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1. プロローグ

 愛した人がいた。

 あの人のためになら業火や千の剣山にすら身を投げられるだろう。

 力の代償と言えば聞こえはいい。

 美談にしてしまえば未来永劫語り継がれる伝説となる。

 世界を救った英雄の、ほんの小さな悲哀の物語。

 ワタシの人生を伝記にするなら、きっとそんな感じだ。

 閑話程度の出来事だと、解釈される。


 巨悪を討ち果たし、諸悪を殲滅した大英雄。世界を代表するスーパーヒーロー。


 “運命(ドゥームズ)英雄(ヒーロー)ネメシスの些細な悲劇だと。


 でも、ワタシは薄っぺらい思索で手前勝手にワタシを定義する連中にこう言ってやりたい。


 お前に、ワタシの何がわかるのかって。








 ❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐







 目を開くと中世ヨーロッパにタイムスリップしたのか? と疑問にも思えるステンドグラスが視界に入ってきた。

 鼻孔を刺激するのは柑橘系の特徴的な香りで、耳の痛い静謐だけがワタシの意識を象っている。


「……あれ? ここどこ?」


 ソプラノの声色に視線を音源へと移すと、ワタシの息は止まった。

 何故って? 簡単だ。絶景を見れば感動で言葉が出ないだろう? それと一緒だ。

 滑らかな金髪に、整った鼻梁、白皙な女神がそこにはいた。

 凡庸な空間にぽっかりと空いた孔のように、異質さを漂わせる彼女は、しかしてワタシには他の要因に意識が向く。

 恰好がおかしいのだ。

 修道服を改造したような……まるでプリーストとクルセイダーが合体したような純白の鎧を着用しているときた。

 白のバトルドレスの上に紋章の刻まれた由緒正しき鎧といった面持ちには、思わず平服してしまいそうだ。


「異郷の地より集いし勇者たちよ」


「ひゃっ……!? え、だれ?」


 わかる。誰?

 ようやく周囲へと意識を割けると、想像に違わない光景が広がっている。

 広大で瀟洒な空間には鈍色に光る鎧を規律正しく着こなした数百の騎士が並び、レッドカーペットの敷かれた一本道にワタシと、未だに困惑している女性の二人がいる。

 高みでワタシたちを睥睨しているのは絵に描いた王様で、頭上で煌めく王冠がバカみたいな妄想を現実だと教えてくれる。


「我が国は“地の果て”にある魔族の侵攻を受けておる。既に数多の勇者が散り、国防もまた臨界点を突破した」


 独り言かな?

 こちらの当惑を一切加味せずに一方的に話を突き付けられる。


「故に、異界より勇者を召喚した。貴殿らが最後の勇者にして、我らルーラルドの民にとっての希望となる。どうか、我々のために力を貸してほしい」


 嘆願するには頭が高すぎやしませんかね? とか不平を口にすると首を刎ねられそうな雰囲気だ。

 圧倒される訳じゃない。緊張もしていない。

 ヒーローの経験の嬉しい誤算は図太くなったことだ。今すぐにでも王様(多分、きっと、王様だのはず)の首根っこを掴んで態度を矯正させてもいい。


 けれど、ワタシにはできない理由があった。


「問おう。我らの力を傲慢にも振るおうとする者よ」


 シン──と、ワタシの声が反響した。

 目の前でふんぞり返った男のために設えられたのだろう空間に、異物が紛れ込んだみたいに。

 蜂の巣を突くとどうなると思う?


「……ッ! 貴様ッ! 無礼であるぞッ!」


 ブンブンと煩わしいだけの(外野)が喚きだす。


「よい。述べてみよ、異郷の勇者よ」


 それでこそ王たる者の器だ。

 どこの世界でも同じだな。人を導く者に共通するカリスマとやら。

 ワタシを使った指導者もまた、抗いきれない蠱惑的な魅力を備えていた。

 自然と傅きたくなる心惹かれる魔性が。


「我が問い質すは本質だ。貴様の恐れる力を、一体何に捧げるつもりだ」


「須らく、民の安寧に」


「その言葉、偽りはあるまいな」


「『大聖女』アポロンの名に誓い、真実だと証明しよう」


 目を逸らさないな。

 衆人監査の中で、権力と権威を維持するのは骨が折れるだろう。

 ()()()も常に憂いていた。自分の決定で何人の命が潰えるのかと。

 それでも、責務を果たした。

 貴方も同じだ。

 進退窮まる状況で、どうにか打開しようと決断した結果が()()だ。


 静謐が耳に痛い。

 この場の全員がワタシの言葉を待っている。

 肯定か、はたまた拒絶か。

 もし後者ならば、生かしてはおけない。

 近衛を支配する空気と殺意は明確だ。

 意地でも王を死守するだろう。正しく最後の砦となり、肉の壁となって。


 ならば、安心したまえ。


 ワタシに()()()はないのだから。


「────よかろう。我、ネメシスは貴様の願い通り、悪を討ち果たさん」


 そう、その通り。

 最強で最善、最高のヒーローネメシスはそう言うだろう。

 模範解答だ、大正解。


「感謝する。両名を案内しろ」


「……ッ! はッ!」


 溶解した空間が王の命令によって動き出した。

 敵愾心たっぷりの衛兵が「付いてこい」と、それはもう横柄に吐き捨てる。

 金髪碧眼の絵に描いたような聖騎士の殺意と敵意の混ざった視線からは狂気を感じる。


「……とりあえず、付いて行こっか」


 辟易とした様子の女性は、けれどどこか期待に満ちた声音で騎士に追従する。

 後ろ姿だけでも優雅で、気品にあふれた人だと認識できる。

 背に佩いた身の丈はあるだろう棒。

 純白の布の巻き付いた穂先は彼女の美しさを象徴するように煌めいて。

 衛兵の殺意にも動じず、ただ一人雰囲気に呑まれなかった彼女もまた


 勇者であると。


 ワタシに教えてくれた。







 ❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐







 この先の扉を開けろ。貴殿らの仲間がいる。

 そう言って衛兵は足早に去ってしまった。召喚された──自分で言っていておかしく思うけど──謁見の間が最上階だとするなら、ここは四階分下がった階層となる。

 石造りの王城だと仮定すると些か簡素だと感じてしまう。

 とはいえ、外部の人間を多く召集する場所に装飾を集中させる合理には敵わない。


「ふう……やっと一息、かな?」


 ん~~っ! と伸びやかに肩を解す女性。

 吐息は艶やかで、仕草一つ一つがなまめかしい。少し動くだけで女性らしいプロポーションが垣間見えてしまう。

 一応、礼儀として視線は外しておこう。うん。それがいい。


「さってと。とんでも展開だけど……先ずは自己紹介だね。あなた、名前は?」


 独白なはずもない。

 この場に人間は二人だけで、彼女が奇特な人でなければ質問の意図も明確。


「我はねm──」


「違うちがう。そっちじゃないよ」


 まるで出来の悪い生徒の間違いを指摘する教師のようだ。

 あざとくも頬を膨らませて否を主張している。


「……? 意図を計り損ねる」


「もしかして本気で言ってる? 冗談なら笑えるけど…………そっか。()()()()()()んだね」


 先の態度とは打って変わって、悲壮感のままに瞳を伏せた彼女の真意は掴めない。

 ころころと変わる表情は彼女の心根を表しているようで微笑ましい。

 とはいえ、ワタシには彼女の真意は掴みかねる。

 そんなワタシの疑念が伝わったのだろう、彼女は小さく笑い嘆息した。


「私はルミナリエ=ディアラ。気軽にルーって呼んでね」


「そうか、よろしく頼む。ルミナリエ。我はネ」


「だから違うって……勇者としてのあなたと、本当のあなたは別にあるでしょ? 私は、本当のあなたと腹を割って話したいの」


 彼女の瞳に嘘はない。

 本心から、ワタシを望んでいる。

 ネメシスではなく、ネメシスを宿している魂を。


 本当にいいのか? 相手はまだ会って数分の相手だぞ? そもそも状況自体がおかしいじゃないか。

 目が覚めると見覚えのない場所にいて、魔族の軍勢と戦ってほしいだって? 冷静になってみると滑稽で、突飛だ。

 何者かの精神干渉を受けていると解釈した方がいい。

 気づかぬ間にワタシの隙を突いて攻撃していると。

 ならば、ここで本音を口に出してもいいものか。全てワタシの油断を誘うための演技、もしくは幻影、幻覚ではないか。


「もし、騙されてるんじゃないかって思ってるなら杞憂だよ」


「……ほう。如何にして現実だと断定する」


 返答が遅れてしまった。

 思考を読まれたか、それとも予測したか。

 少なくとも表情を変えたつもりはない。

 ならば、やはりワタシの思考を読んだのか?


「まあ、そんな感じだよ」


「自白するのか、ワタシに干渉していると」


「違うよ。気持ちはわかるけど…………よし、よく見ててね」


 ざわり──ッ! と脊椎が継承を鳴らした。

 ワタシの本能は第六感など当に超越した次元にある。殺意や敵意、負の感情には敏感に反応してしまう。

 眼前の彼女から伝わる言い知れぬ圧迫感は最早無視できない。


「へえ……神力を感知できるんだ」


「…………ワタシを害する可能性のあるものは全てわかる」


「なら、君の経験で()()は見たことがある?」


 ブワリッ! とワタシの頬に風が吹きつける。

 いいや。風などと。そんな柔なものじゃない。

 超常だ。

 竜巻の卵、積乱雲の起点、大嵐の目。

 彼女は摩訶不思議で面妖な力を使って、暴風を引き起こしたのだ。


「どう? あなたの度肝を抜くには十分だっと思うけど?」


 ワックスで塗り固めていたはずのワタシの銀髪は既に形を失くし、引き換えに元凶となった彼女の金髪は微風すらも感じ得ないように変化がない。

 ちらと周囲を垣間見ると、等間隔に設置された調度品の数々は廊下の遥か後方へと吹き飛ばされている。

 それは、詰まる所、彼女の、ルミナリエの神力とやらが正常に作動したこととなる。


「これは頷かざるを得ないな」


「じゃあ、ほんとの名前。教えてくれる?」


 ワタシは、動かされた。

 全身を叩きつける暴風によって僅かに。

 常人にとってみれば誤差だろうと、ヒーローや勇者にとっては過大とも思える変化。

 ()()()()()にワタシを強引にでも動かせる人物はいなかった。それほどまでに、ワタシは強大無比だった。

 伊達に世界一のヒーローを名乗ってはいない。


 ならば、いいんじゃないか? ネメシスの仮面を脱いでも。

 鋳型にはめた救世主の偶像なんて、マントのように取ってしまってもいいんじゃないか。


 躊躇はある。

 だが、逡巡はなかった。


「ワタシは………………(じん)。尽=ウィリアム=ダッチマンだ」


 沈黙は思い出せなかったから。

 錆びついた古時計が再び時を刻むように。

 欠けた歯車が何かの拍子に動き出すように。

 記憶の彼方へと葬り去られた固有名詞が、まるで他人事のようにワタシの口から語られる。


「ん。正直に話してくれてありがとう。よろしくね、ジンくん♪」


 悪戯が成功した子どものようにはにかむルミナリエ。

 ともすれば、彼女は持ち前の神力とやらで惑うワタシの本心を看破していたのかもしれない。

 背を押すために、殻に閉じこもるワタシを引っ張り上げるように。

 罪悪感もあっただろう。

 嫌悪感すらも覚えていたかもしれない。

 されど、彼女は善性に従い、ワタシに手を差し伸べてくれた。


「ああ、よろしく頼む」


 ワタシの気の抜けた返答と、ルミナリエが重厚な扉を開くのは同時だった。

 光の零れる刹那。

 最も新しい記憶と重なった。


 任務が滞りなく終わり、気を許した瞬間。

 抗い難い引力によって、光の濁流に呑み込まれた思い出。

 逆光で輪郭しか知覚できなかったが。

 ()()が、ワタシの腕を掴み、呼び寄せた。

 そんな、気がする。

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