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第九話 蓬莱②

 小文は妙な胸騒ぎがしていた。つい先ほどの紫妃の言葉がよみがえる。


『近頃は他の后妃の侍女が、様子を窺いに勝手に入ろうとすることがある』


 司長が向かっているためついていくしかないが、また自分が問題を起こさないかという不安が拭えない。


――とはいえ、それは杞憂であった。


 確かに南門で問題は生じていたが、その渦中にいたのは見知った人物だったからである。


「……呉成様?」


 東和宮の門番と何やら揉めていたのは、年始に通倭司から交易司に異動となった呉成だった。


「陸司長に小文殿。どうしてここに……? いえ、それよりも門番を説得して話を聞いてくださいませんか? 少々まずいことになっているのです」


 唐突に訪れた呉成に門番は疑いの目を向けていたのである。港から運ばれる品を取り扱う交易司所属とはいえ、呉成は新参者だ。顔も知らず正式な書状もないままに東和宮に入ろうとすれば、揉め事になるのは当然と言えた。


 呉成を東和宮に入れたくない門番と、話を聞いてほしい呉成。その二人を司長は取り成した。


「ここでは埒が明かぬ。宮外で我らが話を聞こう」


 やむを得ず、司長は宮外の少し開けた場まで呉成を連れていった。




「それで何があったのだ、呉成。交易司として何か問題が生じたのか?」


「話が早くて助かります。まずはこちらをご覧ください」


 彼は懐から布に包まれた品を取り出し、司長に手渡した。


「これは……何です?」


 布包みの中から出てきた正体不明の丸薬に、小文は思わず口をはさむ。


「それが、若返りの薬だというのです」


 東和宮が手配した正后への贈り物の中にこの薬が含まれていたのだという。


「そんなものあるわけが……いや、東和宮が手配しただと? それでは紫妃様が、正后様へ若返りの薬を贈ろうとしていることになるではないか?」


 いや全くその通りで……と、呉成は頭を押さえる。


 正后とは皇帝の正妻であり、すでに四十を超える齢である。


 子を成せなかったためにすでに皇位継承の争いからは一線を引いているが、その立場は当然ながら他の后妃より一段上である。そのような立場の方に若返りの薬を贈るなど、侮辱に等しい。


 紫妃が贈ろうはずもなく、こんなことが公になれば妃としての立つ瀬がない。


「ですが、紫妃様からの贈り物の中に確かにこれがあったのです。このままお届けするわけにもいきませんし、されど勝手に捨てるわけにも……」


「紫妃様がそのような品を贈られるはずがありません」


 小文は強い語気でそう返す。思いがけず大きな声になってしまい、彼女は周囲に漏れ聞こえていないかと見回した。


「ならば、何者かからの嫌がらせという線はどうだ?」


 声を潜めながら、司長が尋ねる。誰かが紫妃を陥れるため、贈り物の中に密かに忍ばせたのではという問いである。


「おおよそ書面上は、間違いなく東和宮から発注されたものです。少なくとも倭国の貿易商人から運ばれたのは確かでございますれば……」


 東和宮から派遣された侍女が、倭国人の貿易商人から買い付けたのは間違いないという。


「……貿易商人が仕組んだという線は、薄いだろうな」


 正后を狙って毒が入れられたというならまだしも、こんな露骨な嫌がらせのために貿易商人が加担するとは考えにくい。


「では、東和宮の侍女による手違いか、あるいは故意によるものでしょうか?」


 呉成の問いに、司長は逆に問い返す。


「その侍女の名は控えているか?」


「ええ、秋蓉という者です」


 司長は小文に目を向けるが、小文はその名を聞いたことがない。せいぜいその名より華国の者であると知れる程度だ。


 その侍女が関係あるか否かは……小文は分からないと司長に首を振って見せる。


「いずれにせよ、この薬は我らが預かり紫妃様のところに届けよう。畢竟、この薬を処分さえしてしまえば、問題自体は解決する」


「よろしくお願いいたします」


 以前に落書きという形で陰口を叩かれた司長と、それにより処分を受けた呉成、二人の関係はどこかぎこちない。それでも職務に忠実かつ真面目な二人は、互いの仕事をきちんとこなすことを約束した。


 そんな二人を横目にしながら、この件について紫妃に聞かれたらどう答えようかと小文は頭を悩ませていた。


 紫妃の性格からして、小文に尋ねてくるのは明白だったからである。




 二人が紫妃のところへ戻ると、和子が庭で土遊びをしていた。一尺ほどの小さな山がそこに作られている。


「まー!」


 和子は小文を見かけると、そのまま走り寄ってきた。褐色の衣が土色でべっとり汚れるが、小文は苦笑いして受け入れるしかない。


「お馬さんじゃないですよー。文って名で呼んでもらえませんか、和子様?」


 発音からして母の意でしかないのだが、小文は苦し紛れのごまかしをした。彼女が和子を適当にあやす中、司長が礼式的な挨拶をし、本題を切り出した。


「実は南門で、交易司の者がこのような物を届けに来ておりました。若返りの薬とのことですが、紫妃様から正后様への贈り物の中にこれがあったと」


 司長は布に包まれた丸薬を紫妃に渡す。紫妃は知るはずもなく、首を傾げた。


「誰かの悪ふざけにしては、度が過ぎるわね。どこの誰の仕業かしら?」


「倭国商がすることのようにも思えず、一方で交易司がそこまで腐敗しているとも思えません。恐れながら、東和宮内部の者によるものかと」


 司長の考えは至極当然であった。もし仮に正后までこの贈り物が届いたとして、利益を得られるものは誰もいない。


 それに対して、その行為は不敬そのものであり、下手をすれば命が飛ぶ。交易司の者や倭国の商人がするとは思えないというのが司長の考えであった。


 正直なところ、その考えには小文も同意する。ただし、それが故意によるものかというと……。


 小文の何か言いたげな態度に気づいたのだろうか、紫妃は一つ尋ねる。


「小文はどう思っているの?」


 率直な問いかけに、小文は迷いながらも告げた。


「これは私の妄想の一つですが……。ただの手違いによって引き起こされたのかもしれません」


 これは小文にとっては淡い期待の一つにすぎなかった。だがいずれにせよ、本件をどう扱うかは紫妃に委ねられている。


 小文にできることは、この件が少しでも丸く収まるよう願うだけだった。

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