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彼女の愛した英雄 ~銀翼のシルフィード~  作者: 相坂 恵生
第一章 千年王国の祭典
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城塞都市ルセイス 4 -秀才と天才-その1



 ――ジョーバート視点。



 馬車にゆられながら、開け放たれた窓の向こうをぼんやりと眺めていた。

 同席を遠慮した護衛の騎士が景色を遮るが、どの辺りを走っているかは鼻孔をくすぐる香りが教えてくれる。


 リンゴ通りか。

 城へはまだ少し掛かるな。


 城塞都市ルセイスは各街路にその名に冠する果樹が植えられている。

 リンゴ通りにはリンゴ。ブドウ通りにはブドウ。チェリーやピーチ、オレンジといった具合で、それぞれが各区の管理の下に収穫などもされていた。

 収穫時期には早いこの紅玉の月しちがつにリンゴの香りがするのは、リンゴ通りに建つカフェや屋台がリンゴを推しているからだ。


 アップルティーをはじめ、リンゴの蜂蜜漬けやアップルフィリングを使った様々なお菓子。

 最近では手軽に食べ歩けるワッフルサンドが人気で、定期的にアップルソースを焦がしてはその香りで客を釣り上げていた。

 もちろんそれ以外の果物や酒も取り扱うが、それぞれ自分たちの街路に冠した果物を『推す』のである。


 頬杖をついて耳を澄ますと、街の喧騒は明るいものばかりだった。

 きっと住民が愛想よく接客したりされたりで賑わっているのだろう。

 チラリと覗けた街並みではウェーブヘアの女が手を振っていて、それにあちこちの男が色めき立っていた。

 よほどの美女のようだ。

 自らの青春時代を振り返るようでなんとも微笑ましい。


 城塞都市を賑わせるほとんどはヒト族だが、エルフ族も多く、獣人はチラホラとであるが見かけられた。

 実力と信仰心があれば種族を問わず受け入れる西部城塞都市ロードスと、長年堅い友好を築いてきた影響だ。

 パイプ役を務める叔父上――ゼシオン・ルットジャーをきっかけに、興味を持ってやってくる獣人はとても多い。

 他にも薬学に触れてみようという者もいるようだ。


 彼らは犬、猫、兎といったどの種族も頭頂部で耳がピンと立っているので見つけやすいが、服装に関しては街並みに馴染んでいる。

 商人や学徒がくと志望はもちろん、冒険者でさえも鎧の類を嫌う傾向にあるからだ。

 奥の手の獣化じゅうかの際に筋肉が膨張して邪魔になるのが理由らしい。


 そのため獣人は肌の露出が多く、砂浜寄りに見られる水着姿の住民と違和なく溶け込むのである。

 むしろ売り子は獣人へ水着を薦めるなど、積極的に声を掛けていた。


 酔っ払った獣人が暴れる事件も時々耳にするが、忌避感や危機感を持つルセイス民は極々少数だ。

 元々他の6大都市からの移住者が作り上げたルセイスは、系譜を250年も辿れば出身地はバラバラなのだ。

 薬学や魔法の基礎を学ぼうとやってくる学徒志望も年々増えており、大成した者が住民を救ったというケースも珍しい話ではない。

 住民も頭のどこかにそれがあって、受け入れやすくなっているのかもしれない。


 それにどうやら彼ら獣人が暴れたときの、共通の魔法の言葉・・・・・があるらしい。


『ゼシオンの逆鱗』


 一体叔父上はロードスでどんな大立ち回りを披露したのだろうか。

 まあ、どんな理由にしろ住民が安心して暮らす様子は、領主代行をする私にとっての誇りだ。


 アーウェン様は平穏に慣れ過ぎた住民に危機感を持っておられるようだが、それはこの城塞都市が持つ防衛力への信頼だと思っている。



 いつからかルットジャー侯爵家の当主は、王宮勤めをするようになった。

 それはルットジャーの血統が6歳になると、王都に居を構えるメネデール様に弟子入りする特殊な環境も手伝ってのことだが、1番の理由は『豊穣の杖』だ。


 英雄史の英雄メネデール。

 水の大魔術師ウィザードの血統当主。

 神獣ラファナス。


 これら大陸に名を馳せた存在が王都に常駐すると聞けば、『豊穣の杖』をどうにかしようだなどと考える輩はいない。


 一方で心配になるのはルセイスの防衛力だが、武闘派侯爵が運営する西部城塞都市ロードス北部城塞都市ラトレスに引けを取らない評価となっている。


 ルセイスは設立当初と違い、魔法詠唱者マジックキャスターの育成機関『蛇と杯』がある。

 元々薬学や魔法円の研究を目的に組織され、後進研究者と一緒に魔法詠唱者マジックキャスターの育成を兼ねるようになった。

 秘術を授ける師弟でなく、未来の働きを対価に教師が多くの生徒を取る学校制度を作ったのだ。

 これに近い大胆な育成機関は、帝国の魔導院くらいだろう。


 末弟のソーネストはこの『蛇と杯』の代表研究者の1人だ。

 最近は魔術師組合ギルドとの共同研究を理由に王都に留まることが多くなったが、ルセイスにはエルフィンを含めた王級魔法詠唱者マジックキャスターが3人も常駐していた。


 彼らはみな末弟と違って個人の戦闘能力も高く、後進の育成にも熱心だった。

 そのおかげでルセイスは、水の王国ヴァスティタで唯一の魔法師団・・を有する城塞都市となっている。


 他にも防衛目的に限りだが、戦闘演習に参加するエルフィンも年々増えており、戦力は十二分に満たされていた。

 こちらはそのおかげと言っていいのか悩みものだが、エルフィンの汗する姿を近くで見たいがために入学を望む者も増えた。


 動機が不純であろうと、向学心に立派な出力を持たせることはままある。

 そこからいかに道を踏み外さぬかが重要なのだし、善いこととしようか。


 そもそもルセイスでエルフィンのはだけた姿を望むなら、砂浜に行けばいくらでも見られるのだ。

『人魚観測』と称した水着姿観賞は、住民・旅行者の男女・・を問わず日常と化している。


 それをわざわざ学徒となるべく狭き門を抜けようというのだから、

 守るべき者を探す・・・・・・・・という意味において、素晴らしいことだと言えよう。


 この欲求は逃れられない人間のさがだ。



 人間のさが――といえば。

 漁師の妻たちから、夫の浮気についての陳情が増えた。

 夫婦間で解決すべき問題にまで介入するつもりはないが、気にかかる情報が混じっていたのである。

 その夫の浮気相手が人魚・・だというのだ。


 夫はそれが原因で死ぬわけでもないし、丸2日も休めば元の生活に戻る。

 ただし妙なことに、夫は浮気したであろう日のことだけすっぽりと記憶から抜け落ちているらしい。

 そのくせ寝言で毎夜「人魚、人魚」と口走るので、妻たちの怒りが爆発しているのだとか。


 さて、どうしたものか。


 確かに南部地中海シレーナライには人魚の目撃談は絶えない。

 恋叶わずに泡と消える、人魚姫物語という吟遊詩人の歌が生まれるくらいに親しまれてもいる。

 なにより、まだ南部地中海シレーナライ外海・・であったおよそ1000年前。

 大英雄オストアンデルが人魚の女王マーメイドクイーンアルレーシャ・シーレーンを仲間に迎えたのは他でもないこの地だ。


 しかし、ルセイス設立から250年。

 人魚が自らを人魚だと名乗って現れることはなく、それらしい影の目撃談や南部地中海シレーナライの彼方から聞こえてくる歌声くらいしかないのも事実だ。


 単純に忘れたふりをしている夫が浮気相手に夢中なだけ、と考えられないこともない。

 やはりこの件に関してはこれが答えなのだろうか?


 そもそもルセイスでは、女性の口説き文句として「人魚」を利用することが多いのだ。

 かく言う私も若かりし頃、水着姿の女性を「人魚」にたとえて口説いたことがある。


 慣れないことをしたものだから、片言になってひどく笑われてしまった。

 その瞬間の惨めさと言ったらなかったが、笑い疲れた彼女は自らの涙を拭いながら私の頬に口づけてくれた。


「私を泡にしないでちょうだいね」


 と耳元で囁いて。

 そんな彼女は今――。


「なんです? 急に見つめたりなんかして」

「出会ったころと変わらないと思ってね」

「私があなたに出会ったのは4歳のころよ?」

「……そうだったね。ブレンダ」


 彼女はルセイス商家の娘で、父の商談に付き合ってウンディード城へやってきた。

 当時の私は5歳。

 弟がもうすぐ1歳になることもあって、母を取られた嫉妬と兄貴風が胸に同居している頃だった。

 あの応接室で出会い、年下と知るや無駄にぴゅーぴゅー兄貴風を吹かせて城内を連れまわった。

 懐かしい。


「……ジョー。恰好を付けるなとはいわないけれど、他人ひとの言葉を借りるならきちんとチョイスしてちょうだい」

「……まったくだね」

「どうしてつやっぽい話のときだけ間違えるのかしら?」


 彼女の言うとおり普段の会話では問題ないのに、妻を相手にするとどうもうまくいかない。

 冷静なつもりでいて、頭のどこかが浮かれているのだろう。

 まあ、愛する妻が呆れた後に見せる笑顔が好きだから、ということにしておこう。


「それであなた。ウルールの件なのだけれど」

「脱走の話かい?」

「そう。それね。まさか信じたりなんて――」

「あり得ないさ」


 続きを遮って言うと、ブレンダは少し驚いたようにしてからまた笑った。

 彼女は私のウルールへの評価を誰よりも知っているからだ。



 臣下には脱走姫という不名誉な二つ名で呼ばれるが、あのコは逃げ出したことなど一度もない。

 特に学ぶこと、経験することに関しては誰よりも貪欲だった。


 言葉や文字に関しては、1を教えれば2や3を学び、日を重ねるごとに1から7や8も学び取った。

 まるで優秀な学徒に異国語を教えるような錯覚をしたほどだ。


 いや。そもそも赤ん坊の頃から異質だったのだ。

 まず泣かなかった。


 うちの息子のハワードはよく泣いた。

 夜泣きがあまりにもひどいために、妻が寝不足で倒れることもあった。

 ララーナ様や乳母が、

「元気で何より。育つのが楽しみだ」と平然と笑っていたのを覚えている。


 娘のヘレナは度胸が据わって好奇心が旺盛で、なんでも口に運ぶのでメイドがよく悲鳴を上げていた。

 口に入れようとするカエルや虫を取り上げると、ひどい大泣きをして大変だった。

 おかげでおしゃぶり離れが遅かったのを覚えている。


 姪のホーリィは、お腹が空いてもおしめが汚れても怒るように泣く娘だった。

 リセーリスによれば授乳のときは必死に吸って愛らしいとのことだったが、スレイモンに言わせると勇ましかったらしい。

 おしめを変え終わると「抱き上げよ」と命令されている気がしたと聞いたときは、腹を抱えて盛大に笑ってしまった。


 しかしウルールは違う。

 いつでも機嫌がよかった。

 空腹な時は「あーあー」と声を上げ、おしめが汚れたときは「おーおー」と訴える。


 それに気付いたのは、当時メイド見習いだったエナンサだ。

 最初はまさかと誰にも相手にされなかったが、日増しにその言葉の真実味は濃くなった。


 そして脱走姫だ。

 これについて聞いたときは冗談だろうと笑って流そうとしたが、若い臣下やメイドたちが目に涙を溜めて訴えてきた。


 言葉もある程度覚えた子供であれば、ルール違反になるが――親が隠し通路を教えてのイタズラを疑える。

 ところがそのときのウルールは、生後7カ月を過ぎたばかりの赤ん坊だ。

 あれやこれやと教えてそのままに実行できるわけがない。



 父上の喜びようは凄まじいものだった。


 先祖返り。

 英雄となることを申しつけられた娘。

 神の子。


 当主を継いで物静かさに拍車がかかったあの父サイオン・ルセイス・ルットジャーが、子供のようにはしゃいだのだ。

 私が同じように確信したのはその3年後――。



 ウルールがルセイスへ来たということは、なんらかの目的があってのことだろう。

 使いの鷹ノーティスが寄こされていない疑問は残るが……。


「そういえばジョー。

 あなたがウルールに一目置くようになったのっていつごろからなのかしら?

 私がヘレナと王都レウノアーネへ発つ頃は、それほどでもなかったでしょう?」

「ふむ。確かにあの頃は色々と半信半疑だったな……」

「そろそろなにがあったのか聞いてもいいかしら?」

「まだ話してなかったね」

「まだ話せないって渋ったのはあなた」

「そういえばそんなふうに拒んだ気がするな……」

「あら、今回も話さないのかしら?」


 ブレンダは両手を広げてわざとらしい笑みで首をすくめた。

 つられて私も笑う。


「叔父上から、ウルールの武術に関して高い見込みがあると聞いている」

「それだけ?」


 それだけとはひどい言い様だが、私たち兄弟はみな武術に関してはからっきしだった。

 そういう感想になるのも仕方がないか。


「訓練ではすでにホーリィと互角だそうだ」

「あら、それはすごいわね」


 ホーリィのレイピアの技量はかなりのものだ。

 王宮剣闘術で中級を修める程度の相手であれば負けないという、年齢に見合わない技量と言えよう。

 それをリーチで劣るナイフで互角だというのだから、武術に疎い妻でもさすがにわかったようだ。


「投てきや弓の筋も悪くないと仰られていたな」


 体術にナイフ、投てきに弓。

 私たち兄弟のときと違って、教えることの多いウルールはさぞやかわいいことだろう。


 さらにウルールは異種族の言語や地方訛り、文化にも強い興味を持っていた。

 旅慣れた叔父上にしてみれば話題に困らない相手と言える。


 しかし叔父上もなにか感じるものがあるようで、ウルールの総評は出し渋るのだ。

 慎重すぎるほどに。


 そろそろ14になりながら魔法の開花の兆しがないとはいえ、あの英雄級魔法剣士ゼシオン・ルットジャーが言い知れない期待感にくすぐられている。



「そうだね。そろそろ話してもいいか」

「あら? 浮気の告白かしら?」

「これは私と父上だけが知る秘密だ」


 いつものように茶化す妻が、真面目な表情で頷いた。

 相変わらず切り替えが早い。


「あれは忘れもしない。今から10年前。

 私がいつものように執務室で頭を抱えていたときのことだ」





 ちょっと長くなったので3つに分割。



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