2. 集え、勇者たち
その部屋は小さな図書館と言うべき様相だった。
吹き抜けの一階は天井から陽光が差し込み、二階は円形に本棚が所狭しと並んでいる。
翻って、一階は書籍というより読書スペースなのだろう、丸テーブルと椅子がランダムに設置されている。
大きさも、広さも、ワタシが経験したどの図書館よりも広大な空間で。
ワタシの耳朶と本能は中心、中央のテーブルに収束した。
透明度の高い天窓から注ぐ光柱の指し示す先。
談笑というよりは、諍い。
罵り合いとまではいかずとも、険悪な雰囲気だけは感じ取れた。
ワタシの感覚と同じものを悟ったのだろう。ルミナリエも厄介事の予感に眉根を寄せている。
朗らかでほのぼのと和気藹々とした空気の方が遥かに健全だ。
そうであってほしい。
「とりあえず、いこっか」
迷いなく、彼女は歩を進める。
自信に満ちた足取りはカリスマが漂い、求道者にとっての教導者に思える。
「あんた、それ本気で言ってるのっ!?」
「……はい。その、本心です…………」
「……っ!? ふざけてるわけっ!? 冗談にしては笑えないわよっ!」
「ストップすとっぷ。ヒートアップしちゃ話し合いも進まないよ?」
「わかってるわよっ!」
近づけば近づく程に、耳鳴りを伴う声音が轟いてきた。
天井の高い図書館では彼女の声は反響し、刺々しい内容も相まってあまり良くは聴こえない。
声の主は業火を思わせる少女だった。
白のマントを羽織り、焔色の長髪が流れるように腰まで伸びている。
膝まで隠す白色のロングブーツに、深紅のミニスカート、白のシャツには軍人を思わせる勲章が右胸から脇腹にかけてズラリと並んでいる。
攻撃的で気の強そうな眼光と、不機嫌を隠さない表情。
荒々しく燃える炎を彷彿とさせる少女は、一見して十五か十六程でワタシよりも頭三つ四つ低く、小さい。
しかし、小動物のような小柄でありながら、同じテーブルに付く三人の中で誰よりも存在感があった。
立ち上がり、テーブルを叩きつけるように向かい合った少女を糾弾している。
「やあやあ。ごきげんよう。私たちも混ぜてもらっていいかな?」
山火事の渦中へ飛び込むが如き所業。
怒り狂う少女の様子を気に掛けることなく、自然体のままで会話へ混ざるルミナリエの行動は真似しようともできない。
柔和で優し気な彼女だが、根は頑固で一徹なのだろう。
それは彼女の替えようのない長所だ。
「初めまして。私はルミナリエ。それで、こっちがジンくん。みんな、勇者って人たちかな?」
「そうよっ! あたしはイザベラ!」
音圧だけで気後れしてしまう。
相変わらず不満げな表情はそのままに、されど闖入者のおかげで爆発寸前の爆弾のような恐々とした空気は霧散した。
ルミナリエの持ちうる穏やかな雰囲気が見事に険悪だった空間を見事に中和したのだろう。
「えと、ルミナリエ、ジン。ぼくはアイ。よろしく」
小さく微笑んだ少女は、紺色の短髪に吸い込まれるような黒目をしていた。
イザベラを抑え込むように立ち上がっていたアイは白のローファーにベージュのワンピース一枚と、非常に簡素な恰好だった。
勇者というより、街娘だ。
如何にも人々の先頭に立って指揮を執るイザベラとは打って変わって平々凡々とした様子は、却って意識を持っていかれる。
「ちょっとっ! あんた、名乗りなさいよ!」
「ああ、あぁ。一々叫んでたら委縮しちゃうでしょ? ほら座って。ね?」
まるで保護者だ。
荒ぶるイザベラを諫めるアイは手慣れており、熟練の雰囲気を漂わせている。
「ねえ、君の名前、教えてくれないかな?」
この場に集った四人の視線が一点に注がれる。
「…………ソフィア=ノヴァ、です」
びくりと肩を震わせて俯き、聞き逃してしまうのではないかと思う程にか細い声音で、ソフィアは名乗った。
光の加減で色彩の変わるアメジスト色のミディアムに、翡翠の瞳。
青のショートブーツに草原を思わせる深緑のワンピース。魔術師を思わせる黒のローブ。
まだあどけなさの残る面影は少女というに十分であり、高圧的なイザベラに詰め寄られ、圧倒されているようだ。
「それで、議題は何かな? 正直なところ、私とジンくんはまともな説明が一つもなくて困ってたところなんだ」
「なら、この国の置かれてる状況から説明した方がいいかな」
そういって、アイはまるで待ってましたと言わんばかりのイザベラが口を開くまでに先んじて言葉を紡いだ。
「ここはルーラルド王国で、ゲルン大陸の東に国家体系を築く王権国家だ。西側に本拠地を置く魔王軍と長期に渡る戦争状態にあって、土着の勇者と言われる人々は軒並み志半ばにして潰滅してしまった」
「だから、私たちが召喚されたって訳か……」
「ルーラルド王国にとっても苦肉の策だったみたいだ。何せ、国防を外様に一任するんだから」
「けど、無事にって表現が正しいかは分からないけど、私たちが召喚に成功した。ねえ、アイちゃん。どこで聞いたの?」
「自慢にはならないけど、ぼくは一番に召喚されたからね。ほら、ここは情報の宝庫だから」
顎を使って二階の書棚へと視線を向ける。
活版印刷技術が普及しているのか、それとも王立故かは釈然としないが、どちらにせよ情報源を精査するだけの時間はあったようだ。
アイの説明によって大方の事情は理解できた。
詰まる所、先の問答で会話をしたのが王様で、ワタシたちは魔王軍とやらを討ち果たすために尖兵として、最終兵器として文字通り呼ばれた訳だ。
議論の過程が何であれ、この世界の人々──殊更、政治に携わる人々──は好意的ではないだろう。
何せ、自分たちでは手も足も出なかった敵を部外者に任せるなどと言う痴態を晒しているのだから。
無様を隠匿しようとする心理は人間として当然の反応だ。
それを押し隠してワタシに正面から「助けてほしい(意訳)」と、嘆願した王様には敬意すら払えよう。
「して、諸君は何をいがみ合っているのかな」
「…………あんた、それムズムズするからやめて頂戴」
「ぼくも同意見。無理しなくていいよ」
「ね、ジンくん。私なんて言ったっけ?」
三人から注がれる視線。
嫌悪、同情、威圧。
驚愕と共に、新鮮さが胸に去来する。
“運命”英雄ネメシアに意見できる者など、皆無だった。
平和を享受する世界で、有り余る武力は爆弾でしかなく厄介事の種だ。
しかし、誰一人として異を唱えることもできず。互いに絶妙な距離を維持するしかできなかった。
そうか。
ここではワタシも勇者の一人。
一柱の救世主ではない。
「ジンくんは置いといて。イザベラちゃん、ソフィアちゃん。二人は何で喧嘩していたの?」
「喧嘩っ!? けんかなんて! あたしはっ!」
「そんなつもりなかった? けど、ソフィアちゃんと意見が対立してたんでしょ?」
「そ、それは……! そうだけど…………」
「なら喧嘩だ。さっ、お姉さんに話してごらん」
緊張と不安。手探りで相手の真意を勘繰る一種、息苦しい時間が突如として終わった。
ルミナリエの底抜けに明るい声音と、全身を毛布で包み込むような抱擁感。
神に赦しを請う宣教師の想いを、今ばかりは共有できるやもしれない。
「……あたしは勇者よ。あたしだけじゃない。あなたたちも」
「そうみたいだね。役割は違えど、意味は同じ。成すべきこともね」
頭が冷えたのか、それともルミナリエのおかげか。イザベラは冷静に言葉を選んで説明を続けている。
「なら、分かってるでしょう。あたしたちの使命は恐怖を、不安を、取り除くこと。魔王軍を殲滅すること。それが、力を持っている者の義務だから」
正論だ。
ぐうの音もでないし、反論のはの字も出ない。
イザベラの信念は敬服してしまう程に気高く、純朴だ。
殊に勇者という符号を、ただの記号としてではなく責任ある使命だと捉えている。
ワタシ以外にも思い当たる節があるのか、三人はイザベラの言葉を反芻しているようだ。
逡巡の過程は手に取るように分かる。
右も左も、常識や価値観だって異なる世界に放り出されて。満足のいく説明すらもらえずに、それでも世界を救ってくれという無理難題に。
イザベラは快活に、闊達に、尊大に。「わかったわっ!」と返答したのだろう。
ともすれば、眩しすぎて直視できない。
話は、そう単純ではないのだから。
「ソフィアちゃんはどう思ってるの?」
イザベラの主張は分かった。理解できた。
しかし、彼女の言葉に頷かない、肯定できない者もいる。
「…………わたしは、いやです」
「いやってどういうことよっ!」
「イザベラちゃん。今はソフィアちゃんの意見を聞く時だよ。理由はあるんだよね?」
翡翠の瞳が大きく揺れた。
とはいえ、気持ちは分かる。
見下ろしていたルミナリエが、膝をつき、まるで見上げるように俯いていたソフィアと目を合せたのだから。
聖母か、女神。永久凍土すらも雪解け水へと変貌させる麗らかなルミナリエの様相には、少なからずソフィアを安堵させるだけの材料があった。
「……もう、嫌なんです。勇者とか、世界を救うとか…………わたしは、嫌なんです……!」
堰を切るように、ダムが決壊するように。
ソフィアは頭を振って拒絶する。
半狂乱になった彼女の様子は尋常ではなく、ワタシは思わず息を呑んだ。
なんてことはない。
彼女は限界だ。
今までに数えきれない程見てきたし、言葉を交わしてきた。
英雄症候群。
超人的なパワーに恵まれた者へ尊敬と畏敬、嫉妬を含んだ色を向ける。
自分とこいつは違う。生きてる世界が違うんだと言い訳や御託を並べても。最後には隣に立ちたくて、埋まらない差に辟易して、到底超えられもしない壁を恨んで。
翼を得たイカロスは分不相応の願望を持ってその身を焼いた。
神に愛され、大望された彼ですら、代償は死だった。
ならば、凡庸な人間が神にも等しい者へと羨望を宿し、無理矢理にでも手を伸ばせば。
「わたしは……わた、しは………………痛いのも、辛いのも、大変なのも、いやなんです……っ!」
ソフィアのように心を折られるのだろう。
キッと睨むように視線を上げた彼女の見つめる先には、先とは打って変わって静謐を纏ったイザベラがいた。
二人の胸中に渦巻いている感情や記憶、経験、願望は計り知れない。
未だ会って数分、ようやく互いの名前を知り合った仲でしかない。
だから、憶測でしかワタシはソフィアを、イザベラを判断できない。
けれど、それでも。
ソフィアの慟哭が、イザベラの理想が相容れないことも。どちらもワタシが見知った相克であることは。
柔肌に刃を突き刺すかの如き痛みを引き起こすことだけは。
よく分かる。
「…………、そう」
一秒か、一分か、はたまた十分か。
丑三つ時の大海のように、耳の痛い静寂と沈黙に包まれていた時が動き出す。
「結局はまた一人なのね………………」
「……? イザベラちゃん?」
「いいわよ、意気地なしは臆病に丸まってたらいいわッ! 敵はぜんぶ、あたしが薙ぎ払って……それで、あんたは逃げたって、残りの人生悔んでなさいッ!」
言うが早いか、ソフィアを、いや、ワタシたち全員を見据えてイザベラは叫んだ。
肩で息をして、目尻には涙すら浮かべて。
まだまだ言い足りないだろうに、イザベラは躊躇なく背を向けた。
「待ってよ、イザベラちゃんっ!」
ルミナリエの静止も虚しく、振り返ることなくイザベラは去った。
後に残ったのはキリキリと五臓六腑を締め付ける鎮痛な空気だけだった。
「ルミナリエ。ワタシは──」
「わかってる。アイちゃん、ソフィアちゃんをお願いできる?」
「ぇ……えと。あぁ、だいじょうぶ」
「よし。ジンくん、いくよ」
きっと、ワタシはルミナリエの声を聞く前に走り出していたかと思う。
引っかかったのだ。
既視感があったのだ。
だから、ワタシは今一度、イザベラに会わなければならない。
もう一度、言葉を交わせる機会を得なければならない。
ほんの小さな違和感。無視しても良かった。
目と瞑り、耳を閉ざして、蓋をしてしまえばよかった。
けれど、最後にはワタシ自身の本能に従った。
なあ、イザベラ。
もういいのだと拒否するのならば。
一体、君はどうして。
助けてくれと、手を取ってくれと、訴えるんだ。




