二十三、田氏の抗争、張陳決裂
23.
田榮聞項羽徙齊王市膠東,而立齊將田都為齊王,乃大怒,不肯遣齊王之膠東,因以齊反,迎擊田都。田都走楚。齊王市畏項王,乃亡之膠東就國。田榮怒,追擊殺之即墨。榮因自立為齊王,而西殺擊濟北王田安,并王三齊。榮與彭越將軍印,令反梁地。陳餘陰使張同、夏說說齊王田榮曰:「項羽為天下宰,不平。今盡王故王於醜地,而王其群臣諸將善地,逐其故主趙王,乃北居代,餘以為不可。聞大王起兵,且不聽不義,願大王資餘兵,請以擊常山,以復趙王,請以國為捍蔽。」齊王許之,因遣兵之趙。陳餘悉發三縣兵,與齊并力擊常山,大破之。張耳走歸漢。陳餘迎故趙王歇於代,反之趙。趙王因立陳餘為代王。
(訳)
田栄は、項羽が
斉王の田市を膠東に移して
斉将の田都を斉王にしたと聞くと、
かくして大いに怒り、
斉王を膠東へ遣る事を肯んじずに
斉を挙げて反逆、田都を迎撃した。
田都は楚へと逃げ、
斉王の田市は項王を畏れて
逃亡し、領国の膠東に就いた。
怒った田栄は田市を追撃し、
即墨にて彼を殺害、
西で済北王の田安も撃ち殺し、
併せて三斉の王となった。
田栄は彭越に将軍の印を与えて
梁の地にて(項羽に)反くよう命じた。
陳余は密かに張同と夏説を遣わして
(新)斉王の田栄に説いて言った。
「項羽は天下の宰相となりましたが
公平でありませぬ。
今、もともと王だった者を
盡く醜地(僻地)の王とし、
自身の群臣や諸将を
善き地の王としており、
(私の)もとの主である趙王も
かくて北の代に居しておりますが、
余は不適当だと考えています。
聞けば、
大王(田栄)が挙兵された事は
不義を聞き入れる事が出来なかったとか。
どうか大王、余に兵をお貸しいただき
常山を撃たせてくださいませぬか。
趙王を復権させ、国を以て
捍蔽(藩屏)とさせてくださいませ」
斉王はこれを許可し、
兵を趙へと派遣した。
陳余は三県の兵を悉く徴発し
斉と力を合わせて常山を攻撃、
これを大破した。
(常山王の)張耳は逃げて
漢(劉邦の国)へ帰順した。
陳余はもとの趙王・歇を
代から迎えて趙へ帰した。
趙王はこの事に因み
陳余を立てて代王とした。
(註釈)
第7節で登場した田栄、
あの時も内ゲバで荒れていましたが、
自分が斉王に立てた田市が
僻地に追いやられたと聞いて怒り心頭、
新たに王となった田都と田安を殺して
自ら三斉の王に名乗りをあげます。
元主君の趙王を僻地に飛ばし、
同僚の張耳を常山王に任じるという
項羽の不公平な采配に
憤りを抱いていた陳余もこれに呼応。
田栄と力を合わせて
張耳をぶっ飛ばしました。
もともと「刎頸の交わり」と称される
マブダチ同士だった張耳と陳余ですが
あっさり殺し合う関係に。世は無常。
一方の我らが劉邦、
こちらは封地の漢中へ移る際に
桟道を焼き払っております。
これには、群盗の侵入を防ぐとともに
唯一の進軍経路を焼いてしまう事で
項羽と范増を油断させる目的がありました。
また、このタイミングで
劉邦の陣営に加わったヤバい奴がいます。
国士無双・韓信です。




