城塞都市ルセイス 1 -旅と師弟のルール-
侯爵家。
水の王国ヴァスティタにおいて、複数の小都市を治め、外交を可能とする武力と生産力を有した氏族を指し、『6大都市』と呼ばれる城塞都市の主がこれに当たる。
西部都市 ロードスの ロッタル侯爵家。
北部都市 ラトレスの ラトターナ侯爵家。
中央都市 リクアトロスの リケルト侯爵家。
南東部都市 ルシンコスの ルシフス侯爵家。
南西部都市 ルセイスの ルットジャー侯爵家。
そして首都 レウノアーネを治めるのは レウリック王家。
これら氏族のほとんどは元々国を成していた王族であり、豊穣の女神の降臨を機にレウリック王家に忠誠を誓ったことから『ヴァスティタ連合国』とも言えた。
基本的主権はレウリック王家が握るが各侯爵家は独自に統治を行い、近隣の領地分配権――伯爵位の任命権を持っていた。
中央政府を置いた半独立国の連合国家という点で、江戸時代の幕府と藩によく似ている。
ちなみに南部が東西2つにわかれているのは英雄譚でも語られる通りで、250年前の大戦での領土割譲だ。
当時のルットジャー領は南の大森林と世界樹復活地の旧火山島しかなかったが、新生の大貴族――それも大戦で最も活躍した英雄の配下になろうと考える者は少なくなかった。
腕に覚えのある戦士を始め希少な魔法詠唱者も多く、知識階級奴隷を引き連れた商人さえ居た。
もちろん冒険者・魔術師・商業・工房の各組合の派遣も早かった。
なにせ魔法の英雄――水の大魔術師ヒーネ・ルットジャー公に関われるのである。
あわよくば貸しを作ろうと思わぬ者はいない。
そんな中でも特に目立ったのが建築家だった。
各都市で燻ぶる若き建築家にとって、腕を振るう場所に困らないというのは夢のような話だったらしい。
さらに彼らの魂に火を着ける要素も転がっていた。
1つ、英雄譚の舞台となった旧火山島には空を覆うような世界樹。
2つ、旧火山島と大陸が繋がったことで誕生した地中海。
3つ、その地中海は大陸最大を誇り、気まぐれに人魚の歌声が聞こえる。
4つ、大森林の見目麗しい妖精がヒト族との共生を望んでいた。
まるで絵物語から飛び出してきたような環境だった。
環境――といえば気候も特殊だった。
近くに豊穣の女神の使徒――精霊の樹と世界樹が根付いているからか、冬が来なかったのだ。
少し肌寒い秋が過ぎれば暖かな春がやって来て、夏は地中海から吹き込むおだやかな風で過ごしやすい。
明らかに他都市とは一線を画していた。
これで意欲的にならない制作者はいない。
名声と美を求めた若者たちは燃えに燃え、南西部都市ルセイスが造り出された。
長い時を掛けて増設を繰り返してきた他都市とは違い、建築様式が統一されたのも大きかった。
大陸で最も歴史のないことを逆手に取ったのである。
訪れた吟遊詩人はこぞって『水の王国で最も洗練された都市』と歌い、次第に上流階級の観光地として最初に名が挙がるようになった。
たわわに実った果樹が必ず視界に入る街並みに、それを囲む堅固な城壁は凛とした印象を与える。
目の肥えた貴族や豪商たちを唸らせ、評判は時とともに高まった。
近年でもよく歌われるのは、南部地中海に隣接するルットジャー侯爵家のウンディード城。
着工から完成までに35年掛かり、水の大魔術師が最期を迎えた場所である。
小高い丘の上に建ち、燦然と輝く太陽を頂きながらも涼しげに佇む主塔から、そよ風の居城とも呼ばれていた。
そんな城壁からひょっこり顔を覗かせるブリーズキャッスルの主塔を眺めながら、ボクは口元とおなかを押さえていた。
美しさや懐かしさに感涙し、膝を折ろうとしているわけではない。
馬車酔いである。
街道で先行くシューちゃんを追う形で歩いているものの、いつ足を止めてもおかしくないほどの酔い具合だ。
おなかの中身をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような気持ち悪さが、液体となってのどを駆け上がってくる。
おかしい。
本当なら今頃、久しい光景に胸の奥がきゅうっとする感覚を味わうはずなのに、胃袋をぎゅむりと握られているような苦痛を味わっている。
しかも暑い。
紅玉の月なのだから当たり前だが、ルセイスには暑さを緩和する南部地中海からの心地よい風が登場する歌が溢れている。
しかし現実は非情だ。
西には樹高30メートルが主となる大森林が広がっているし、街道の先にはルセイス自慢の城壁がある。
つまり風がない。
ほとんどない。
時折揺れるのは街道そばにぽつりぽつりと立つ木々の頭のあたりだけだ。
そう。ルセイスの城壁が風をはるか上空へと運ぶ働きをしているのだ。
一説によると外敵の攻撃を妨害するよう設計されたためらしく、弓矢や質量を持つ魔法の阻害に役立っているらしい。
つまり過ごしやすいのはあくまで城塞都市内であって、ルットジャー侯爵領すべてが心地よい風に包まれているわけではない。
そして、外海のある南側にも防風林があるので、ここに潮風が届くこともないのである。
幌付きの馬車での移動であれば、カラッと晴れた夏の空気と日陰のおかげでそれほどでもなかったろう。
ではなぜこんな状態で歩いているのか?
レウノアーネのときと同じだ。
足が8本もあるスレイプニールが街中を歩けば目立つ。
トーガさんはある目的があって名前が売れることを避けている。
遺跡の探索を単独で行える実力を持ちながら、どの国のどの家にも属さず、どの組合にも登録しないのはそれが理由のようだ。
姉2人の推測は、神域の魔法の発見とそのマニュアル魔法化だった。
そう言われれば「ああ、なるほど」と頷ける。
なにかに所属した場合、信憑性の高い情報が集まるメリットはあるがデメリットも出来てしまう。
トーガ・ヴェルフラトを手元に置こうとする存在の出現。
実力と知識の深さの一端に触れれば、手段を選ばなくなる輩が現れないとも限らない。
魔法研究に熱心な者であれば周りが見えなくなってもおかしくないし、
帝国の禁忌の魔術師――アブスターフに漏れるだけでも危険だ。
遺跡は大陸各地に点在する。
水の王国はもちろん砂漠の国や獣人王国にもあれば、帝国や教国にも。
もしも懸賞金などが掛けられれば、遺跡の探索どころか旅そのものが難しくなるだろう。
そんなデメリットを抱えるくらいなら、無名でよいと考えるのは当然だ。
むしろ旅上身分証明を発行して引き止めなかったロッタル侯爵は高潔と言えた。
メネデールさまはなにか事情を察していたようだけれど、話してはくれなかった。
――歴史書だったか。
でもこれはシューちゃんの持ち物関連のようだし……。
トーガさん自身の目的とも関係あるのかな?
そんな事情もあってしばらく逗留する場合、グラーネは目的地近くの森林地帯でお留守番するのが決まりなのだそうだ。
事実、城塞都市ルセイスは目前に迫っている。
街道沿いに咲く花の種類や木々の並び具合からして、徒歩で20分も掛からない距離のはずだ。
ただ、自分の体調を考えるともっと掛かりそうな気がした。
どうしよう。
毎日の狩りや武術の鍛錬で体力には自信がある方だったけど、馬車酔いは予想外だ。
メネデールさまから聞いた話によると、トーガさんは旅の足を引っ張る弟子は困るとハッキリ言ったみたいだし……。
吐き気に加えて今は頭がくらくらする。
弱音を吐くのもあまり好きではない。
得手不得手の取捨選別はすれども、やりたいことの壁があるなら乗り越えてきた。
師トーガ・ヴェルフラトとの旅は、そのやりたいことだ。
絶対におもしろい旅になるのはわかっている。
長命種族の英雄たちと交流を持ち、誰も知らないような逸話をたくさん知っている。
姉たちの言うような遺跡に眠る古代魔法や、そのマニュアル魔法化に関われるかもしれない。
シューちゃんと一緒に食べ歩きをするのも好きだ。
もしかするとヴァスティタの6大都市のみならず、砂漠の国や獣人王国へ行くことだってあるかもしれない。
そうなれば大陸漫遊食べ歩きの旅だ。
レウノアーネでも大抵のものは食べられるけど、本場の味は環境も手伝って全然違って感じるらしい。
気温の高い土地では水っぽいジュースの方がおいしいのだとか。
そういう体験は絶対にしておきたい。
グラーネのこともある。
キャンプ地でボクが集めた薪を蹴散らされたり、水を汲もうとしたところで川に突き落とされたりと散々な目に遭わされたが、ケガもしなければ不衛生なイタズラでもなかった。
根性は少しばかりねじ曲がっているけれど、仲間としての意識は持ってくれているようだ。
そんな彼女に一人前として認められたい。
あ、いや。
やっぱり近いうちにひと泡吹かせたい。
そっちの方がきっとたのしいはずだ。
それになにより。
エルフで女という理由で諦めなくちゃいけなかった、自由な旅の切符を得られるかもしれないのだ。
こんな馬車酔いごときで躓いてはいられない。
そもそも……。
そう。そもそもどうして馬車酔いなんてしたのだろう?
母との旅でも馬車には乗るし、酔ったことなんてなかった。
前世を含めて初めての車酔いだった。
「ウルール。少し休憩しましょう」
「え? あ、ボクは、だいじょうぶ、です。もうす、で、し……」
矢継ぎ早に言葉を並べたつもりだったが、込み上げる酸っぱさに切れ切れになっていた。
トーガさんはそんなボクを困ったような笑顔で見下ろしていた。
それがなにを意味するのか一瞬の理解が遅れ、先頭を歩いていたはずのシューちゃんが隣に立っているのに気付いた。
目線の高さが同じだった。
いつの間にかへたり込んでいたのである。
あぁ……これ、頭も回ってない。
すごいマズイやつだ。
あれ? なんで、マズイんだっけ?
「日が浅いとはいえ師匠ですからね。弟子の失敗を背負う器量くらいはあるつもりですよ」
「……しっぱい……です、か?」
妙な言い回しに言葉が詰まった。
弟子の失敗……失敗とはなんだろう?
車酔いをしない選択などがあったということだろうか?
トーガさんの薦めで飲んだハーブティーは、なんだっけ?
えっと確か、バジルをベースにしたローズヒップ入りだ。
乗り物酔いに効くと前世に読んだことがあったから、えっと。
水分の摂りすぎには気を付けて。
うがい薬としても頂いたよね?
あれ? 違ったっけ?
他にも。なにかあったっけ?
うん、と。講じる手段があったとかなかったとか?
「わかっていないようなので説明しましょう」
「カオに、デて、ました?」
「ええ。とっても」
「……とても」
シューちゃんが眠そうな目でこちらを見つめていた。
表情は相変わらず読めないが、心配してくれているのかもしれない。
「街道を塞ぐわけにもいきませんから、そちらで休憩しながらにしましょう」
「あ。はい……」
トーガさんが指差した先の木陰には、座るのに適した黒い石が3つ転がっていた。
なにを、いつ、どうやって、こんなものが出来たのか。
尋ねようとするボクをさっさと抱えあげて、トーガさんは石にもたれ掛けさせてくれた。
背中が冷たくてきもちいい。
ぼんやりした意識のまま、石を爪先で叩いて確認すると硬質な音がした。
鉄塊だった。
たぶんこういうことが日常になるのだろう。
おとなしくしていると、隣の石にシューちゃんが続いた。
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頭の上にぷるりと乗ったスーちゃんが、冷たくてきもちよかった。
首まわりにも息苦しくならない程度に巻きついていて、すごく楽だった。
水筒からカップにハーブティーが注がれ、ボクとシューちゃんに配られた。
どうやっているのかわからないが、受け取ったカップからはひんやりした冷たさを感じる。
この紅玉の月の暑さの中で、だ。
これも魔法なんだろうか?
マニュアル魔法による『冷えるという結果だけを体現した』と言われても驚かないし、水筒やカップが遺跡で発見した魔法道具と言われても納得できてしまう。
一口含むと、ほんの少しの酸味と苦みの後にさわやかな香りが鼻を抜けた。
うん。やっぱりバジルベースのローズヒップティーだ。
まだまだ油断はできないが、吐き気は少し引いた。
「ありがとうございます。少し楽になりました……」
「飲み込むのがつらいときは、遠慮せずにうがいで構いません」
「はい」
隣ではシューちゃんが景気よく飲みほして、おかわりを要求していた。
なんだかホッとする。
シューちゃんは馬車酔いしないタイプらしい。
「さて。ようやく周りが見えてきたようですし、失敗を数えてみましょうか」
「え。あ……は、はい」
どうやら1つや2つではないらしい。
楽しそうに話すトーガさんの笑顔が少し怖い。
「まず1つ。旅で無理をしたこと。
体調の管理もそうですが、道中で違和感を覚えたらすぐに報告するのは基本です。
自分で気付かない程度でなかったことは明らかでしょう。
なぜ言わなかったのですか?」
「あの。でも、足を引っ張る弟子は困るって……」
「2つ。弟子入りを認めるということは、面倒をみるということです。
認めた以上見捨てることはしません」
あれ?
でもメネデールさまは……。
ああ、そうか。
うん、そうだ。
弟子入り交渉の決まり文句だ。
トーガさんほどにもなれば、弟子入り志願者を相手にすることだって1度や2度じゃないはずだ。
断りの決まり文句くらいあるのは当たり前だ。
遺跡に踏み入るときに足手まといになるようでは困ると言われて、身の程を知っていれば次の句は難しい。
若さや勢いで「大丈夫だ」と答えられても『実力テスト』に話を持って行ける。
メネデールさまも経緯の説明をしていたに過ぎない。
わかっていたはずだ。
弱り切った体に引きずられて、不都合な情報を積み上げてしまっていたのだ。
風邪の弱り目の憂鬱と同じ。
「……すみません」
「それは何に対しての謝罪ですか?」
つい口を衝いて出てしまった言葉に、トーガさんが鋭く反応した。
顔色を窺うと、表情は変わらないのに背筋にピリリと緊張が走った。
ああ、マズイ。
今のはたぶん、トーガさんにとっての怒りどころだ。
これは、間違ってはいけない類の質問だ。
自分の頭がどれほど回っていないのか気付き、深呼吸をひとつ。
そしてもうひとつ。
酸素を充分に送った脳をフル回転させる。
謝罪の理由を問うのはなぜか?
それが重要だからだ。
ではなぜ重要なのか?
それは次の句がお互いの関係を表わすことになるからだ。
会話の流れと状況から、続く言葉は2通り。
「迷惑をかけてしまった」か、
「面倒をかけてしまった」だ。
前者は侮辱だ。
トーガさんは言った。
弟子の面倒をみるのが師の務めであると。
ボクの魔法の開花の際にも、臨時とはいえ言っていた。
『大丈夫、弟子には失敗する権利があるんですよ』
『師匠が責任を持って面倒をみるから、弟子は未知に踏み出せるんです』
迷惑と面倒は違う。
迷惑は『他人』がかけるもので、望ましくない出来事を言う。
しかし面倒は、『身内』と認めた者がかけるものだ。
もしもそれを否定する謝罪であれば、師として認めないと言っているのと同じなのである。
成り行きで師弟関係に至ったカタチだけれど、ボクとしては望むべくもない。
彼は英雄メネデールが認める大魔術師で。
ボクの命を救ってくれて。
魔法をも授けてくれた恩人だ。
どうにも親しい知人のような話し口なので時々関係に靄が掛かるけれど、ボクにとってトーガ・ヴェルフラトは尊敬すべき師匠なのである。
「師を見誤っていたことへの非礼です。信じて報告すべきでした」
「……道理を心得ているようでなによりです」
トーガさんは大きくため息をつくと、石に深く座り直した。
空気が一変してやわらかくなり、水分補給を薦めるようにボクのカップを指した。
素直に一口含む。
ハーブティが渇いたのどに染みわたり、思わず大きなため息が漏れた。
その様子を見てトーガさんは笑っていた。
結構イジワルなところがあるのかもしれない。
「旅の大敵は体調不良ですが、必ずしも回避できるわけではありません。
知らないうちに疫病に罹ることもあれば、呪術による攻撃という可能性もあります。
特にウルールは女の子ですから、成人すれば月のものもあるでしょう。
一人旅ならともかく、誰かが同行する場合はきちんと申告しなくてはいけません」
「はい……」
前世でも弟にしつこく体調のことを聞かれた覚えがある。
外出中は特に。
当時は病室に連れ戻されるから、なんて理由でやせ我慢を繰り返したけれど、いつからか弟は尋ねるのをやめて、問答無用で抱え上げるようになってしまった。
翌日に「連れ戻されたら次はいつ外出できるのかわからない」と反論したら、無言で両ほっぺを引っ張られたのは今ではいい思い出だ。
そういえばメネデールさまも英雄譚の旅の途中で、ヒーネに強く注意されたと話していた。
「言うのが恥ずかしい」と小さく反論したら、珍しくめちゃくちゃ怒られたとかなんとか。
ちょっとうれしそうに話していたのが印象的だ。
「ルットジャー侯爵領は野盗が少なくとも野生動物は多いですからね。
すぐに動ける状態を維持していなければ、あっさり死んでしまいます。
もうさっきみたいになるのは許しませんよ?」
「は、はい!」
『許さない』か。
珍しく強い言葉を使っているあたり、結構本気で怒ってるのかな。
にこにこ笑顔のままなのに、こんなにも感情が拾えるのはどうしてだろう?
まとう空気だっけ?
前世では仕草や体が発する熱気とかを指したけど、こちらだとなんかもっと直接的な力が働いている気がする。
闘気……かな?
となると魔力や生命力もその人の感情として表れるんだろうか?
トーガさんは”視える”らしいから、ボクの精神状態も丸見えだったりするのかな?
「そして3つ目」
トーガさんはこちらを見据えて言った。
「馬車酔いです」
「ばしゃ、よい……ですか?」
前世で読みふけったいくつかの本によると車酔いの原因は――。
三半規管の発達。
ホルモンなどの体質。
視覚情報と体感情報の差異から生じる違和感。
臭覚の鋭敏化による嫌悪感の増加。
乗り物の加速や振動。
不安による緊張や閉塞感のストレス。
睡眠不足や疲労による体力の低下。
空腹や満腹による胃への刺激。
成長過程や体質はともかくとして、これら原因のほとんどは精神的・肉体的理由による体力の低下が土台にある。
だから余計に不思議だった。
楽しみに胸が躍りはしたけれど睡眠はバッチリ取れていたし、旅慣れたレウノアーネ・ルセイス間なので緊張もそれほどではなかった。
体質に関してもレウノアーネの水路舟には頻繁に乗っていたし、馬車旅も初めてではない。
ではなぜ今回に限って酔ったのだろう?
「ヒントはレウノアーネでの授業です」
授業?
〈魔法の川魚〉。
魔力操作によるコマ回し。
生命力の魔力転換?
あ、いや違う。
なんだっけ?
メーちゃんも言ってたアレだ。
「……肉体強化ですか?」
「正解です」
「あれ? じゃあ。
肉体強化すると馬車酔いしなくなるんですか?」
「ええ。そうですよ」
事もなげに答えるトーガさんは、さらにおかわりを要求するシューちゃんのカップにハーブティーを注いだ。
なんだかいつもの光景にもどって、安心感が増した。
「乗り物酔いの原因は大きく分けて2つあります。
1つは、感覚器官の情報を頭が処理しきれなくて起こるズレ。
地面に立っているのと常に乱振動しているのとでは情報量が違いますし、感覚が狂うわけですから負担は大きい」
頭が処理する情報処理量と言われてもピンとこないが、なんとなくはわかる。
揺れれば体は自然とバランスを取ろうとするし、そんな中でなにかの作業をすることを考えれば難しくなるのは当たり前だ。
それが情報処理量の違いということなんだろう。
神経も体力も勢いよくすり減りそうだし、体調が崩れても不思議じゃない。
「もう1つは、高速移動による内臓への負担です。
内臓は働きを良くも悪くも出来ますが、鍛えることのできない部分です。
体中の筋肉を鍛えて血流を確保するのも手段のひとつですが、魔法や闘気を扱えるのであればそれで保護する方が手っ取り早い」
ああ、なるほど。
確かに気持ち悪かったのはおなかの中身――内臓だ。
グラーネの俊足は凄まじいものがあった。
均した街道の上を走ると言っても所詮馬車。
どんなに速度を安定させようと、舗装されたアスファルトを自動車が走るのとは違うし、レールの上を進む列車とは違う。
ようやく理解した。
道中の妙な息苦しさの正体は、速度の上下によって発生した慣性だ。
そして魔法や闘気の肉体強化は中身をも守る術になる。
トーガさんは授業でも言っていたではないか。
反射的に魔力や闘気を操るくらいに日常的に使えと。
馬車でのんきに世間話をしている姿を、師はどういう気持ちで見ていたのだろう。
休憩を取る度に〈魔法の川魚〉の高速化を図っていた弟子はどのように映ったのだろう。
あまりの間抜けぶりに、両手で顔を覆った。
「一応聞いてもいいですか?」
「はい。なんでもどうぞ」
「どうして道中や出発前に教えてくれなかったんですか?」
「私は師であって先生のつもりはありませんよ。ウルール」
「あー……」
メーちゃんの言葉がよみがえった。
『師匠が弟子に望むのは一つだけじゃ。師匠の意図をいち早く掴むこと』
『言われたことを覚えて素直に従うだけなら、弟子である必要はない。
弟子が師匠からなにを授かるかをよくよく思い出すことじゃな』
なにひとつ出来ていないではないか。
指の隙間から師を覗き見ると、手間のかかる子供を相手にするような目が向けられていた。
気まずさに顔を反らすと、シューちゃんがボクを真似て顔を隠しながらこちらを覗き見ているのが視界に入った。
どうしよう。
ハンパなく恥ずかしい!
「失敗の度にヒントは与えます。命の危険があれば手を貸します。質問もいつでも受けましょう。
だから自分で学びとりなさい。力と環境の扱い方や失敗との付き合い方を」
そうだ。
弟子は師匠から生き方を学ぶ。
知識や技術に物事の洞察と対処法。
言葉遣いが違うからごっちゃになってしまうけど、トーガさんは師匠であって先生じゃない。
うーん。
やっぱり大事だよね。言葉遣いって。
人間関係は言葉遣いによって意識しやすい環境を作る。
ホーリィにも言われたけど、きちんと師匠として接したいなあ。
そうすれば、今回みたいなふいに出た言葉で慌てることもないのに。
ルットジャーの血族がメネデールさま以外を師と敬えば周りがうるさいのはわかるし、詳細はともかくとしてトーガさんの都合もわかる。
いつかトーガさんを「師匠」と呼べる日は来るんだろうか?
「さて。そろそろ行きますよ。今日のお昼はルセイスのご当地料理で舌鼓を打つんですから」
「……ですから」
2人はほぼ同時に立ち上がって街道を歩き始めた。
ボクは遅れて後を追う。
もう吐き気はなく、立ちくらみもしなかった。
まるで計ったかのようなタイミングの出発だった。
「トーガさん。やっぱりトーガさまって呼んじゃダメですか?」
「ダメです」
「どうしてもですか?」
「どうしてもです」
「ほら、ロッタル侯爵様がお認めになった戦士様ってことで尊敬してるってのはどうですか?」
「どちらにしろ私の名が広まるでしょう?」
「ですよねー」
「……よねー」
シューちゃんがボクの言葉尻を真似て機嫌よく先頭をゆく。
もうすぐ故郷のルセイスだ。
アーウェン様の説得にはしばらく掛かるだろうし、ゆっくりと慣れていけばいいか。
弟子らしくなく振舞いながら、弟子として学ぶややこしい日常をたのしもう。
あー、そういえば。
シューちゃんが馬車酔いしなかったのはどうしてだろう?
あの話の流れだと肉体強化の術を持っていることになる。
闘気とか使えちゃったりするんだろうか?
スーちゃんを頭に乗せたまま、ボクはそんなことを思った。
ようやく師弟関係の土台が築かれはじめました。
ウルールの冒険記が始まるのはまだまだ先ですが、
これからも彼女らをよろしくおねがいします。




