第36話
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地図を用意してきて本当によかった。
「はい。それでは巨人の胃袋の中身を確認させていただきますね。少々お待ちください」
俺達の成果を詰めた袋を受け取り、受付に座っている狐耳の女性が呼ばれて来た男性に袋を預けた。
それを見届けた俺達は待ち合い用のスペースに移動し、各々椅子に腰かける。
「………」
待つ間、誰も口を開かない。俺達3人にはもう、気軽に雑談をする体力も残っていなかった。
ただただ「早く帰って休みたい」と、それだけを思っていた。
ロゼと呼ばれていた女性から逃げ延びた後、下水道の中、俺達は元来た道を大きく外れ帰り道を見失ってしまった。
持ち込んでいた地図のおかげで現在地をどうにか確認し、そこから息詰まるような圧迫感と不安に苛まれつつ、ようやく最寄りの出口に辿り着き下水道を出た頃には、気の早い冬の太陽は暮れ空を赤く染めてしまっていた。
「シルク様、精算が終了しましたので受付までいらしてください」
「あ、はい」
受付に呼ばれたシルクが立ち上がり、フラフラしながらカウンターへ向かう。戻った時にはその手に数枚の紙幣を持っていた。
「9匹を倒したので7万2000ゼニーになりました」
シルクの告げた数字が、俺達の初めての依頼の報酬金額だ。でも、
「分けるのは、明日でいいよな」
「帰ろう、早く帰ろう」
「う、うん」
俺とアルカはそのお金をとりあえずシルクに任せ、帰宅を急かす。大勢の冒険者達が作る騒がしさや活気すら、疲れ切った今の俺達には辛かった。
俺達3人は肩を寄せ合いどうにかこうにかサニーの店に戻る。
「あ、お帰り……って、ちょっと! 大丈夫じゃないよねそれ!?」
レジの向こうに座っていたサニーは俺達の姿を見るなり立ち上がり、駆け寄って支えてくれた。
「ごめん、サニー。今お店は手伝えそうにない」
「当ったり前でしょうが! 早く部屋に行って寝る! 運ぶから!」
力強く優しい彼女の言葉に心底安心する。だが、そこから先の記憶が俺にはない。
後で聞いた話によると自力で部屋に戻って着替えて寝てたらしいけど、全く覚えていなかった。
ともあれ、こうして俺の最初の冒険は終わりを告げた。
新しく出会った鮮烈過ぎる縁と、敗北の経験と、圧倒的な無力感と共に。
「……ぐう」
それから2日の間、俺は寝込んで動けなかった。
※ ※ ※
目を覚ましてからの俺は、前にも増して自分の研鑽に励むようになった。
「はっ、やっ、せやっ!」
「わっ、ちょ、ちょまっ! こらっ!」
アルカとの朝の稽古、体を起こす意味も含めて彼女に付き合ってもらう。
「イサム! こら、イサム!」
「っ! そこだ!」
度重なる打ち込みの先、アルカの中に生まれた一瞬の隙を狙って、俺は必勝の念を込めて突きを放つ。が、
「こ、の!」
受けに回っていたアルカの目の色が変わる。打ち込んだ俺の突きを僅かな剣の重ねで逸らした次の瞬間には、体を回して踏み込みを掛け俺の懐へと潜り込み、
「バカ!」
「ごふっ!!」
がら空きの鳩尾に剣の柄を使った強烈な一撃を抉り込む。
「かはっ、あっ」
久しぶりの感覚だった。ちょっと思い出したくない痛みだった。息が出来ない辛さに膝を折りうずくまる。
「一日の準備運動みたいな稽古で本気出す奴がいるわけないでしょーが。なーに面倒臭いことさせるのさ」
「ぐ、う……」
「わたしで八つ当たりしないでくれる? そういうことするなら稽古つけないよ?」
俺の前で屈むアルカは相当にご立腹な様子で、痛みに震える俺の頭をポンポンと叩いてくる。
「ご、め……」
「……うむ。なら1回だけ治療してよし」
謝る俺にアルカは頷き、彼女の許しを得た俺は治癒の法術で受けたダメージを癒した。
ちらりと視線を横に向ける。植木鉢の上、ランナーを伸ばし子株を作りかけているイチゴの苗がそこにあった。
「……すぅ、はぁ」
息を整え立ち上がる俺を前に、アルカは手に持った刃を潰した剣を向け、告げる。
「構えて」
「……うん」
俺は今度こそ、しっかりとアルカと腕を磨いた。
※ ※ ※
朝の稽古が終わり朝食を摂った後は、シルクと一緒に冒険者の依頼をこなす。
「デモン語で朝食を何と言いますか?」
「Prima colazione!」
シルクは今、王都内のとある私塾で臨時講師を務めている。俺はその補佐に回り、教材の運搬や生徒の様子を見守ったりしていた。
私塾というのは大体7歳から11歳の子供を相手に授業を行う半公的な教育機関で、俺の世界でいうところの義務教育を任されている場所らしい。その規模は様々で、キュリオス村のように村の子供を集めそれっぽく教えを説くような場所から、ここのように10人程度の子供をそれこそ俺の通っていた学校のように同年代で分け画一的に教育を施すようなところもある。
(っていうか、選択授業で他国語があるってすごいな)
シルクが冒険者として請け負った仕事は、デモン語の基礎教育を行う講師の代理だ。本来その役目を負うはずだった人員に欠員が出たその穴埋めをすることになっている。
この国の最大の教育機関であるヒュリム国立教育学園の卒業生であるシルクだからこそ受けられるレアなお仕事だ。
ちなみに同学園の卒業生であるアルカはこの仕事を行う午前中、自分の部屋に戻って寝ている。
早起きに付き合う代償に彼女が要求した物だから俺から文句はない。でもちょっとだけ、子供達に武術を教える彼女の姿を見てみたかった気がしなくもなかった。
「シルク先生!」
「はーい」
10歳の子供達の相手をするシルクの姿は様になっていた。しっかりと目を利かせて子供達の分からないを少しずつ分かるに変えていく。
(まぁ、教え方の上手さに関しては俺がよく知っているしな)
君達の先生の凄さは俺もよく分かっているのだよ。なんて、ちょっとだけ誇らしげにしても罰は当たらないだろう。
「イサムさん、黒板に3番の紙を」
「はい」
シルクの指示に従い俺は授業をサポートする。本当ならそんな人必要ないのかもしれないが、俺は無理を言って参加させてもらっていた。
「次は挨拶の復習をしようね」
「はーい!」
(挨拶か)
デモン語を習いたいと言っていた俺にとって、この授業の時間はとても貴重な学びの場だった。子供のレベルに合わせた教え方だから理解し易いし、基本をみっちりと繰り返す手法も俺と相性がいい。
マンツーマンの授業を受けていた時に比べて知りたいことを知りたい時に聞けない難儀さはあったが、そもそも生活のために学ぶ時間が取れないことの多い冒険者の日々の中で、こうしたチャンスが作れたこと自体がありがたかった。
「はい、それじゃ私の授業はこれまで。次の先生が来るまでに準備しておいてね」
「ありがとうございましたー」
授業が終わり俺達は私塾の物置に教材を片付けに向かう。
「シルクの話、皆ちゃんと聞いてくれてるな」
「はい。いい子ばっかりでよかった」
「いや、あれはちゃんとシルクを先生だって思ってたからだと思うよ。皆シルクを敬ってた」
この仕事を始めて2週間。シルク先生は数日も掛からずにこの状況を作り上げていた。
「そんな、えへへへへ……」
褒め言葉に照れ笑いを浮かべるシルクは、さっきまでのキリッとした先生の顔と違って年相応の女の子の顔だった。俺はその顔を可愛いと思う。
「イサムさんはちゃんとヒュリム語のテストに合格したんです。きっとデモン語もすぐに覚えられますよ。はい、Sano」
「元気」
「正解です」
雑談の中にデモン語の単語問題を混ぜるのが、最近の俺とシルクの流行りだった。
※ ※ ※
冒険者でない時にはサニーのお店のお手伝いだ。
「い、いらっしゃいませ……」
「らっしゃー」
「シルク声が小さいよ! もっと大声で元気良く! アルカは真面目にちゃんと発音して!」
夕方を前にサニーのお店では、彼女による新人教育が今日も執り行われていた。
「復唱してね。いつもニコニコお日様のいる店!」
「い、いつもニコニコお日様のいる店!」
「いっつーにゃーにゃーひしゃーるっせー」
「ア・ル・カ! 真面目にちゃんと発音する!」
「うえーい」
「こーらアルカー!」
「まぁまぁ抑えて、サニー」
やる気を一向に出さないアルカにサニーは手を焼いているようで、こうやって怒鳴っては指導を繰り返す姿をよく見るようになった。
シルク以上に世話焼きで、どこか二人に対してお姉さんぶろうとしているサニーと、その手のべったりとした構われ方を苦手にしているアルカはどうも相性が悪いようだ。
「真面目にやってよー」
「やだ面倒臭い。本番だけでいいじゃん」
「その本番をしっかりこなすための練習でしょー?」
割と何でも器用にこなす天才肌なアルカと、ここまで叩き上げで駆け上ってきたサニーの見解は残念ながら噛み合っていなかった。
「イサムくんからも何か言ってよー」
倉庫整理をしていた俺にサニーが助けを求めに来た。だが、俺にはこの状況を改善する策はない。
「アルカには言っても無駄だと思うよ?」
「ええー」
アルカは実践の中で学んでいくタイプだと思うから、彼女にはとにもかくにも仕事をしてもらう方がいい。でもそれを教えると今度はアルカに休まる時間がなくなって、彼女の恨みを買ってしまう。
「うーんうーん、何か手はないものか……」
悩むサニーには申し訳ないけれど、是非とも自分で答えに辿り着いて欲しいと願う次第である。
「アルカ、サニーの言うことも汲んであげなよ」
「えー、何でさ」
それに、この件については俺が何かを言うよりも適任が居る。
「ビシッとこなした方が早く終わると思うよ?」
「ああ、まあ。そうかな?」
「そうそう」
シルクの言葉にアルカが少しずつやる気を出していく。この辺りの信頼関係は、やっぱり一朝一夕では作れないものだと俺は思う。
「サニー、もう一回お願い出来る? 今度はアルカもちゃんとやるって」
「え、本当!?」
「一回だけだかんね」
「いいよいいよ! ビシッと決めて一回で完璧にしよう!」
話が纏まり、3人が練習を再開した。
俺はそれを遠巻きに眺めつつ、サニーに頼まれた倉庫整理を再開するのだった。
※ ※ ※
そしてまた別の日、俺とシルク、アルカの3人は大勢の冒険者の中に混じっていた。
「冬に東部平原に沸く魔物、テンペストバイソンの討伐に集った冒険者達よ! お前達の稼ぎ時だ!」
「おおー!!」
「奴らが疾風の如く駆け抜けた後には踏み躙られた大地しか残ってはいない! 自然は取り戻せるかもしれないがそこに住む人々の生活は跡形もなく破壊される! そうさせるわけにはいかない!」
「おおー!!!」
「もう一度言う! お前達の稼ぎ時だ!! 存分にやれ!!!」
「わあーーー!!!」
依頼を出した国の偉い人の演説に、冒険者達は沸き上がる。その中で俺は初の大規模戦闘にドキドキしていた。
「おい新入り。怯えてるのか?」
そんな俺に声を掛けてくれたのは獣人種の、狼の耳をした男性の冒険者、ババラウさんだ。
「大丈夫だ。相手の正面からぶつかるような無茶さえしなけりゃ、早々後れを取ることはねぇ。必要なのは狙える位置まで相手を引き付ける。それまで対峙し続ける勇気だけだ」
「はい」
「それに、お前の居る班の班長はこの俺、牙の部族の誉れ高き犬人のババラウだぜ? この胸の牙骨の首飾りに賭けてお前等新人を守ってやるよ」
「ありがとうございます」
「おう!」
「さっすが、一昨年力比べだーって正面から挑んで吹き飛ばされた特攻隊長様は説得力が違うわね」
「うっせぇメロル! 俺だって日々成長してんだよ!」
絡んできた人間種の女性冒険者にババラウさんがやり返す。熟練の冒険者達の活躍はこれから嫌というほど見ることが出来るだろう。
(依頼も頑張る。でもそれだけじゃなく、先人の冒険者達から何かひとつでも学び取っていければ)
「……ふぅん?」
「?」
ふと、ババラウさん達の視線が俺に向いているのに気がついた。
「悪くない目ね。先を見てる」
「でもお前、だからといって目の前を見失うなよ? 少しずつだぜ?」
その言葉をすぐに実践する機会が来る。
「お前ら、来るぞ! 足止めの柵がもつ時間は少ない。その間にガッツリ相手を押し返してやれ! 各班行動開始!」
作戦開始の号令が出た。
「おら、行くぜ新人!」
「……はい!」
俺は苦手としている冒険を、ひとつひとつ必死になってこなしていった。
家から家へ荷物を運んだ。
薬の材料になる植物を採取して回った。
王都の周辺に湧いた動物や魔物を狩った。
お婆さんの話し相手になった。
ヒュリム語の復習をしつつデモン語の勉強をした。
法術の訓練も剣術の訓練も続けた。
サニーの店の手伝いをしながら、時々トマスさんのお店やランダさん、ショキさんの店にも顔を出した。
ご近所付き合いも少しずつ増えて、店の隣の庭でバーベキューもした。
冒険者の知り合いも増えて、色々なアドバイスをして貰ったり、馴染みの酒場も紹介してもらった。
初めて飲んだ酔っ払いの水の味はとんでもなく苦かった。
一日一日、俺は日々を過ごす。
新しい発見や新しい出会い、新しい刺激に富んだ毎日はとても充実していて、楽しかった。
でも、俺はその間一度として王都地下迷宮に近づかず、人と戦う可能性のある依頼は前以上に徹底して避け続けていた。
※ ※ ※
そんな風にして過ごしていると気がつけば季節が移り変わり、冬は春になっていた。
「おー」
この世界では年の始まりは春の訪れと共に来る。女神と精霊の月、その1日目がお正月だ。
王都の大通りではパレードが行われ、南東の娯楽街にある世界最大の大劇場や闘技場では、新年を祝う派手なパフォーマンスと舞台が開かれている。
サニーのお店も年明け最初である今日は休み、サニーもアルカもシルクも新年祭を楽しむべく3人でお出かけしている。
俺も自由に過ごしていいってことで、こうして一人のんびり王都を散策しているというわけだ。
「はい、お兄さん毎度あり!」
「どうも」
道すがら鶏肉の串焼きを買い喧噪の中を進む。普段から人の溢れる王都だけれど、今日は特に賑やかだ。
道端で道化師の格好をした人がジャグリングを披露している。手の中で踊り舞う5つのりんごは子供達の歓声を引き出していた。
クラシックギターのような楽器を演奏する吟遊詩人が歌っている。優しい歌声に集まった観客はほうと聞き惚れていた。
臨時の屋台からは引っ切り無しに客引きの声と美味しい食べ物の匂いがする。気づけば鶏肉の串焼きが炒めた野菜を挟んだパンになってた。
「うん、美味しい」
美味しいけれど、パサッとしたパンのせいで喉が渇いた。
「お」
きっと裏で場所の相談とかしているに違いない。欲しいと思った辺りで俺の視界の先に果実の搾り汁を売る屋台があった。
「すいません、飲み物を……うっ」
気軽に近づいて俺は後悔した。
(この匂いは……!)
甘い、蜜柑の香りがした。
「うん、どうしました?」
「……いえ、何でもないです」
不思議がる店員に手を振り、俺は屋台から離れる。人混みから外れて、影の差す路地裏に入った。
「ふぅー……ふぅー……」
しばらくそこに留まって呼吸を整える。不意打ちだったせいか、胸の鼓動が早くなってしまっていた。
「大丈夫。大丈夫だ」
あれから3ヶ月近く経った。それでもまだ、あの時に嗅いだ香りは忘れていない。
どんなに訓練しても、どんなに実践しても、どれだけ学んでも、どれだけ経験しても、まだ、俺の中に拭えない物がある。
『でもね、やれる時にやれるようにならないとダメよ?』
彼女の言葉を思い出す。あれはきっと、この世界の暗い場所から俺に語り掛けてきた真実の言葉だ。
「……人を殺すってなぁ」
それが世界の常識なのだとこの3ヶ月の間俺は何度も耳にして、間接的にも目の当たりにした。
「そんな覚悟なんて、出来るものかよ」
俺は1週間前にC級冒険者になった。
それでも、人を助けるためにも、敵を害するためにも、人を殺す剣を振るうことが出来ないでいた。




