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彼女の愛した英雄 ~銀翼のシルフィード~  作者: 相坂 恵生
第一章 千年王国の祭典
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城塞都市ルセイス 3 -脱走姫と使い魔と解毒-


 午前用の暗い青ネイビーのワンピースに白いエプロンドレス。

 黒く長い髪は後ろにピッチリとまとまり、小さなシニヨンカバーへ収められている。

 歳は22を迎えたその先輩メイドは、しずしずとここに至る説明を始めていた。


「ウルール様はハイハイを覚えたころから大変に好奇心が旺盛でございました。

 ほんの一瞬。そう、本当に一瞬だけ目を離した隙に姿をお隠しになるのです」


 紅茶が運ばれて間もなくそれぞれが挨拶を交わし、彼女たちメイドが仰々しく頭を垂れたのが最初。


 トーガさんのことはボクの新たな師匠とではなく、メネデールさまの大事な食客であると伝えている。

 正確には『英雄譚を研究する歴史学者で、英雄と直接言葉を交わしたエルフィンから話を聞くのが目的』ということになっている。

 これはトーガさんとメネデールさまが取り決めた表向きの理由で、無用な混乱や動揺を広げないためのものだった。

 ルットジャー氏族クランにくらい事情を説明しても――と思うかもしれない。

 けれどもルットジャーの家には、多くの臣下や奉公人がいる。

 どれほど忠信篤ちゅうしんあつかろうと、情報が漏れたときに誰もが「もしや」と疑心がうずく。

 身内で魔女狩りをするほど無意味なことはなく、ならば最初から伝えておかぬ方が健全なのだ。

 それにボクは立場上ルットジャーの三女となっているが、あくまでエルフィン・・・・・である。

 南の大森林でより立場が高い者の決めた方針が優先されるのは当たり前で、メネデールさまはエルフィン族長直系――イスナだった。



『秘密は持っている者に裁量がある』


 ふてくされるように吐き捨てたの言葉を思い出した。

 お互いに付き合い方が馴染んだ頃、ボクが病状について口をつぐんだときの彼の反応だった。

 弟と言っても所詮”家族ごっこ”。

 始めはイヂワルな気持ちで出し惜しんだだけだった。

 それが日に日に無愛想な彼の情が厚くなるのを感じて、いつしか知られたくなくなってしまったのだ。

 そして彼は受け入れた。

 意外に大人な対応をすると感心したものだが、態度には不満がありありと出ていた。

 まあ、そういうイヂワルのし甲斐のあるところが、気に入っていたわけでもあるのだけれど。



「慌てて部屋を探せど見つからず、ようやく発見したかと思えば庭にられたりするのです。

 しかもどうやってそこまで辿りついたのか、未だに解明されておりません」

「ほう。まるで神隠しですね」

「はい。わたくしたちの不徳の致すところでございますが、まさにトーガ様の仰る通り」


 たとえば今、ボクらを強引にウンディード城に連行した経緯をとても丁寧に・・・・・・説明してくれているシニヨンの彼女も、貴族のの奉公人だ。

 名をエナンサ・オエノスといい、男爵家の長女。

 彼女が指導する新人メイドのおでこちゃんは、カプセラ・シェパース。

 貴族ではないがルットジャーに家名を許され、代々仕えてきた従士の血統だ。


 カプセラは今年で10歳を迎えたばかりらしいが、エナンサが奉公にやってきたのは9歳だった。

 子供のころから主家しゅかに仕えるというのは、貴族社会ではそれほど珍しくない。

 下手に育ってから仕えると短絡的な損得勘定に走り、忠義心をおろそかにするからだ。

 幼いころから主従に馴染み、主の心休まる友であることが仕える者にとっての極意なのだ。

 とはいえ、主家しゅかの手足となって働く彼ら彼女らにも、耳や口がある。

 そしてそれらに分別の付かない子供が含まれるからこそ、秘密に関しては大人が慎重に取り扱う必要があった。


 エナンサもそのことは重々承知で、今も『未解明』と説明をしている。

 ある程度の貴族になれば、城や館に一族や一部の使用人しか知らされない脱出用の通路くらい作っておくのは常識だ。

 当時のエナンサは幼く、それゆえにこの秘密を知らなかった。


 考えてもみて欲しい。

 9歳の女の子ひとりの子守りでないにしろ、柵で囲った安全なフロアに赤子を下ろし、一息ついて振り返ったら姿が見えないのである。

 指導係の先輩メイドも、まさか赤子が隠し通路を使っただなどと思いつくはずもなく、みながみな顔を青ざめさせるのは仕方がないことだった。

 主家しゅかの赤子が突如姿を消したのだから、それはもう心臓が止まるかのような衝撃だったろう。


 この頃のボクは、ハイハイで自由に動けるようになった喜びに浮かされていた。

 今思えば。

 本当に今思えば、もう少し彼女たちの目線に立って考えてあげるべきだった。

 だからエナンサがボクに対して、こうしたイヤミを含んだ思い出話をする権利くらいはあっていい。



「伝え歩きを始める頃になると――」


 うん。

 伝え歩きやあんよを覚えてからも、隠し通路探しは止めなかった。

 まったくもって、ボクはひどいやつだ。


 でも言い訳をさせてもらうと、ルットジャーの方針も悪い。

 ルットジャー侯爵家では、成人までに隠し通路の存在に気付き、自力で見つけてゆくことが能力の評価につながっている。

 理由は血だ。

 ルットジャーは英雄の血統ゆえに、それを狙う魔手に落ちることは許されない。

 そのため日ごろから部屋の仕掛けや、逃走経路について考えるよう癖づけられていた。


 密閉された一室であれば、かすかな空気の流れ。

 こぼした水の行方に、人の手が普段入りにくい暖炉の奥。

 書架や、部屋と部屋の間に妙なひらき・・・はないか。


 そう言った定石や違和を拾い集め、初めて訪れた屋敷であろうと危険回避できる能力が求められた。

 それが出来てようやく一人前。

 昔のルットジャーだと、一人前と認められるまではルセイス内でさえ一人で出歩くことを禁じられていたそうだ。

 そして大抵の場合これらは、メネデールさまの下で多くを学んでから見つけ始める。

 時折思い出したようにルセイスへ使いに出されたり、母との帰省を許されたりするのがその合図で、ヘレナとホーリィも9歳になる頃にはいくつか見つけていた。

 歴代最年少はシャーリー・ルットジャーの7歳だった。


 ところがボクは生後1年に満たない赤子で、それを利用して城を抜け出してしまった。

 事態を知った父と母は目を丸くし、当主のサイオンお爺さまは諸手もろてを挙げて褒めちぎった。

 ボクにしてみれば、前世の探偵小説や冒険小説の知識を活用して城を探索するみたいなもので、アトラクションを楽しんでいたに過ぎない。

 しかし褒められるというのは悪い気がしなく、調子に乗った。

 すごく調子に乗った。

 おかげでメイドや従士、城内を警備する衛兵などの若者たち・・・・にとって、苦悩する日々が始まったのである。

 そしてついた二つ名は――。


「『脱走姫』にございます」


 不本意ながら、これはルセイスで知れ渡っているらしい。

 特に20代がこれを口にする時は、表情の苦み走りぶりが違う。

 眉根と唇が鼻にくっ付くんじゃないかと思うほど顔がしわくちゃになり、重く長いため息と一緒に吐き出される。

 人によっては目頭を揉んでいたりする。


 本当にゴメンナサイ。



「なんとも健康そうな二つ名ですね」

「はい。大変健やかにお育ちになられまして」


 トーガさんの相槌も大概だが、慎ましやかに頷いて見せるエナンサに思わず紅茶を噴き出しそうになった。

 彼女はそのように繊細可憐な性格ではないからだ。


 水の王国ヴァスティタ貴族が商売熱心であることは先にも説いたが、彼女はそんな貴族家の長女だ。

 臣下の子女が主家しゅかに直接仕えるのは、自家じかを栄えさせるという一面もある。

 そのひとつが、信頼性の高い情報が手に入る環境だ。


 オエノス男爵家は、ルットジャー領でのリキュール事業で大きなシェアを持つ一族で、原料となる大麦、ライ麦、トウモロコシ、ジャガイモ、サトウキビに果物や香草ハーブの収穫高は、非常に重要な情報と言える。


 関税も忘れてはならない。

 領地持ち伯爵は、自分の治める都市や町の関税を決める権利を持っている。

 ただし、水の王国ヴァスティタで伯爵位は6大貴族――侯爵家に任命される立場にあった。

 そのため侯爵と伯爵はくらいの上下だけでなく、主従の関係が発生するのである。

 そんな伯爵がわざわざ侯爵の怒りを買うような無茶な関税を設けたりはしないが、彼らとて治める都市や町のインフラ整備を進めて発展させる責任があるのだ。

 領地の収穫高や出生率、人口密度に応じて多少の変動は仕方がなかった。


 これらの情報を把握し伝えることで、自家じかの事業を支えるのだ。

 どこの貴族もやっている当たり前のことだし、彼らが栄えることは主家しゅかであるルットジャーの利益にもつながる。


 つまり貴族に生まれる子女は、愚かとも弱くともいられないのである。

 ボクの知る限りでエナンサは、頭の切れがよく、弁も立ち、度胸もあった。

 なんせあの母、ララーナ・サラーサ・エルフィンのお気に入りなのだ。

『タフな女』が適当な評価だろう。



「ウルール様のお母上――ララーナ様のご腹心であられるマレーナ様から、釣りや銛での漁猟を教わってからというもの。

 早朝に姿をお隠しになられることも増えました」


 こちらをチラリと覗き見てから、頭の痛い話でございますとわざとらしくため息を吐いた。

 彼女が言いたいことはもうわかっている。

 トーガさんも気付いているし、エナンサもそのことを理解した上で止めるつもりがないようだ。


 しかし不思議だ。

 ボクの師は、弟子のやんちゃな頃の話をうれしそうに聞いている。

 シューちゃんも5本目のブランデーケーキを頬張りながら、興味深そうに聞いていた。

 ちょっと外出が好きな子供の話がそんなにおもしろいのだろうか?

 あちこちを旅しながら歴史や英雄譚のことを聞いて回っているなら、この手の話をする親やご老人はいくらでもいたはずだ。

 いや。今はそれはいい。

 出来れば今日中にエルフィンへ向かいたいし、本題に戻そう。


「つまるところ、ボクがメネデールさまのところから脱走して、偶然知り合ったトーガさんたちを旅の道連れにした――と門兵たちが勘違いしたんだね?」

「――チッ」

「あ! 今舌打ちした! これでもボクはキミが仕えるルットジャーの三女だよ!?」

「気のせいにございます。私ほど忠誠心に溢れたメイドはそうそうりません」

「まあ、そこを疑ったりはしないけどさ……」


 ソファに深く座り直すと、視界の端でカプセラが口元を押さえて笑っていた。

 想像の通りに歳相応のかわいらしさでいっぱいだ。

 つられて笑うと目が合って、カプセラは慌てて身を正した。

 成長がたのしみな新人メイドだ。


「でも変じゃない?」

「なにがでございましょう?」

「メネデールさまがノーティスを飛ばしてくれていたはずだよ?」

「ノーティス……と申しますと、メネデール様の使いのタカでございますか?」

「そうだよ。こっちに着いてないの?」


 重要な情報をすぐに知らせる術として、カワラバトの中でも帰巣本能の強い個体を用いる方法を『伝書鳩』という。

 これらは当然”巣のある場所”に向かって飛ぶので基本的に往復はしないし、複数の目的地に使うことはできない。

 目的地の数だけハトは必要だし、一度使えば荷馬車でまた運ばなければならなかった。

 往復可能な個体が居ないわけではないが、道中で他の動物に襲われることもあるし、悪天候が続いて飢え死ぬこともある。

 距離が伸びれば伸びるほど生存率は急激に落ち、6大都市間の行き来が可能な伝書鳩となると育成は難しかった。

 しかし従魔術によって、使い魔で伝書する方法があった。


 従魔術というのは、魔法陣を用いて目の前に居る動物と契約するもののことで、魔力量や術式の高度さに比例して与えられる役目や知性が大きく変わる。

 稀代の天才とも評される水の大魔術師ウィザードヒーネ・ルットジャーを例に挙げれば、その才能と膨大な魔力によって氷と狩猟の女神から下賜された恐怖大狼ダイアウルフと契約し、守護魔獣の役目を与えた。


 メネデールさまの場合はそれが白いオオタカで、伝書の役目とノーティスという名を与えたというわけだ。

 彼は王都レウノアーネ南西部城塞都市ルセイス西部城塞都市ロードス北部城塞都市ラトレスであれば、迅速に伝書出来る物静かでストイックな職人肌だ。

 道草を食って到着が遅れるなんてことはない。


「到着したという話は聞き及んでございません」


 エナンサはきっぱりと言い切った。

 冗談を言っている様子もなく、嫌な想像が脳裏を過ぎる。


「ウルール」


 ふいに声が掛けられて振り返ると、トーガさんが笑っていた。

 シューちゃんもブランデーケーキを食べるのを止めてこちらを見ていた。


「私たちは少しばかり、急ぎましたからね」

「……からね」


 わかりませんか? という2人のニュアンスに、答えへ思い至った。

 わかってしまった。

 そしてつい先ほどの2人のやり取りの意味も。


『シュー。許してあげなさい。事情の推測はできているのでしょう?』

『……ん』


 ルセイスの兵があんなに強引だったのは『脱走姫』が大冒険して帰って来たと勘違いしたから。

 理由はメネデールさまの伝書がまだ届いていないから。

 なぜならレウノアーネからルセイスまでの馬車旅は、普通なら・・・・1週間。

 ノーティスがいくら速いと言っても、生きるために狩猟はするし、羽を休めて水を飲むこともある。

 加えてルセイスは南部地中海シレーナライからの特殊な風があり、迂回する必要があった。

 数日掛かるのは当たり前だ。

 早くて3日、遅くとも4日。


 つまり、グラーネさん・・の俊足が、ノーティスを追い越してしまったのだ。

 神馬おそるべし。



「なにかご納得される理由がございましたか?」

「あー、うん。ノーティスくんも忙しくて疲れてるんだろうね」

「……はぁ」


 エナンサはなにやら疑わしい目を向けているが、

「スレイプニールが引く馬車に乗ってきたから追い越しちゃったんだよ」なんて説明しても信じてはもらえないだろう。

 なにより師は、神馬の存在が知られることを望んでいない。

 こういうときはさっさと話題を変えてしまうのが吉だ。


「ところで伯父さまたちが来る気配はないようだけど、どこかに出掛けてるの?」

「ジョーバート様と奥様はちょうど薬草庭園に出て居られまして」

「あー。ちょっと遠いね」


 エナンサが妙にしつこくボクの昔話を引っ張っていたと思ったら、理由はこれか。

 薬草庭園はウンディード城と同じく南部地中海シレーナライと隣接するが、砂浜と港を挟んだルセイスの端と端に位置する。

 王都ほどではないにしろ、ルセイスの城塞都市は他の6大都市に負けない広さだ。

 馬車を使ってとなると、砂浜を避けて石畳の中央道ルートになるのでかなり時間が掛かる。


 むしろボクたちが城門から薬草庭園へ直接向かった方が早かったろう。

 とはいえ、ノーティスの伝書が届いていなかったのだ。

 ルットジャーに仕える者が『脱走姫』の二つ名を脳裏に過ぎらせて、まずは城へと強引になることに文句は言えまい。

 それに仕事熱心なジョーバート伯父さまのことだ。

 暇を見つけては管理地を直接見て回って、部下を労うだろう。


「早駆けで伝えに出てもらいましたので、もうそろそろご到着される頃合いかと」

「あんまり急がせちゃダメだよ?」

「ジョーバート様がお体を壊されぬよう、私どもも気を配ってございます」

「ならよかった」


 そう言うとエナンサはおだやかな表情を浮かべた。

 やはりというべきか、現在のルセイス領主代行はみんなに慕われているようだ。


 ジョーバート・ルットジャー領主代行。

 当主サイオン・ルセイス・ルットジャー侯爵の長子で、ヘレナのお父さん。

 ボクとホーリィにとっての伯父に当たる人だ。

 彼を適当な言葉で表わすなら、人当たりがよくて、情に厚く、温和な――苦労人。


 水の大魔術師ウィザードの血統に生まれながら、魔法と武術の才能はまったくなかったらしい。

 事実、魔法を使っているところを一度として見たことはなく、訓練などで体を動かしている姿も見かけたことがない。

 ボクの記憶のほとんどでは、執務室か庭先のテーブルに座って紅茶や地図に唸っていた。


『ないことを嘆くより、あるものを伸ばそうか。私もそうしてきた』


 魔法が使えなかったつい数日前の、ボクの一番の理解者。

 6歳で王都へ旅立つまで、熱心に文字を教えてくれた先生でもある。


 話したいことはたくさんあるけど、アーウェン様の説得もある。

 すぐに南の大森林エルフィン立ち入りの許可証を書いてもらうことになるだろう。

 エルフィンのボクはともかく、トーガさんとシューちゃんの分は必要なのだ。

 メネデールさまから預かった書状は2つ。


 ジョーバート領主代行へ宛てた物とアーウェン族長へ宛てた物。

 

 前者は説明責任を任されたボクに。後者は説得するトーガさんが持っている。

 ジョーバート伯父さまへの説明は、打ち合わせの通りに進めればすぐに許可は下りるだろう。

 そんなふうに説明する手順を振り返っていると、トーガさんがエナンサに声を掛けた。


「失礼。質問をしてもよろしいですか?」

「はい。私に説明できるものであればなんなりと」

「こちらの薬草庭園ではどんなものを取り扱っているんですか?」

「薬草……にございますか?」


 エナンサがこちらにチラリと目配せをした。

 どこまで話してもいいのか、という意味だ。


「トーガさんは錬金術師でもあられるんだよ。むこうでは訓練の際に自作の回復の水薬ヒールポーションをいくつも振る舞ってくださったんだ」

「あらまあ!」


 エナンサの目が一瞬金貨になったかと錯覚するほどに輝いて見えた。

 本当に商魂たくましいヴァスティタ貴族らしい反応だ。


 品質にもよるが回復の水薬ヒールポーションは金貨1枚――日本貨幣にしておよそ10万円で取引される。

 経年劣化や使用素材の悪さでガクンと値打ちの下がったものもあるが、そういった品の頭には”下級”とつく。

 D級やE級の中堅冒険者などが愛用するのがだいたいこの辺りの品だ。

 駆け出しの冒険者は活動圏が都市周辺なので緊急事態には陥り難く、回復手段は薬草や軟膏を用いた自然治癒が基本だった。

 少々厄介な手傷を負った場合は神殿で治癒術師――回復系魔法詠唱者マジックキャスターのお世話になる。


 そのため回復の水薬ヒールポーションを買い求めるのは、緊急事態に備える一流冒険者だ。

 未開の遺跡ほどではないが、魔鉱石などの希少素材が採れる大空洞や地下迷宮に潜る彼らは羽振りが良い。


 エナンサはトーガさんが持つであろう、そういう顧客ネットワークに思いを馳せているに違いない。

 たぶんこの瞬間に、師がまとうローブなどが借り物ではないとも確信しているはずだ。


 もしもここで、トーガさんが単独で遺跡を巡る実力者だと言ったらどうなるだろう?

 ……考えないほうがいい気がした。



「ヒーネ公のご発案から、回復魔法で癒せない病気の対策として、薬学研究をするためにお造りになられたのが当家の庭園にございます」

「では、解毒を始めとした薬草やコケの類を?」

「はい。一通りございます」

「なるほど。薬草庭園がこちらとは反対の――旧火山半島側にあるのも世界樹の影響を利用するためですね」

「ご推察の通りです」


 回復魔法や回復の水薬ヒールポーションは、肉体を万全な状態に近づける。

 しかし病気の原因・・の駆除までは出来なかった。

 毒におかされた状態で肉体を万全な状態へ近づけても、体内に毒が残ったままなのと同じである。


 解毒にしても、毒の種類によって薬や血清が違うように魔法の種類も違った。

 逆に言えば、既存の解毒魔法で対応できない毒というのは少なくないのだ。


 父ソーネストが所属する魔法研究機関で発見された解毒魔法に、『血を正常にする』というものがある。

 高い万能性を持つ魔法ではあるが、習得できるのは王級の回復系魔法詠唱者マジックキャスターという一握りの天才にのみ許されたものだった。

 教国にはもっと上位の回復や解毒の魔法があるようだが、秘術として広められることはもちろんなく、治療の要求費用は決して安くはなかった。


 ヒーネ・ルットジャーはそれを憂慮して、薬学研究施設を推進した。

 薬ひとつひとつに万能性はないが、魔法の才能がなくとも扱う知識と量産が出来れば安価な治療手段として台頭たいとう出来る。

 おかげで教国の目の敵になったヒーネ・ルットジャーは、旅先で命を狙われることも少なくなかったらしい。

 全部蹴散らして各地で語り草になっているが……。


 前世の知識を持つボクから見ると、こちらの世界は全体的に中世寄りだ。

 しかしヒーネ・ルットジャーという英雄は、前世の――現代寄りの考え方を持っているように感じる。

 もしかしてボクみたいに、前世の記憶を持っていたんだろうか?


 それにずっと気になっていたことがある。

 英雄ヒーネ・ルットジャーは、マニュアル魔法の使い手だったのではないだろうか?


 明言こそしなかったけど、トーガさんはボクが風の大魔法を習得することを前提にして話していた。

 メーちゃんも英雄マースの風の大魔法を”目指す頂き”と言った。


 もしも――。

 本当にもしもの仮定になるが、英雄史の大魔術師ウィザードがみなマニュアル魔法の使い手で。

 前世の知識を基に生みだしたのが大魔法だとしたら?

 ボクにも同じような発想で、まったく違う・・・・・・新たな大魔法を創り出せる可能性は――あるのかもしれない。





 ルットジャー侯爵家史上で隠し通路発見最年少となったウルールですが、

 物語冒頭で漁猟の大物狙いの誘惑に負け、逃走経路の確保をおろそかにしてしまいました。

 姉たちに呆れられた1番の理由がこれです。



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