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淡々史記  作者: ンバ
第七、項羽本紀
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二十四、漢の三秦平定、項羽VS田栄

24.

是時,漢還定三秦。項羽聞漢王皆已并關中,且東,齊、趙叛之:大怒。乃以故吳令鄭昌為韓王,以距漢。令蕭公角等擊彭越。彭越敗蕭公角等。漢使張良徇韓,乃遺項王書曰:「漢王失職,欲得關中,如約即止,不敢東。」又以齊、梁反書遺項王曰:「齊欲與趙并滅楚。」楚以此故無西意,而北擊齊。徵兵九江王布。布稱疾不往,使將將數千人行。項王由此怨布也。漢之二年冬,項羽遂北至城陽,田榮亦將兵會戰。田榮不勝,走至平原,平原民殺之。遂北燒夷齊城郭室屋,皆阬田榮降卒,系虜其老弱婦女。徇齊至北海,多所殘滅。齊人相聚而叛之。於是田榮弟田橫收齊亡卒得數萬人,反城陽。項王因留,連戰未能下。


(訳)

この時、漢は反転して三秦を平定していた。


項羽は漢王が已に

関中《かんちゅう》の地を盡く兼併し、

さらに東へ向かおうとしている事、

斉(田栄《でんえい》)・趙(陳余《ちんよ》)が

叛逆したと聞いて大いに怒り、

そこで、もとの呉令の

鄭昌《ていしょう》を韓王に任命して漢を距がせ、

蕭公《しょうこう》の角《かく》らに命じて彭越《ほうえつ》を撃たせた。


彭越は蕭公角らを破った。


漢側は張良を遣わして韓を徇《めぐ》らせ、

かくて(張良は)

項王に書を遣わして述べた。


「漢王は役職を失って

関中を得ようと致しました。


(劉邦を関中の王にするという)

約束の通りにしていただければ

即座に(進軍は)取り止め、

敢えて東には向かいませぬ」


また、斉と梁からの反書を

項王に遣って述べた。


「斉は趙と力を合わせて

楚を滅ぼそうとしています」


楚はこのことから

西(漢)への警戒心を抱かず、

北の斉を攻撃した。


九江《きゅうこう》王の黥布《げいふ》の兵を徴そうとしたが、

黥布は病気と称して赴かず、

部将に数千人を牽引させ向かわせた。

項王はこの件で黥布を怨んだ。


漢の二年(前205)冬、

項羽は遂に北の城陽《じょうよう》へ至り、

田栄もまた兵を率いて会戦した。


田栄は項羽に勝利する事が出来ず、

逃げ出して平原《へいげん》へと至ったが、

平原の民によって殺された。


かくて、(項羽は)

北の斉の城郭や屋舎を焼夷すると

投降してきた田栄の兵卒は

すべて生き埋めにしてしまい、

連なる老弱の者や婦女は捕虜とした。


斉を徇って北海《ほっかい》へと至り、

多くが残滅される所となると

斉の人々は互いに結集して

項羽に叛逆した。


こうして、田栄の弟の田横《でんおう》が

斉の逃亡した士卒数万人を得て

城陽へと戻っていった。


項王は拘留する事に因り

(田横と)連戦したものの

下すことができなかった。


(註釈)

前206年の8月、

劉邦は韓信《かんしん》の策を用いて

旧道から雍王章邯(しょうかん)を襲撃。

水攻めを受けた章邯は果たして自決し

司馬欣《しばきん》・董翳《とうえい》も下して

三秦を平定する事に成功しました。


項羽が斉の田栄と交戦しているうちに

劉邦軍団は中原へ。


項羽は相変わらず

敵対者に対する措置は激烈で、

降伏してきた田栄の兵士は

みんな埋められてしまいました。

斉の残民もこれにはカンカンで

必死に抵抗を続けています。


項羽に反発する諸侯を集結させ

56万の大兵団を築いた

劉邦でしたが…………

次回、楚漢戦争のハイライトである

彭城《ほうじょう》の戦いです。

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