された瞬間、その構図は崩れ去った。
いや、「晒されようとした」瞬間か。
「通倭司が司官、文。此度の査問、見事であった」
朝廷側の多くの者が、宰相と共に近衛兵に連れていかれる中、皇帝は小文に声をかけた。
「おそらく奴は、余を討つための兵士をこの正殿近くに潜めていたのだろう。そうでなければ、先の発言は整合性が取れぬからな」
だが査問の劣勢により朝廷側の一部は王景元を見限ることとなり、争いは最小限に抑えられた――そのような評に小文はただ頭を下げ、淡々と答える。
「全ては帝の御慧眼の賜物でしょう」
その言葉を額面通り受け取るほど、小文も幼くはない。おそらく今回はこの査問を口実にした、朝廷側と後宮側の争いを表面化させる一件だったのだろう。
査問自体はその要因の一つにすぎない。その裏で大小様々な策謀が蠢いており、結果として王景元は己の意を通すことができなかったと小文は考えている。
殊勝な態度の小娘に、皇帝はふっと笑いを零した。
「一つ聞いておきたい。この国書に押された金印の印影――これが偽造であるとはどれほどの確信をもっている?」
「……下官である私は、常に細い綱渡りを強いられております」
「つまり、良くて五分五分、あるいは大言の類であったと考えてもいいのだな?」
小文は答えない。自分は、自分のできる最善を尽くしただけである。
「いずれにせよ見事な働きであった。何か褒美を取らせねばなるまいな。何か望むものはあるか、小文」
「……」
小文はしばし考えた後、差し出がましいと思いつつも、一つ願い出た。
「……あの伊都という者の命を、お助けくだされば幸いにございます」
小文はかの巫女、伊都の命を懇願した。
おそらく彼女は王景元によって買われた倭国の奴隷であり、彼女はあの道を選ぶ他なかった不幸な者。帝に逆らう意など、今後生涯決して持つことはないでしょうと、小文はそう説明した。
皇帝は一度眉をしかめた。己を騙そうとした者を許すなど自分の威にかかわる。
しかし、自分が褒美を取らせると言った手前、何より他の後宮の文官たちも耳を傾ける中で、それを反故にもできない。
「……よかろう。あの者の命だけは奪いはせぬと約束しよう」
その一言により、小文の表情にようやく笑みが戻った。




