旅の街道 4
重種馬が引く荷馬車は力強くあるが、時速にして5キロメートル。
人間の歩く速度とさほど変わらない。
旅慣れた商人が荷物を持っての一日の平均移動距離は精々35キロほどで、荷馬車もこれに毛が生える程度の違いしかない。
乗合馬車などに使われる四頭立ての四輪馬車をコーチと呼ぶが、整備された道路を走行する時速は16キロ。
中間種馬の早駆けは時速25キロまで出るものの長くは持たず、どちらも1時間毎に馬を交換するか休憩させねば潰してしまう。
そのため、中継地点の馬屋を利用しての1日の移動距離は最大で100キロ。
これが前世で読みふけった本の中の常識だ。
こちらの世界では、個体差の幅がとても大きい。
良質な荷馬車になると時速は10キロも出るし、体力は倍近くある。
それでも王都レウノアーネからルセイスへの道程は、途中で何度も休憩を取りながら1週間掛かる。
トーガさんが所有する車両はキャリッジと呼ばれ、サスペンションなどによって揺れを軽減した非常に近代的な技術が使われている。
4人が座れる広めの車内が特徴で、2頭立て、又は4頭立ての大型馬車だ。
王族や一部の上級貴族がパレードで使用するのもこのタイプ。
しかしそれを牽引するのは一頭の神馬スレイプニールで、力強く、とにかく早い。
車窓の景色がビュンビュン流れて行く様は、アスファルトを走る自動車にでも乗っているかのようだった。
街道とはいえそれなりに速度を出すと揺れるものだが、この馬車は静かなものだ。
想像していた馬車旅とはまったく違っていた。
もっとこう、なんというか。
師弟並んで御者台に座り、色んな話をして親睦を深め、魔法についての可能性に花咲かせたり、硬い椅子に長時間座ってお尻が痛くなったりするのだと思っていた。
現実は御者台に座るのはシューちゃん1人で、椅子はやわらかくて座り心地はいいし、トーガさんはボクの体調を気遣って水筒に入ったハーブティーを薦めたりとお客様扱いだった。
なにか違う気がする。
『ヴェルフラト先生はひとり上手のようだから、弟子のアンタが気を配らないとダメよ?』
口うるさい姉の言葉がよみがえった。
うん、非常にマズい。
こんな道中を報告しようものなら、ホーリィに左右のほっぺを引っ張られてしまう。
いいや、額をペチペチと小一時間ほど叩かれながらのお説教かもしれない。
アレは地味に脳への振動が加わって、頭が痛くなるおまけがつく。
今も「日が沈み始めたので」と、街道沿いのキャンプ地で夕食の準備をしているのはトーガさんだ。
自分がやると申し出ると、鳴子結界を張るように言いつけられてしまった。
確かにこれは旅の怠れない作業の1つではあるが、石かまどを作って火を起こし、食材を煮込む方が重労働だ。
一般的にはどちらも弟子がするべきことで、師はそれら作業に誤りがないかを確認する。
しかもこちらはシューちゃんという手伝いまでついているのだから、これを聞いたらホーリィだけでなくヘレナの顔も引きつるだろう。
「……つぎ」
「あ、うん。ちょっと待ってね」
シューちゃんの声にボクは我に返った。
両手には1メートルほどの細身の棒が数本と巻き糸が握られている。
鳴子結界の道具だ。
これらをキャンプ地の周囲に突き立てて、腰丈と膝丈の2本を繋ぎ、一定間隔で鈴を吊るせば完成だ。
もしもなにかが結界に触れれば鈴が鳴って、警戒対象が現れたことを知らせてくれる。
警戒心の強い野生動物であれば、鈴の音だけで慌てて逃げ出してくれるし、野盗であれば不意の襲撃をいち早く察知することが出来る。
風の強い日は役に立たないが、非常に有用な旅人の味方だ。
ボクの作業は棒を突き立てることと、腰丈の糸を繋ぐこと。
シューちゃんは膝丈の糸と鈴が担当だ。
シューちゃんはかなり手慣れていて、次に突き立てる場所へと誘導してくれる。
たぶん、今回の旅で一番経験が少ないのはボクなのだろう。
もたつきこそしないものの、作業速度の違いは大きかった。
なによりグラーネの態度がそれを物語っていた。
ふと馬車の方へ目をやると、グラーネと目が合った。
すると荒い鼻息を一つ放つと、そっぽ向く。
もう何度目だろうか。
馬車での旅と言えども生理現象というのは訴えかけてくる。
今回の休憩は4時間に1度という脅威的な少なさだった。
こちらの常識の健脚馬でも余裕で潰れてしまう旅程だ。
それでもグラーネは走り足りないらしく、ボクがシャベルでお花詰みの穴を掘っている間も駆けまわっていた。
ヒト族でも個人の能力で溶岩を海ごと凍らせたり、嵐を生み出したり、果ては湾を作りだす英雄がいるのだ。
そう考えれば、神獣は動物でいうところの英雄のように飛び抜けた存在なのだろう。
そんな答えに辿りついたとき、1つの疑問が解けた気がした。
グラーネとは出会い頭の挨拶で手を噛まれた。
怪我をさせようという意図はなかったようで、痛くはなかったがその衝撃は大きく、ペッと吐きだされた後に鼻息を顔に吹きかけられた。
これは最初、新参者に対する警戒心の強さの表れかと思っていた。
けれど、シューちゃんも疲れただろうと御者を交替しようと手綱を握ると、グラーネは一歩として進まなかった。
嫌われたのだろうかと休憩時間に項垂れていると、グラーネが鼻先を寄せてくれた。
ああ、心配してくれているのかと思った瞬間。
鼻先でボクを小突いてひっくり返した挙句、いやらしい笑い声のようなものを上げながら走り去って行った。
そう、ボクはおちょくられていたのだ。
牡馬は性格の得意不得意などの関係があって複雑だが、牝馬の社会は序列がハッキリしている。
今回の旅路は、トーガさん、シューちゃん、スーちゃん、グラーネに加わるカタチで、ボク――3人と2匹だ。
シューちゃん個人が強いかどうかはわからないけれど、スーちゃんやラファナス、グラーネの態度は至って従順だった。
惹かれるなにかがあるのだろう。
確か動物や精霊と意思の疎通が可能なんだったっけ?
こうなると誰がどう判断しても、一番弱いのはボクだ。
つまり悪態の理由は、グラーネにとってボクが圧倒的に格下だと思われているということだ。
ルットジャーとエルフィンがそれぞれ所有する馬にも気難しいのは居た。
慣れるまでに時間がかかることも少なくなかったが、ここまであからさまに軽く見られるのは初めてのことだった。
ちょっとショックだ。
「……へいき」
声に振り返ると、シューちゃんがこちらを見上げていた。
鈴のついた糸を握った拳を突き出して、親指を立てた。
なんと力強い慰めだろう。
お風呂のときもそうだけど、シューちゃんの言葉は妙な安心感をもたらす。
「ありがとうシューちゃん」
目線を合わせて抱きすくめると、シューちゃんが「んー」と喉を鳴らしながら頭をなでてくれた。
髪を梳く小さな手は心地よく、ボクの三つ編みが乱れた。
構うものか。
どうせなら三つ編みなど解いていっぱい撫でてもらおう。
そんなことを思っていると、後ろでグラーネが嘶いた。
「グラーネ……しっとしてる」
しっと?
ああ、なるほど。
格下の新参者を軽く見ていただけではなかったのか。
グラーネさんはシューちゃんと一緒に居る新参者に嫉妬していたのか。
なんだろうこの気持ち。
前世も含めて初めてではないだろうか。
いいや、アレに似ている。
弟が面倒くさそうに眉根を寄せているのを見ている気持ちだ。
中身が真っ白なハードカバーを手渡したときの、いぢわるな気持ち。
やあやあグラーネさん、ケンカも出来る戦友としてこれから仲良くやっていこうじゃないか!
もう一度シューちゃんの胸に顔をうずめると、悔しそうな負け馬の嘶きが聞こえた。
確認してはいないけど、トーガさんが笑っている気がした。
ちなみに神馬グラーネ様の活躍のおかげで、片道1週間がたった2日で目的地に到着した。
お久しぶりです。
更新おまたせしました。
随分遅くはありますが、【出会い 2】の一人称[修正版]も追加です。
次回更新予定日は9月1日(木)
投稿時間は未定です。




