第35話
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予想だにしなかった相手による暗がりからの襲撃。
持ち上げた剣の刃に刃が重なったということは、相手の狙いは俺の胸元よりも上、おそらく……
(首を狙ったんだ……!)
人間が首を狙って刃物を振るう目的なんてひとつしかない。それに、全身に感じ今もまだ俺の脚へ震えを残している向けられた感情、敵意。
(確実に俺を、さっきの一撃で殺すつもりでいた)
光を嫌がり相手が距離を取ってくれたおかげで、俺は自分の置かれた状況をどうにか理解することが出来た。
切られていたかもしれない首筋に冷たい汗が流れる。
「イサ……」
「アルカ、シルク! 身構えて! 俺は死にたくない!」
腰を落とし、体勢を整えるために数歩後ろに下がりながら、俺は背後の二人に声を張る。我ながら情けない呼びかけだと思うけれど、言葉を選んでいられるほど俺に余裕はなかった。
「……!」
二撃目が来る。そう思って俺は暗闇を見つめ続ける。そして、
「えっ」
聞いた。
それは鼠達の気配を散らしながらゆっくりとこちらに向かって歩いてくる、二人分の足音だった。
「可哀想と思わなくもないが」
「悪く思うなよ?」
シルクの操る光球が照らした先には、筋骨隆々のいかにも荒くれ者然とした人間種の男達が迫っていた。
※ ※ ※
(……違う)
男の髪はそれぞれ黒と茶色、それに光から逃れる時の軽やかな動きが出来るような体格じゃない。
(もう一人居る。俺を狙ってきたのは多分、細身の人のはずだ)
近づいてきている男達は囮、陽動の可能性すらあるんじゃないかと思う。それくらい、今向けられている敵意とさっき感じた敵意は質が違った。
「へへっ。女の声がしたから顔出してみたが、いいねぇどっちも中々魅力的じゃねぇか」
黒髪の男が、俺の後ろに立つ二人に視線を向け口を開く。
「何さ?」
「若い女、それも冒険者やるくらいには気が強そうないい面構えだ」
「ふーん、で?」
値踏みをするような視線と言葉に、返事をするアルカの声は一段低い。だがそれでも彼女がしっかりと言葉を返すのは、少しでも時間を稼いでより多くの情報を得ようとしているからだと俺達は知っている。
男達は俺達を、特にアルカとシルクの二人を、物を見ているかのような見下した目で見ている。
下卑た目っていうのはこういうのを言うんだろうと、いらない知識を一つ俺は知った。
「男は殺す。女は無力化して連れ帰る」
言葉一つに身が総毛立つ。目の前の男達は間違いなく、真っ当な人間じゃない。
「連れ帰ってどうするつもりなのさ」
そんな相手であってもアルカは動じない。動じなく見せる。
俺の背後から響く彼女の声は、この場の誰よりも強く、真っ直ぐに響いている。
俺はそんな彼女の思いを汲んで、必死に男達を観察し、そして考えを巡らせていく。
「そりゃもちろん、遊び相手になってもらうのさ。生憎と今しがた振られたばかりなんでな」
「ははっ、お前移り気も過ぎるといつか本気で刺されるぞ」
「ちげぇねぇ」
よほど自分達の腕に自信があるのか、それともこちらを侮りきっているのか。男達は動かないでいる俺達を前に会話を楽しんでいる。
「どっちも田舎臭さがあるが、育ちは悪くねぇよな。どういう生き方してんだか」
「赤い髪の方はスカした顔してるが、だからこそ楽しみ甲斐がありそうだぜ」
「ほー。じゃ、あっちの薄金の美人さんはどうなんだよ?」
時間稼ぎに我慢して聞いていた男達の会話だったが、その次の言葉があらゆる意味で決定的な一言になった。
「そっちはちっと背が高すぎやしねぇか? 見た目が良くてもデカ過ぎちゃなぁ……」
「!?」
「お前……ッ!」
茶髪の男が言ってはならない言葉を口にした。俺の脚はもう震えていなかった。
「おっ」
「せぇっ!!」
茶髪の男に向かって右側から剣を振るう。これ以上この男をアルカ達の近くに近寄らせたくなかった。が、
「やっぱ素人だな。てんで踏み込めてねぇ」
俺の振るった刃は男が腰に携えていた剣を半抜きにした状態で受け止められてしまった。押し込んだはずの剣戟も、男の太い足で支えられた軸を崩すに至らない。
「おらっ!」
剣を抜き放つ動作に押しつけた刃を引っ掛けられ、俺の方が押し返される。たまらず左足を踏みしめバランスを取る俺に、抜ききった剣を男が真っ直ぐに振り下ろす。
「おおおっ!」
振り下ろされた刃を厚みのある剣の腹で受ける。すぐさま位置をずらし擦らせ、掛かる力を逸らす。
「もういっちょ!」
いなしきる前に男は強引に腕を引いてもう一度剣を振り下ろしてくる。鍛えられた体に合った豪快な剣の扱い方だ。だが、
「ふぅっ!」
その剣が振り下ろされる直前、俺は息を吐くのと同時に踏みしめていた左足で地面を蹴る。
相手とより距離を詰め、懐へと潜り込む。
(怖がったら負けだ。踏み込め!)
体格も力も相手が上なら、小ささを、弱さを武器にする。
大きさを恐れて近づいては来れないだろうという、相手の驕りに付け込む。
「な、こいつ!?」
踏み込んだ分だけ相手の剣は当たらずに、こちらの剣が当たる位置へ来れた。
俺は右足でブレーキを掛けると同時に左から右へ剣を……!
「……つぁっ!」
咄嗟のことだった。俺は男の胴体に真っ直ぐに入れそうになっていた刃を傾けていた。
「ぐっぁっ!?」
刃は深く入らない。それでも切れ味の鋭い剣は男の服を裂き胸当てを留めていたベルトを切り、筋肉質の体に傷をつける。
切ったところから血が噴き出した。
「!」
俺と同じ赤い血がそこから出ている。
「いっ、でぇ……!?」
切られた男が痛みに苦悶の表情を浮かべている。
今起こったのは力と技の衝突。押し切ろうとした相手の力を俺の技が上回り、こちらの一撃が相手に命中した。その事実を積み重ねた結果が現在だ。
(相手はシルクのことを傷つけた。それに、真っ当に生きてきたとは到底思えない存在だ)
そう、思えているのに。
「くそがぁ!」
「っ!」
痛みに剣を捨てた男がしゃにむに伸ばしてきた腕から必死に後退して逃れる。
脚はまともに動いても、今度は俺の手が震えていた。
(出来なかった。俺には、あいつを切り伏せることが、出来なかった!)
「イサムさん!」
「……ごめん、シルク」
その時の俺は、彼女に対してただ謝ることしか出来なかった。
「ちっ、思ったよりやりやがるな!」
「ただのゴロツキ相手に負ける気はないよ」
俺が茶髪の男に攻撃を仕掛けたのに合わせて、アルカはもう一人の黒髪の男に対峙してくれていた。俺以上の剣の使い手であるアルカは終始相手を圧倒し、相手が引いても誘いに乗らず深追いしないで守勢を維持し続けている。
おかげで逃げ帰った俺が体勢を整える間、彼女が壁になってくれた。
(アルカの剣は俺と違う)
黒髪の男と切り結ぶ時、腕を切り落とそうとしたり、胴を薙ぎ払おうとしたり、その一撃にはどれも必殺の気概が込められていた。相手もそれを察してか、何度も引いては得意の間合いに引き込もうと必死になっているのだ。
「このくそ野郎が……!」
俺が体勢を立て直したのと同じく、茶髪の男も落とした剣を拾い、怪我を負った右脇腹を左手で押えながら剣を構える。
「イサム、今この二人は無理」
「分かってる!」
アルカの呼びかけに強く声を張って俺は彼女の隣に並ぶ。だが、
「……うぅ!」
俺は、目の前にいる男達がさきほどまでと違って恐ろしくなっていた。
「やれるの?」
「……っ」
アルカの問いに答えられない。でも、やらないといけない。
(そうだ、やらないといけない……!)
そうじゃないと、アルカも、シルクも!
「踏み止まる勇気を! 押し返す力を! 拡大・耐久強化!」
「!?」
知らず自分を追い込んでしまっていたと気づいたのは、シルクの力強い詠唱が耳に入った時だった。
彼女の高らかな法術の宣言が聞こえた直後、俺の体の内側から燃えるような力が湧き上がる。
付与されたのは身体的な強化を施す法術だったが、その力は俺の心を強く鼓舞してくれた。
「アルカ、イサムさん!」
シルクが強く俺達の名前を呼び、言い放つ。
「……あいつらを、ひっ捕らえましょう!」
「!」
ハッとした。目が覚めた気分だった。
「うえー、面倒臭い」
アルカが露骨に嫌そうな声を出す。
当然だ。相手は少なくとも俺より力の強い男が二人に、隠れているだろうもう一人がいる。俺に二度目のチャンスなんてないかもしれないし、段違いの強さを感じた3人目が動いたらきっとひとたまりもない。
だというのにシルクは、この場の判断を任された俺達のリーダーは、逃げるでもなく倒すでもなく、捕まえろと指示を出した。よりによって一番難しい作戦である。
でも、
「……了解!」
「うわあー」
アルカには悪いけど、その指示が何よりも一番、俺には達成出来そうな指示だった。
「法術一つでひっくり返せるかよ!」
「仕掛けるぞ!」
シルクが付与してくれた力が、俺の脚により強く踏み込む力を与えてくれている。スタミナが湧いてくる。
「茶髪は任せて。俺の方は気にしなくていい」
この言葉を俺がアルカに言えたのは、ひとえにシルクのおかげだ。
「イサム? ……信じるからね、それ!」
「はい!」
俺は剣の柄を強く握り締める。
震えていても、恐れても。どうやら俺は一度も剣を手放さなかったらしい。
「死ね!」
俺が懐に飛び込むと読んだ相手が、大振りの縦切りではなく剣を横に薙いで俺を迎え撃つ。
「おおっ!」
対して俺は柄を両手で握り、刃を縦に構えて前進する。
一見して相手の予想通りの突撃だが、俺の狙いはそのマッシブな体じゃない。
「だぁぁぁ!!」
裂帛の気合を込め、俺は剣を振り下ろす。そして刃は狙い通りの物を捉え、次の瞬間。
バキンッ!
「げぇっ!?」
相手の剣の刃を叩き折った。
「こちとら名商人の手入れが入った、高品質の剣だ!」
最初に打ち合った時、相手の持つ剣の雑な手入れに気が付いた。
力任せに剣を振るのが好きな相手だと思えば、その手入れが雑なのも想像に難くなかった。
(後は俺の剣を、サニーから買ったこの重い剣の厚みを信じるだけだ!)
剣を叩き折った勢いのまま、男の体に肩からぶつかる。
「ぬがっ」
全体重を乗せた体当たりにはさしもの足腰もぐらついたようで、男が体勢を崩す。
「すぅー!」
ぶつかった衝撃でその場に留まった俺は、息を吸うのと同時に左手を自由にし、掌に力をイメージする。
(やれる!)
確信があった。
「おおおおお!!」
俺は左手で掌打を放つ。もちろん狙いは打撃によるダメージではない。
「震えろ!」
日本語で叫ぶ。目論見通り、俺の中で強くイメージ出来た言葉は力になった。
「ぐっぶっ!?」
発生した魔法の振動が、相手の腹から伝わり内臓を揺らす。
意識を刈り取る法術にしては、いささか威力過多な衝撃が相手に伝わるのを感じた。
「ぶぁっ!」
茶髪の男が吹き飛ぶ。
打ち込んだ手の威力と、発生させた法術の威力が互いの力を引き出しあったのかもしれない。
そのまま受け身も取らずに倒れた音が、光球で照らせない暗がりの向こうから聞こえた。
「この野郎!」
切り結んでいたアルカともう一人の男の戦いもすぐに決着がつく。
焦れに焦れた男が遂に手を出した踏み込み過ぎの一撃。それをアルカは待ってましたとばかりに受け止める。
「下手くそ!」
「あっ!?」
突き込まれた剣をアルカは自分の剣と絡め、相手の力をそのまま利用し巻き取って、弾き飛ばす。
男の手から離れた剣は、勢いよく天井に当たってからくるくる回転しつつ、
ドボンッ
下水の中へと沈んでしまった。
「ま、待て!」
「んっ」
両手を挙げ降参を示す黒髪の男。
だが男の言葉を無視してアルカの刃は真っ直ぐに伸び、その首の皮一枚届くか届かないかギリギリまで迫る。
「刺すよ?」
「ひぃっ!」
いつでも刺せるところでピタリと刃先を止めたアルカの、ドスの利いた脅し文句に男は顔面蒼白。
恐れおののきよたよたと数歩退いた後、背中を向けて一目散に逃げ出した。
鼠よりも遅かった。
「アルカ! イサムさん!」
「待って」
「待った」
歓喜の声を上げようとしたシルクを俺とアルカが同時に声を掛けて諌める。まだ、終わりじゃない。
「な、なぁロゼ! 助けてくれよぉ」
「切られたところから血が止まらねぇんだ。俺を運んでくれ!」
暗闇の奥、男達が誰かに縋っている声が聞こえる。間違いなく、最初に俺を襲った奴だ。
その人物がどうして今まで様子を見ていたのかは分からない、が。
「頼むよぉ、ロゼぇ」
「い、いてぇよぉ……!」
男達の請い願う声の後、俺はその3人目の敵の声を聞いた。
「はぁ、掃除屋がゴミになってどうすんのよ」
気だるげな雰囲気の、女の人の声だった。
「は、冗談だろロゼ」
「ああ、あああああ!?」
「持って帰ってあげるから軽くなってね」
「止めグブッ」
「ぎゃあゴボッ」
闇の中で動きがあった。
男達の口から出ようとした絶叫が、言い出したところで二つとも途切れて消えた。
そこで何が起きたのか。俺達3人は誰一人として認識を間違えなかった。
※ ※ ※
「アルカ」
「分かってる」
もう根齧り鼠がどうという話じゃない。ここにいたらヤバい。そう全身が訴えている。
「シルク、逃げるよ」
「うん!」
少しでも遠くへ。そう思って俺達は来た道を全力で引き返すことを決める。
「……っ!」
でも、その人は俺達の誰よりも早く、そして何の迷いもなかった。
「庇うの? 逞しいのね」
「こ、の……!」
咄嗟の、判断だった。
俺は逃げず、背を向けた二人を庇うようにして相手に立ちはだかり、それを迎え撃つ構えを取った。
おかげで俺はその人の振るう短剣の一撃を、辛うじて剣で弾くことに成功した。
「うんうん。いい子、ね!」
「ぎっ!?」
即座に放たれる二撃目。重ねて正面から来ると思っていた一撃は、しかし一瞬の間の後俺の左側から襲ってきた。
左脇腹に何かが食い込んでくる感覚。目の端に捉えたのは、俺の胴に深々と撃ち込まれた厚底のブーツの先端だった。
攻撃するタイミングをずらしてからの、一切の容赦がない回し蹴りだった。
「ガ……ハッ!」
壁に背中を強かに打ちつける。運悪く後頭部もぶつけた。
リュックを背負い、法術の付与があった体でも、横から後ろから上から響く衝撃に眩暈がした。
「イサム!」
「イサムさん!?」
離れた所から、俺を呼ぶアルカとシルクの声が聞こえる。だが、俺はそれを確かめることが出来ない。
衝撃にクラつく視界もそうだが、壁に打ち付けられた状態で、俺は何かに肩を押さえつけられその場に固定されていた。
ブレた視界が次第に定かになっていくと、俺は俺を押さえつけている相手をはっきりと捉えられるようになる。
俺の肩を押さえつけていたのは、しなやかで細い腕。
(青い髪、褐色の肌……。紅い、瞳……)
揺らぐ視界の先に居たのは、年の頃20前後の綺麗な女性だった。
「剣術に、法術と体術の合わせ技。ずいぶん器用なことするのね、アナタ」
「う……」
「それにこんなにされてもまだその剣ちゃんと握ってるんだもの。凄いわね。何か諦められないことでもあるのかしら?」
目の前の女性は俺を興味深げに観察しながら問いかけてくる。
俺の返事は特に期待していないようで、彼女の口からは次々と言葉が続いた。
「アナタ面白いわ、面白い。だってそれだけ色々考えられるのに、それだけ強いのに、人を殺すのが怖いのね」
「!?」
図星を突かれて目を見開く。そんな俺の反応ひとつひとつを楽しんでいるのか、目の前の女性は俺の予想の範疇を超えた行動を取り始めた。
「ほら、怖い怖い暗殺者はここをスーッと切り裂けば殺せるわよ?」
「なっ」
あろうことか彼女は、俺の手を取り剣先を自分の腹に押し付けた。
露出した肌に刃が軽く触れ、動かせば簡単に傷つけられる状態にしては、クスリと笑ってみせたのだ。
「アナタがここで殺さないと、アナタが守りたいって思ってる女の子達、アタシに殺されちゃうぞ?」
「あっ、あ……!」
一体俺は何をさせられているのだろう。
少なくとも目の前の女性は敵で、ここにはまだ俺が守らないといけない仲間が居る。
なのに、俺はピクリとも動くことが出来ない。
「―――!!」
遠くでシルクとアルカが何か言っている。だが、俺には何て言っているのか分からない。聞こえない。
「あ、あ……!」
「ほら、アタシの鼓動感じて? アナタの鼓動の音はもうずっと聞こえてるわよ?」
目の前で囁かれる女性の声しか、彼女の言葉に紡がれた心臓の音しか俺には聞こえてこない。
「ほら、切って? ざっくり、ずっぱり、切り裂いて?」
「う、が……!」
切らないといけない。守らないといけない。だからやらないといけない。
目の前の女性を、殺さないといけない。
「はぁ………はぁっ!」
「……ふふっ。アナタって優しいのね。そして臆病なのね? 本当、アタシとは大違い」
青い髪の女性はもう俺の剣を握っていなかった。代わりに愛おしそうに俺の左の頬を撫で、首筋を、肩を、腕をゆっくりと触れて回る。
「でもね、やれる時にやれるようにならないとダメよ?」
柑橘系の匂い。甘い、甘い蜜柑の香りが俺の鼻をくすぐった。
「アナタ面白いから、見逃してあげる」
気が付けば、俺の体を撫でていた手に短剣が握られていた。
「アナタ達はアタシを見なかったし、アタシはアナタ達を見なかった。そういうことでお願いね?」
短剣にはバラの刻印がされていた。
さっき彼女の呼ばれていた名前も、また……
(薔薇……だったっけ)
「アナタの人生、アナタなりに頑張りなさいね?」
「え? うわっ」
気がつくと俺の体は宙を舞い、次の瞬間には地面に叩きつけられていた。
「後はアンタ等にお任せするわ。それじゃあね」
「ぐ、う……」
突然のことと重なったダメージに悶えている間に、暗殺者の女性は俺から離れる。
「イサム!」
「早く、逃げますよ! 我らの歩みは風のように軽やかに……拡散・移動力強化!」
すかさず俺の元へと駆け込んだアルカに抱えられ、支えられながら何とか俺も立ち上がり、タイミングバッチリに発動したシルクの法術で逃げ足を強化、俺達は即座にその場から撤退を開始する。
「死にたくなかったら走る!」
「あ、ああ!」
まだふらつく俺にアルカの叱責が飛び、俺も自分の足で強く地面を踏み始めた。
それから俺達はがむしゃらに走った。
一瞬たりとも残っていたくない場所から、全力で逃げ出した。
※ ※ ※
逃走し、走って、走って、俺達は迷子になった。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
「ぜ、ぜっ、ぜは……」
「ふぅー……ふぅー……」
へとへとになった俺達はとりあえず安全そうな場所に着くなり座り込む。
「お、おっかないてば。もー」
「生きた心地が、しませんでした」
「怖かった……」
息を整えながら、俺達は口々に覚えた恐怖を吐き出していく。そうでもしないと、体の中に恐怖が残りそうな気がしたから。
「でも、生きてる」
「うん、生きてる」
「………」
アルカとシルクは生き延びたことを喜ぶ方向に意識が変わったようだった。が、俺の方はすぐには切り替えられそうにない。
俺はあの時、決意を貫くなら何としてでもやらなければならないことが出来なかった。
(殺せない……殺せなかった!)
世界がそうなのだと、頭では分かっていても。
「イサム?」
「……ごめん。二人共ごめん」
「イサムさん……」
それが常識で、そうするべきだと知っていたのに。俺はどうしてもその一歩が踏み込めなかった。
(人を殺すのが……怖い)
俺の心に、深く深くその恐怖が刻まれた。
「大丈夫。大丈夫です」
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、シルクが俺を胸の内に抱き寄せ、優しく背中をさすってくれる。
「頑張りましょう、イサムさん。私達の冒険はまだ、続けられるんですから」
「………」
俺はまだ、この世界の全てを受け入れられるほどに強くはなかった。
抱きしめるシルクの柔らかさを感じながら、俺はただただ自分の覚悟のなさを嘆いていた。




