幕間 1 -ララーナの憂鬱-
ウルールがトーガたちと共に王都レウノアーネを発つ前夜。
ルットジャー氏族の館の一室で、一人の少女が頭を抱えていた。
調度品が夜闇に浸食される中、ランプの灯りに浮き上がる金色の髪は滑らかに輝き、白い肌は瑞々しく、耳は尖っていた。
側に控える女性も同じく美しい顔立ちに尖った耳をしているが、心象を表わすように力なく垂れ下っている。
「ララーナ様、本当にすみません」
「バカね。あなたはよくやってくれているわ。ただ、相手が規格外だったのよ」
ララーナと呼ばれた少女は首を振り、テーブルの向こうでしょんぼりとしているエルフの女性へ笑って見せた。
「まさかブドウ1房に金貨1枚出すなんて思わないでしょ」
自分でもお手上げだと両手を上げて見せ、まだ見ぬ規格外の客に呆れていた。
落ち込むエルフの名は、マレーナ・エルフィン。
トーガとシューの交渉により、『セト』を買い取られてしまった売り子だ。
今年で246歳を迎える彼女は、目の前の少女然としたララーナ・サラーサ・エルフィンの部下であり、最も付き合いの長い友人だった。
「連れられていた小さな子供が店に入るなり、セトを見つけちゃったってのも驚きだけどさ。
普通はブドウ1房金貨1枚って言われたら『お断り』って気付きそうなもんだけどね」
「どうもそれを理解した上で購入していたようで……」
「地方の訛りはなく、商品価値をよく知った上で、商品に紛れ込ませた5つを指差したのね」
ため息しか出ない。
本来は、ふらりと現れた客にこの手の需要実験の品を売ったりはしない。
味のわかる常連客――上級貴族や豪商、上級冒険者にだけだ。
もちろんこちらから薦めるのではなく、店に並んだ多くの果物の中から見つけられることが前提だ。
旬を外れた珍しい果物で、品質を見抜いて楽しめる者でないと『ボッタクリ』のレッテルを貼られる。
果物の苗木の移植には大変な労力が必要だ。
苗木を1本担いで運び、地面に穴を掘って植えるのとはわけが違う。
なにせ森なのだから。
地面を均して人が歩きやすいように木々を植えた林と違い、森には面がない。
斜面なら上等で、下も横も凸凹なのだ。
それらを切り開いて、岩や根を取り除き、ようやく果実の苗木を植えることが出来る。
これで終わりではない。
果実が成るまで、専門の知識を持った者の手が必要になる。
その期間は決して短いとは言い難い。
さらに豊穣の女神の加護は、住民にとって都合のいい植物にだけ働くわけではないので、除草の管理も簡単ではない。
そしてそれに携る大の大人が収入もなく数カ月、又は数年を費やして出来あがった代物が安価なわけがない。
時間を掛けて投資分を取り戻し、収入を安定させられる頃に値段を落ち着かせることが出来る。
今回は、エルフィン屈指のブドウの作り手であるアサーダが駆り出されている。
糖度や品質が一定に達しないと『売り物』として扱わない職人気質のエルフだ。
果物を取り扱う者にとって品質は信頼と同義で、彼への投資は高くとも手堅い事業と言えた。
ただし、適性から外れた売買を嫌う性分にある。
さて、今日の販売結果をアサーダにどう伝えたものか。
次のセトが届くのは明後日だ。
とんでもない黒字ではあるものの、アサーダの関係不和の種や需要調査の実験販売としてはなかなかの痛手と言える。
「アサーダさん、怒りますかね?」
「取引価格聞いたら怒るでしょうけど、話のわからないタイプじゃないわ。
もう一度聞くけど、見覚えのないお客さんだったのね?」
「ええ。すごく愛想が良くて、苗木の移植に理解がある人でしたね。
随分使いこんだ外套を着ていましたが、中の身なりは相当なものでした」
「マレーナが1房金貨1枚と吹っ掛けるくらいだものね」
うーんと唸りながらテーブルに頬杖をつく。
セトの旬の価格は大銀貨1枚。
実験販売価格は大銀貨6枚だ。
今は値が張るが、常連客なら先行投資として手を伸ばすギリギリの額だ。
彼らは作物の旬の時期が広がることの大きさを理解している。
投資によって畑が拡張されて量産が進めば、値段は落ち着いてくる。
そうなると経営する飲食店で取り扱える料理が増えるわけだが、彼らが狙うのは値段が落ち着く少し前だ。
他店が足踏みする時期に旬を先取りして名声を高める。
その布石として投資し、量産化成功の暁には優先的な購入権利を得ようと言う魂胆なのだ。
こういった計画的な博打をする商人との交流は実に楽しい。
『笑いが止まりませんな』
『いやあ、まったくです』
などというお決まりの文句で黒い笑いを漏らし合う瞬間は快感だ。
むしろこのやり取りをするためにやっていると言ってもいい。
それでも単価が金貨1枚と聞けば誰もが手を引くだろう。
なにせ大銀貨で18枚なのだから――。
「なんの躊躇もなく店頭に出ている5房を指差されたときは、血の気が引きましたよ」
店頭に並べた果物の中に紛れ込ませた5房のセトを瞬時に指差せる目利きと、金回りの良さ。
上級貴族や豪商のお遊びにしては、妙なタイミングだった。
ララーナを相手にそういった挑戦をするのは数えるほどで、かつてはボレールがそうだった。
しかし、今はその手の遊びを仕掛ける者は居らず、おともだちばかりだ。
本当にただの通りすがりの旅人なのか。
エルフィンに取り入りたい輩なのか。
遊んで欲しい変わり者なのか。
「まあ、次は私がいるときにご来店頂きたいわね」
「そもそもララーナ様が席をはずすからいけないんですよ」
「ダーリンに会いに行ってたのよ」
「あれ? ウルール様のところに行ったんじゃなかったんですか?」
「あのコが昼間に館でじっとしてるわけないでしょ。それなら確実に会える方へ行くのは当然よ」
「それで今はその夜なわけですが、お会いになりました?」
「……どっちも会えてない」
ぶーっと唇を突き出してテーブルに身を投げ出した。
愛しいダーリンことソーネスト・ルットジャーに「氏族会議が終わったらね」と困った笑顔で言われては引き下がる他ない。
なにやら火急の案件だとかで、スレイモンが騒いでいた。
正直、嫌な予感が止まらない。
「まあでも、ホーリィはチラッと見れたわ」
「ララーナ様ってホーリィ様を可愛がってますよね」
「昔、お姉ちゃんお姉ちゃんって慕われてたからね。かわいい妹なのよ」
「随分と年の離れた妹君ですねぇ」
「そうよ。245歳離れた妹よ。とーってもかわいいわ」
エルフの感覚で言えばこれくらいの年齢差は大したものではない。
外見の変化――主に老化がゆるやかな長命種族は親子であろうと歳の差は感じられない。
特にララーナは発育不良なところがあり、外見がかなり少女寄りだった。
「どうせすぐに見た目は追い越されて、ララーナ様が妹みたいになりますよ」
こんな憎まれ口を叩いてはいるが、彼女にとってララーナはおしめを替えてもらったこともある姉同然の存在だ。
「ちっちゃいお姉ちゃんなんて素敵でしょ?」
「ホーリィ様からはもうお姉ちゃんとは呼ばれなくなったじゃないですか」
「うん、それ結構ショックだったわ……」
「わりと早かったですよね」
「2年よ」
「ウルール様が来て間もなくですよね。やっぱり立場に気付いちゃったんですかね?」
「まあ、一応叔母に当たるし、サラーサだし、あのコは母親に似てそういうのにこだわるからね」
若くして病に倒れた友。
ヒト族の寿命が短いことはよく理解している。
何人の友を見送ってきたか数えるのも億劫なくらいだ。
その中でもリセーリスは早すぎた。
衝撃は大きく、スレイモンは生きる気力を失ってしまった。
幼い我が子がいるというのに――。
ルットジャーの血統を狙う輩は後を絶たないというのに――。
決断は早い方がいい。
生気を失ったスレイモンを支えようと幼い娘が考えれば、自らを鍛える時間を著しく失うことになる。
共に依存し合うなどあってはならない。
私は呆然自失となったスレイモンを殴りつけ、幼いホーリィを抱えて馬を走らせた。
王都で若きルットジャーの育成をするメネデール姉さまとブレンダを巻き込み、1年繰り上げて預けることにした。
リセーリスとおそろいのヘアブラシを握らせ、「気高い父を取り戻してやる」とホーリィに誓った。
ルセイスに戻ると、ようやく娘が居なくなったことに気付いたスレイモンは半狂乱になっていた。
遅すぎる。
もしも娘を連れ去ったのが帝国のアブスターフであったなら追跡も叶わず、自暴自棄になって暴れる王級魔法詠唱者が誕生していただろう。
冷静に考えることが出来れば、誰がどこへ連れ去ったかなどすぐに気付けたはずだ。
殴ったのは私なのだから。
子供を抱えた英雄の血統に、悲しみに暮れる時間はない。
近くにいる兄、ジョーバートに力を借りるなり、助けを乞うなりせねばならない。
ジョーは私の意図に気付き、あえて声を掛けなかった。
結果はこれだ。
判断が出来ぬというのなら、教育してやるのが先達の仕事だ。
スレイモンをもう一度ボコボコにした。
『娘に甘えるな』と繰り返して殴り続けた。
悲しいのはスレイモンだけではない。
ホーリィは母の死に涙することも出来なかった。
この軟弱な英雄の血統の父のせいで――。
扱える魔法の階級は当時からスレイモンが上であったが、純粋な魔法詠唱者が近接戦闘で、魔法を同時に繰り出す実践型エルフに勝てる余地はなかった。
もっと言えば冷静さを欠いた魔法詠唱者を相手に負ける理由がない。
伊達に260年も生きてはいない。
彼らの始祖で歴代最強の魔法詠唱者ヒーネ・ルットジャーから直接戦いの手ほどきを受けたこともある、このララーナ・サラーサ・エルフィンが負けるなどあり得ないのだ。
未だに私を見るとコソコソするスレイモンにはうんざりするが、感謝はしてくれているようだ。
アレも一応可愛げのない弟みたいなものだ。
「母君に似ましたよね」
「外見も中身も、昔のあのコそっくりよ」
「丈夫さは父親譲りみたいですけどね」
「スレイモン似ねぇ……。もしもホーリィが話聞かないタイプになったら、アイツのほっぺ引っ張って額をペチペチしてやるわ」
「今じゃ実力は逆転してるんじゃないですか?」
「勝てない相手っていう擦り込みってのは、案外簡単には克服できないものよ」
「うわーこわい。まるで計画的にやったみたいに聞こえます」
「バカね。ルットジャーの男子の弱みなんていくらでもあるわよ。わざわざケンカする理由なんてないわ」
メネデール邸で過ごせば若気の至りにはいくつも出遭う。
おねしょはいくつまでしていただとか、ご褒美にほっぺにチューをねだったことがあるだとか、お風呂を覗いたり下着に興味を持ったりとくだらないものばかりだけれど、こうした話は子供や孫が出来ると致命的な弱点になる。
まあ、お説教の効力が弱まるのでやめて欲しいというのはわかる。
なにせ大抵の場合、子供を叱るような出来事は大人が遠い昔にやってきていることだからだ。
都合の悪い過去を胸の奥にしまうのは大人。
笑い話に出来るのは大物。
後者でありたいものです。
次回更新は9月5日(月)
投稿時間は未定です。




