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第十五話 災禍②

 王が勇猛なる死を遂げたことで敵国は内乱状態となり、幾つかの小都市が陸子衡の軍に牙を剥いた。


 けれども所詮は烏合の衆、ろくに統率も取れていない部隊を、陸子衡は血祭りにあげていった。


 だがいくら血を流そうとも、甥の陸安爾が戻ってくるわけではない。


 何事もなく無事に戦を終えるはずだった陸子衡は、少なくない精鋭を失い、また敵国の制圧に日数を要したために、事の経緯を詳細に記し、皇帝へ説明する必要が生じた。


 配下の手により、敵国の重臣数名が引き渡された。そしてその尋問の中で、敵国で起きていた事情が明るみに出た。


 本来、北の小国はその軍勢の差に戦意は低く、一部の開戦派を除けば大勢が降伏に傾いていた。


 しかし皇帝から届いた書状に自分らを懐柔するような柔らかい語気が用いられていたため、開戦派が勢いづいたという。


「華国の皇帝、何するものぞ!」


 その言葉は開戦派だけではなく、地方の豪族にまで響き渡る。


 そこで敵は一計を案じ、降伏するフリをして華国の主軍を首都に招き入れ、包囲する作戦を取ったのである。


 もっとも、その実情は開戦派が陸子衡の精鋭に蹴散らされ、各地で立ち上がった豪族も各個撃破されるというお粗末な結果にしかならず、いたずらに血を流すだけの結果となったのだが。


 しかし、無用な争いを生み、何より初陣を飾るはずの甥を死なせてしまったことに陸子衡は病み、将軍の座を下りることを申し出た。


 故郷の姉にも申し訳が立たず、何より目の前で十歳の甥を死なせてしまった自責により、彼にとっては子供を見ることも耐え難いこととなってしまっていた。


 朝廷にも、故郷にも居場所を失い、残るは皇帝の住まう後宮か、あとは地獄へと落ちる他はない。


「命を自ら絶つは容易い。だがそれでは何一つ責を担えん」


 自責と責任感の狭間で苦しんだ陸子衡はやがて後宮へ席を移すことを決意する。


 後宮は男子禁制であり、足を踏み入れるためには、宦官となる他ない。


――陸子衡は、長年連れ添った長剣を己の一物へと向けた。



「……そうすれば、我が子を見ることもなくなると思ってな」


 司長は小文に対して、そのような台詞で語りを終えた。


 こうして彼は後宮で幾つか文官としての仕事をこなし渡り歩いた後、語学に精通し、今は通倭司の長を務めている。


 それは彼が小国の言葉が分からないからと、通訳を頼ってしまったことを恥じたが故の結果であった。


「だから和子様を見たとき、あれほど顔をしかめていたのですね」


 司長の昔話を聞いた小文は、決して気が晴れることはなかった。


 いや、このような話を聞かされて、気が紛れると考える彼の方がどうかしているのだ。


「こうして俺は朝廷にも故郷にも居場所をなくした。通倭司としての職を失えば後はもう、後宮の下官として下働きする他ないだろう」


だ が、このような経歴の者を取り立てる部署があるかは、小文にも分からない。


 かつて首を落とすか一物を切り落とすかの二択で悩んだ者であれば、あるいはと思わざるを得なかった。


 前回は後者を選んだ彼が、今回は前者を選んだとしてもおかしな話ではない。


「……まったく、落ち込んでいる者に気が滅入る話を聞かせるだなんて、一体何を考えているんですか、司長様?」


「幸災楽禍という言葉があるだろう? 他人の不幸は得てして面白く思うものだ。ましてやそれが鼻持ちならない上司であれば尚のことな」


「……そこまで自分の上司を嫌った覚えはありませんよ」


 小文の言葉に、司長は肩をすくめた。気を利かせたつもりが、いつの間にか自分が慰められる側に回っていたらしい。


「誤解して済まなかった。その代わり、玉工の代金は俺に支払わせてもらおう」


 玉工の店は後宮の中央通りから、ほんの少し外れたところにある。


 初夏の日差しを避けるように張り出した軒下で、司長は用件を簡潔に告げ、小文は包みを差し出した。


 玉工と小文が何度か話し合い、どうやら首飾りに仕立てることになったらしい。半刻ほどかかると言われ、それまでここで待とうかと二人が迷ったとき、不意に声がかけられた。


「――そこの二人、足を止めよ」


 振り向けば、朝廷の武官が一人、護衛を従えて立っていた。鎧は着けていないが腰には帯刀している。おそらくは査察のために内廷を巡回しているのだろう。


 本来は後宮に男性は立ち入れないため、この武官は宦官か女武官のどちらのはずであった。しかし、朝廷から派遣される都度その確認がなされるわけではない。


「このような場所で何をしている?」


 間が悪いことだと司長は思った。朝廷の査察など月に一度あるかどうかだ。下手に言い逃れするよりかはと、彼は正直に自分の身分を明かした。


「通倭司の司長、陸子衡と申します。隣の者は小文。倭国よりいただいた贈り物を身に着けられるようにと、玉工のもとを訪れております」


「倭国よりの贈り物……ふん、そちらの娘は倭国の者か?」


 武官は言葉の矛先を小文に変える。何処の司かは知らぬが、長相手には分が悪いと踏んだのであろう。


「倭国の犬を飼うのなら、せいぜい首輪でも作ってもらうといい」


 武官は吐き捨てるようにそう言い、その場を離れていった。


 仮にも査察という名目である以上、事を大げさにはできぬはず。にもかかわらずかような強い言葉を使うとは、朝廷側がいかに後宮を憎んでいるかが分かる。


 華国の者にとって他者を犬呼ばわりするなど、あまりに無礼なことである。逆の立場なら切り捨てられても文句を言えないほどの、極めて失礼な言葉であった。


 されど、今ここで揉め事を起こすわけにいかないと、司長はぐっと堪えたのだ。しかし――


「……犬、でございますか」


 小文は小首を傾げ、淡々と呟く。


「犬のように可愛いと、そうお思いなのでしょうね」


 小文は小さく笑い、朝廷の武官の暴言を平然と受け流した。


「小文は腹を立てないのか? 明らかな侮辱であるが……」


「まぁ侮辱であることは分かりますが、そこまでのことでは」


 小文は大したことないと、手をひらひらと振って見せる。


「華国の者にしてみれば極めて屈辱的な言葉なのでしょうが、倭国の私としては、まあ良くある悪口といったくらいにしか聞こえませぬ」


「……」


 司長は先ほど小文に話した、己の過去について思い起こしていた。


 あのとき、皇帝より送られた降伏の書状に書かれていた言葉こそ、「犬」だったのである。


『北の狗どもが。大人しく首輪を付け、我らに飼われよ』


 陸子衡にとってはあまりに侮蔑的な言葉であり、通訳官を通し語気を弱めることを依頼してしまったあの言葉が。


 もしも皇帝の言葉のままに書状を送っていれば、彼らは語気の強さに震えあがり抵抗することはなかったかもしれないと後悔を抱いていたあの言葉が。


 存外、北の小国の者にとってはそれほど屈辱的な言葉とは受け取られず……。


『我らを犬のように可愛がるつもりか』


 そう一笑に付し、結局は同じような結末を辿っていたのかもしれない。


「司長様、何を笑っておいでですか?」


「いや、なんでもない。いずれにせよ、人を犬のように飼いならすことはできぬと改めて思っただけだ」


「……?」


 小文の訝しげな視線を受けつつ、陸子衡は今ここで過去を振り払ったのだった。

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