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第十八話 謁見①

 謁見の儀当日。朝廷正殿には、文武百官が静かに列をなしていた。


 高く聳え立つ朱の柱は夏の強い日差しを受け、光り輝いているかに見える。天蓋の下、玉座は一際高みに据えられているが、その威容さえ今日ばかりは張り詰めた空気に包まれていた。


 玉座から見て右手には、朝廷の重臣たちが居並ぶ。紫袍をまとった宰相の王景元を筆頭にその配下たちが整然と並び、その表情は一様に硬い。だがその裏には幾度も政を動かしてきた自負がにじんでいる。


 対して左手には、後宮より参じた中書官や内廷の官人たちが控えていた。


 両陣は互いに言葉を交わすこともなく、ただ静かに向かい合っている。同じ殿内にいながら、空気が二つに分かれているかのようだった。


「靖帝陛下、御出座にございます」


 儀式を司る典礼官の、穏やかかつ明確に響く声と共に、皇帝が姿を現した。


 儀礼用の黄衣をまとい、陽を受けた絹が柔らかな光を返している。衣擦れの音が波のように広がり、百官たちは一斉に頭を垂れた。


「奏上いたします。本日は倭国よりの使者、伊都殿の御目通りにございますれば、国書を奉じ陛下の御裁断を仰がんと御前に参じております」


 一呼吸の間を置いて、正殿へ一人の女性が姿を現した。


 純白の衣、その裾にかかる緋色の袴は、正殿の柱より色合いを抑えた紅玉の色。その胸元には細い紐が結ばれており、袖はゆるやかに垂れ、歩みによってわずかに揺れている。


 巫女装束――


 おおよそ華国では見かけない、異国の衣をまとった姿が、正殿の中央に座した。そして、その後ろには通訳官と思しき、朝廷側の文官が座る。


 この式典は畏まった典礼官の口調により進められた。


 倭国の使者の御目通りとして、定例的な口上、やり取りが行われていく。伊都という使者を名乗った者も、その儀礼的な振る舞いには一点の曇りもない。


 しかし小文はそれにこそ違和感を覚えていた。


 本来倭国の使者は、華国に通じた文官が三名ほど付き従うのが通例である。にもかかわらず、今回は一名の女性、それも巫女であるという。


 であれば、むしろ彼女がこの場を訪れるのが例外であり、そこには戸惑いがあるべきはずである。


(これは相当の修練を積んで臨んでいる……)


 小文の感覚では、疑いはほぼ確信に近いものへとなっていた。だが一方で、相当に手強いことは想像に難くない。


 この大勢の文官を前に、ましてや華国の長である皇帝を前に、堂々と倭国の使者を演じているのだから。


 そして、その時はやってきた。


 典礼官が儀礼的な台詞の後、声色を少し低くする。


「しかしながら、遠来の使者といえども国書の趣意ならびに倭国の真意については真偽を明らかにせねばなりませぬ」


 典礼官は一度皇帝を、そして通倭司の者たちにちらりと視線を向けた後、その声をより張った。


「故に本日は陛下の御前、文武百官の立ち合いの下、通倭司司長および司官によりこの者を査問いたします」


 これは疑いを以て辱めるためにあらず、両国の信を正すためにございます――


 そのような言葉と共に、典礼官は静かに退き、通倭司司長陸子衡とその司官小文は正殿中央に向かい、倭国の使者伊都の正面に座した。


 正殿の空気が一際引き締まる中、視線が中央にいる四名に注がれた。


 査問が、始まる。




 査問にあたっては、上位の役職者である陸子衡が形式上は主となり、小文はその補佐としてこの場にいる。


 だが査問の全責任を負うためにも、質問は全て小文が行う手はずとなっていた。


「通倭司が司官、文と申します。此度は失礼ながら、陛下の御前にて、査問の任を司らせていただきます」


 まだ若いその姿は、左右に並ぶ重臣たちに比べればあまりに小さい。しかし今、この場で倭国の使者の真偽を問う役目を担うのは、他ならぬ彼女であった。


「まずは失礼を承知でお尋ねいたしますが、いつもであれば国書の奉上には文官が共にあられたはず。なぜ此度は巫女の方がお付きになられたのでしょうか?」


 送終の件のような公書と違い、国王の名が記された国書には、持参する者も相応の肩書の者であることが通例である。


 あくまで役人同士のやり取りである公書と異なり、国書としてもたらされた以上は、その国王としての最終通告である。


 前回のように、その真意を問うため再度信書を送り問い質すという手段は用いることができない。


 故にその国書を、一介の巫女が一人運ぶということは、通常考えられないことであった。小文はそこを突いたのである。


 華国語で彼女が問うと、通訳官が倭国語に訳し、伊都の言葉を再び通訳官が華国の言葉に直して答える。


「今後朝貢をお断りするとなれば、その使者の命さえ危うい状況。それ故に、死を厭う巫女にその役目が任ぜられたのでございます」


 詭弁だが、理屈は一応通っている。小文は矛先を変えた。


「先日倭国より朝貢品が届いているのは如何なる理由でしょう?」


「倭国は王の権威が今衰えており、派閥が分かれておりますれば、実権のあらぬ派が華国の機嫌を損ねぬために形ばかりの朝貢を行なったのでしょう」


(……問答は全て想定済みか)


 小文は内心そのように愚痴る。しかし、通訳官の丁重な言葉遣いに比べ、伊都の言葉にはどこか震えが感じられるものであった。


 小文は矛先を彼女に直接向ける。倭国語で、通訳官を通さずに直接話しかける。


「使者の命さえ危うい状況、それを知りながらもこの場を訪れるとは、自ら死者となる覚悟がおありなのでしょうね」


『使者』と『死者』。倭国語では同じ発音であるため、二つの意味を掛け合わせることが可能だ。


『死ぬ覚悟はできていますか?』という半ば脅しのような言葉であるが、一方で『使者として覚悟をして来たのですね』という賞賛の意味とも言い訳の余地のあるぎりぎりの線であった。


 倭国語で話したため伊都以外にはその意味は通じない。彼女の動揺を誘えるかと期待した小文だったが、すぐに横やりが入った。


「帝の御前である! 倭語のごとき粗野な言葉は控えぬか!」


 宰相、王景元の罵声が正殿に響く。その一言で正殿の空気が一瞬で凍りついた。


 その意見はもっともであり、小文は謝罪の意を込めて彼に深く頭を下げる。


 このような搦め手は、一度切りしか使うことができない。その効果の程はどうであろうか。


 厚めの化粧をした伊都の表情からは窺えないが、自分が死ぬかもしれないという言葉は心の何処かに残るはずだ。


「……それでは、伊都様。国書の拝見をさせていただいて構わぬでしょうか?」


 小文は華国語に切り替えると、そう彼女に切り出した。無論、彼女も頷き国書を差し出す。


「拝見いたします」


 小文は受け取った国書を開き、その中身を確かめた。


 傍目には確かに国書の形式に則った確かなものである。末尾には金印で押された朱印と、国王の名が記されている。もっとも、華国語で書かれている以上は代筆であり、筆跡を調べる意味はない。


 小文は司長が用意してくれた、今までの倭国の信書を思い起こしていた。それは当然、あの送終の件の公書も含まれる。


『これは送終の礼なり。貴国と共に長くありたい意を示す』


 倭国からの信書には、ある一つの法則によって統一された書き方がされていた。「今までの全ての文」が、その書き方にされているのである。


 しかし、改めて今回の国書を見る。それは形式的な文章の後、今後朝貢をお断りするという下記の一文が記されていた。


『自今以後、朝貢の礼を修めず。願わくは両国並び立ち、和をもって相交わらんことを』


 この一文だけを見れば、何一つ違和感のない、格調高いとさえ言える文である。


 しかし、これまでの全ての文を見てきた人は、きっと違和感を覚えるだろう――

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