3. 救世主
中世ってどんな香りがするのだろうか? ワタシは幼い頃、他愛もない妄想をしていた。
既に亡き光景を、文化を、情景を、一度でいいから記憶に収めてみたい。
知的好奇心からなのか、それとも絶望しすぎて訳が分からなくなっていたか。
どちらにせよ、夢想するには狂気じみていた。
だから、今まで誰にも話してこなかったし、今の今までワタシ自身忘れていた。
空気が美味しい。
成程、不純物のない青空は瑠璃色の宝石箱を眺めているようだ。
直線状に伸びる市場を思い思いに往来する人々の姿、喧噪の煩わしさ、熱気や情熱の坩堝。
一から十まで歴史書の中の世界でしかなく、恥ずかいことに、ワタシはただ一人圧倒されていた。
ワタシにとっての都市とは息を潜める場所だ。
暴威に怯えて、目に見える脅威から目を背けるだけの。
「……? ジンくん? どうかした?」
「い、いや…………なに。人混みが、少し……」
情けないことに、そう返すのが精一杯だった。
脳裏によぎるのは「隠れなくて良いのか?」「攻撃されたらどうするのだ?」とか、物騒で危険極まりない空想ばかりだ。
魂まで毒されたワタシの思考は、こちらの世界にはあってはならない思想なのかもしれない。
確かに、魔王軍とやらと戦乱状態にあるのだろう。
だが、まだ。手遅れではない。
ならば、ワタシは干渉すべきなのだろうか──?
「ん? ああ。確かに、ちょっと目立つね」
「……、? 目立つか、な?」
ワタシの思考はルミナリエの言葉によって現実へと引き戻される。
「なんていうか、独特?」
見下ろすと、普段通りの恰好が視界に飛び込んでくる。
ヒーローといえば蒼とか赤とか、とかくに刺激的で象徴的な色合いをしているものだ。
けれど、ワタシは迎合しなかった。
純白ではない。けれど、灰色とは程遠い。限りなく白に近いグレーというべきか。
無論、機能性は保証されている。耐熱耐寒耐電耐超能力耐毒耐特殊能力etc.……マントにはワタシを象徴する“双頭の蛇を分かつ長剣”のシンボルが掲げられている。
「なんだか、包帯を巻いてるみたい」
「ならばイメージ通りだな。ヒーローには似つかわしくないだろうが、ワタシの意図するところは別にある」
まだ、“運命”英雄ネメシスとなる前。まだ、ワタシがただの人間だった頃の話だ。
超人的な力も持たずに、がむしゃらに、なりふり構わず吶喊していた時代。
戦闘の度に命の危機に晒され、生死の境を彷徨ったことなど数えきれないほどにある。
その度に冥土の門前で拒否されるのだから、地獄の門番にとってはいい迷惑だっただろう。
そうだ、その時からワタシは常に包帯を巻いていた。大なり小なり、ワタシは傷だらけだったから。
「英雄とは完全無欠でなければならない。だが、ワタシは社会通念の英雄とはかけ離れていた。だから、ミイラ姿であろうと構わないのだ」
「……そっか。特徴的だとは思うけど、私は好きかな。変に着飾るよりもずっといい」
「有り難う。救われる気分だ」
ルミナリエの賞賛は実に耽美な響きがあるが、人目を引くというのも強ち間違いではないだろう。
今も道行く人々から好奇と怯懦の視線を向けられているのが分かる。
「これは捜索には不向きだな……装備解体」
「わっ……!?」
衣擦れの音と共にワタシの身を覆っていたコスチュームが空気に溶けるように霧散していく。
そして、胸の中心に収束し、まるで身体へと沁み込むように消え去る。
後に残ったのは背が高くて太陽光を反射する金髪をロングに流しただけの、ありふれた一般市民だ。
デニムのパンツに黒のシャツ。栗色のジャケットを羽織っている、どこにでもいる人間に外ならない。
「すごい……! 便利だね」
「ああ、潜入捜査にはもってこいだ。まさか、人目を避けるために利用するとは思わなかったが」
「私もできたらな……」
自分の身体を見下ろして呟くルミナリエには悪いが、その必要はないかと思う。
ワタシの場合、生粋の英雄という訳でもない。
それに、西洋風の鎧とマント煌めく金髪、陶器のような白い肌など。ちらと見渡せば往来する人々の中にも似たような恰好をしている者を散見できる。
つまりは、この世界での典型はルミナリエのように、甲冑を着こみ剣や盾で武装する風潮なのだ。
全身に包帯を巻いたような恰好に白のマント、威圧感に満ちたワタシが奇怪なのは当然か。
「さて、ジンくん。これからイザベラちゃんを探そうと思うんだけど、行先なんて検討もつかない。だから、二手に分かれて手当たり次第に聞いて回ろうか」
「それもいいが、ここはワタシに一任してはくれないだろうか」
「……? 何か手がかりがあるの?」
「そう明確なものではないのだが、イザベラの波長は記憶した。後は感知するだけだ」
困惑顔で首を傾げるルミナリエには悪いが、こればかりは実践して見せた方が早い。
とはいえ、視覚的に認識できる訳でもないのが辛いところ。
例えば、青白い光が同心円状に広がるだとか。
例えば、お目当ての人物へと光柱が降りることもない。
ただ、ワタシの脳内に示されるだけだ。
右手の人差し指と中指をこめかみへ押し当てる。
イメージするのはイザベラの爆発的に燃え上がる深紅の色だ。魂や意識など、幻想の世界でまことしやかに囁かれる不確かな存在。
ああ、実在するかは分からない。
だが、ワタシには不明瞭ながらも知覚することができる。
何故なら? ワタシが英雄だから。
「……視つけた。北東へ七キロ。ほんの数分でよく進んだものだ」
「どうやったの? とは聞かないでおいてあげよっか。さあ、気は進まないけど走りますかぁ」
「ルミナリエ、手を」
「……? もしかして、仲良しこよしを見せつけたいって魂胆かな? 残念だけど、ジンくんはタイプじゃないかなぁ」
「それは残念。さあ、手を」
有無を言わせない命令口調にルミナリエは眉をひそめつつも右手を差し出してくれる。
想像よりも小さな手だとか、人肌の暖かさとか。雑念が一筋の矢となりワタシの脳内へと閃く。
久しく忘れていた甘美な感覚だが、生憎と堪能し続ける訳にはいかない。
無言のままに手を繋いでいると怪訝そうなルミナリエに深く追求されそうだ。
「動かないように。座標は固定されてあるが、こちらでは初めての転移だから」
「へ? て、転移って?」
精神感応で把握したイザベラ周辺の情景から転移したとしても問題ない場所を指定する。
座標の固定が終われば、能力を発動するだけでいい。
二秒後には移動は完了している。
ワタシは転移が好きだ。効率的というのもあるが、何より。
転移をしている最中だけは。
たった数秒の時間だけれど。
雑音を気にする必要がないのだから。
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ヴァンッ! とかヴンッ! とやすりでやすりを削ったような音が耳朶を打った瞬間には景色が変わっていた。
目の前には、驚愕に目をこれでもかと見開いているイザベラがいた。
どうやら、転移はこちらの世界でも寸分違わず機能するようだ。
長距離の移動は危険性が高いために推奨はされていないものの、ワタシには精神感応がある。
座標固定に必要な情報は全て精神感応で獲得することができる。
「うん。成功だ」
「え゛? 失敗の可能性もあったの?」
「ああ。その場合は次元に挟まって全身が引き裂かれるだけさ」
「ひゃぁ。悪びれもせずにジンくんってば…………冗談きついよぉ」
落胆するように肩を落とすルミナリエ。
しかし、真剣さに欠ける。別にいっかと、最悪の可能性をどこ吹く風と気にも留めていない。
軽口を叩くようにワタシを注意する姿には違和感が付き纏う。
「さて。ジンくんのことは置いといて。イザベラちゃん」
「……っ! な、なんの用かしら? わざわざ追いかけてきて……!」
警戒心を隠さずに威嚇するようにワタシたちを睨むイザベラ。
一体その体躯のどこに僅か数分で数キロを踏破する脚力があるのかとか、この街を出て一体どこに向かおうかとか。
形式的な話をする空気では…………ないようだ。
「もしかして、魔王を倒しに行こうとしてたの?」
「も、勿論じゃないっ! ソフィアってのが嫌ならいいわよ。あたしが討伐してあげるわ!」
「相手の力量も不明瞭なのに、吶喊しても意味はないと思うけど?」
「それは……! その……どうにかするわ!」
つまり、考えなしに飛び出したと。
偏見になるだろうが、イザベラは激情型の直情径行タイプだ。
正しいと思ったから、本能に従ったから、魂が直感したから。
行動する。
脇目も振らず。
目的に向かって一直線に。
「ソフィアちゃんも、ちょっと言葉足らずだとは思うけど。それはイザベラちゃんも一緒だよ」
「どうして……!? あたしはちゃんと話したじゃない!」
頭を振って猛然と反駁するイザベラ。
「…………イザベラちゃんは勇者だから戦わなくちゃいけないって言ったよね?」
「ええ、そうよ。理由としては十分でしょう?」
思わず憧憬の念が生じてしまう。
彼女は“勇者”だから悪に立ち向かうという単純明快で理路整然とした論理に従って、一人でもいいから立ち向かおうと行動しようとしたのだ。
いや、事実として一人でここまで来ているんだ。嘘偽りなく一心に、正義を敢行しようとしたのだ。
模範だ。
純然たる英雄の鑑だ。
まさか世界にこうも素直に、ありのままに勇者の性を受け入れられる人がいるなんて。
「まさか、あなたたちも弱虫と同じ意見なんて言うんじゃないでしょうね?」
「んと。それはどうかな。私も伊達に救世主やってなかったからね。できるとこまでは手を尽くそうかな」
「な……っ!? そんな弱気でどうするの! この世界には勇者はいないのよ!」
「そうだね。でも、それは私たちの援護をしてくれる人がいないと一緒だよ?」
「……っ!」
「孤立無援で、戦力だって分からない相手と戦わなくちゃいけない。イザベラちゃんの気持ちも分かるけど、私は一人で戦おうとは思わないかな」
常に冷静に泰然自若とした様子で言葉を紡ぐルミナリエと、今にも暴発しそうな怒りと苛立ちを募らせたイザベラ。
二人の意見の根底には、やはりと言うべきか“勇者”としての自負と矜持が垣間見える。
偏に、如何にして世界を救うのかと。
「ワタシは…………ソフィアの言いたいことが良くわかる」
無意識だった。
けれど、先の対話から、ソフィアの絶叫を聞いて芽吹いた違和感と共感に、ようやく合点がいった。
「……ジンといったかしら? くだらないことだったら、あたしがあなたの首を刎ねる。いいわね?」
ザワリ──! と殺意が脊椎を刺激する。
刹那にしてここは戦場と化した。もはや郷愁すら感じられる殺伐とした世界に。
ありがたい。実に有り難いよイザベラ。
おかげで、平常心を保って言葉を選べる。
「きっと、二人は生まれた時から“勇者”だったんだろう。違うかい?」
「まぁね。世界で一番の神力があった。それを扱えるだけの技量も、感覚も。才覚というなら、きっとそうなんじゃないかな? イザベラちゃんは?」
「あたしもそうよ。ジン。結局なにが言いたいわけ?」
訝しむイザベラには申し訳ないが、ワタシ自身、自分の言葉で言い表せるか不安なんだ。
ソフィアの心中を、ただワタシが解釈しただけの話なのだから。
しかし、虚偽や気休めはない。
紛れもなく、純度百パーセント、ワタシの心からの喚声なんだ。
君たち二人の世界は別だと、価値観も文化も“勇者”や英雄に対する意味も違うんだと理解している。
「ワタシは…………生まれついての英雄じゃないんだ」
「……? 努力したってことかしら?」
「いいや、もっと悍ましいよ。ワタシの世界はね、科学技術が発展していてね。英雄を一人造る程度、造作もないんだ」
神力だとか、魔法だとか。夢物語の世界だと思っていたが。二人にとってみれば機械文明の方がイメージすら難しい世界の理なのかもしれないな。
「魔王という絶対的な敵。とっても分かりやすい。けれど、世界はそう単純にはできていない。敵の敵は味方ではなく、もう一つの敵さ」
「果てのない戦乱の渦中で、ワタシは生きるために、勝つために被検体に志願した。全てを無に帰して、再び安寧の世界を築こうとね」
「お察しの通り、ワタシは成し遂げたよ。ああ、やってやったさ。殺して、潰して、滅ぼして。君たちのイメージする英雄像とはかけ離れた行為にだって手を染めた。ワタシの両手は真っ赤だよ。地獄があるなら終身刑だろう…………けれど、代償にワタシは平和を手に入れた」
もう、二人の顔を見れない。
どんな表情をしているのか。一体、ワタシをどう思っているのか。
軽蔑しているだろうか? 失望しただろうか? 聞く値しないと呆れられていないだろうか?
けど、イザベラの信念とソフィアの願いに応えるというのに、自分は隠し立てをしたままなのは……ワタシが、ワタシを許せない。
耽美な英雄譚のように絶対悪の魔王や、魔物ばかりを掃討すれば褒め称えられるような世界じゃなかった。
銃弾が耳を掠め、ほんの僅かに当たり所が悪ければ一生ベッドの上。そんな、血も涙もない鉄と硝煙に塗れた灰色の世界。
超人開発計画に参加して、筆舌に尽くしがたい苦痛を耐えて耐えて耐え抜いたワタシが運命英雄なんて馬鹿げた名前で抑止力と化してようやく。
一時の奇跡を手に入れることができた。
「長々と済まないね。ワタシが言いたいのはね、イザベラ」
言葉を切って顔を上げる。
振り絞った勇気に見合うかのように、彼女の表情は少なくとも対話を放棄したようには思えない。
「ソフィアは、怖いんだ。勿論、ワタシも。戦うことがじゃない。もう一度憎悪の渦中に身を投じて………………ワタシは、英雄のままでいられるだろうかってね」
英雄と殺戮兵器は紙一重、表裏一体だ。
ワタシは戦場で幾度となく痛感した。
幾億を救える力は幾兆を殺戮するに足る力を秘めていると同義なのだ。
たった一つの理想のために、ワタシは死力を尽くして実現せしめた。
だが、再び同じ結果を出せと言われて。
今一度、狂気に触れずに命を屠り続けられるかと問われると。
「……怖い、か。そう考えたことはなかったけど。うん、確かに」
神妙に頷くルミナリエの様子を横目に、しかしてワタシはイザベラから視線を外すことはない。
ワタシはイザベラを批判するつもりはない。
それどころか敬意すら払おう。
だが、ルミナリエの言う通り未知数な相手へ挑む危険性は顧みるべきだろうし、ワタシたち以外の最終手段は皆無に近い。
故に、一人で突き進む彼女を引き留める必要がある。
イザベラとソフィアを和解させる。
そうでないと、話は先に進まないのだ。
「……………………なによ、それ」
「……? イザベラ?」
「なんで、あなたはそんな…………!」
長い沈黙の末に口を開いたイザベラへ続きを促そうとした。
恐らく、この場に集った“勇者”三人。そして、小高い丘に鎮座する王城に待機する二人の“勇者”。
五人の中で最も早く異変に気付けたと自負がある。
三十キロ先の飛翔音や抜管音にも勘付けたワタシなのだ。
ほんの数キロ程度の距離で危険を聞き流す程に衰えてはいない。
「悪いが、話は後だ」
「ジンくん──!?」
ワタシに飛行能力はない。
しかし、地団駄を踏むように大地を蹴り上げれば上空へと飛び上がることは可能だ。
「成程、これか」
無数に耳朶を打つ甲高い飛翔音。心地よい風を全身に浴びて。
眼下に城壁に囲まれた都市を見下ろしつつ、東の草原へと目を向ける。
召喚された時点で常識など当に捨て去ったつもりなのだが。
巨岩が意思をもって蠢いていた。
生体反応は数百にも上る。
そして、一際目を引くのは巨人だ。
二足歩行でガラガラと岩肌を鳴らす山の如し巨体。
目が合った。
凡そ、生命体とは思えない存在だが。
ワタシは柄にもなく。
暫定巨人の行動にスーツを着用せずに敵の眼前へ躍り出る愚を後悔することとなった。
「強化権限──!」
冷や汗が滴る。
全身を包帯のように銀白色のスーツが包むと同時。
コマ送りで差し迫る岩へと、本能的に拳を振るっていた。




