再会 2
およそ250年前。
当時はルセイスという街はなく、南の大森林が広大な土地を埋め尽くしていた。
木の精霊が迷わせ、屈強な森妖精の隣人がヒト種族の侵入を阻み、一種の独立国の様相を持っていた。
パイプ役であったルシフス侯爵は領地東部の金鉱山脈に執しており、600年前の関係の修復を半分諦めていた。
そのため大陸の南の海底火山が島を作り、その範囲を徐々に広げていたことに気付くのが遅れた。
それぞれの配置と風向きも理由の一つだ。
遥か南部の海上で巻き上がった煙や火山灰は、風に乗って何もない南東部へ消えるだけだった。
粘度の低い溶岩は海上の浸食に留まらず、水の王国領土に魔の手を伸ばしていたのだ。
意志を持たぬ自然災害であるそれが、”外”の勢力である溶岩魔人であると気付いたのは、《未来予知》の”神の贈物”を持つ水の王国の相談役の進言があったからだった。
混乱を防ぐために情報を伏せ、冒険者組合と魔術師組合の協力の下、討伐隊を編成するも全滅。
海獣の横やりを躱しながらの船での海上戦闘では、ヒト種族に勝ち目などあるはずがなかった。
1000年前のオストアンデル時代に、親ヒト種族派として南の大森林に移り住んだエルフの協力は、600年前の遺恨が邪魔をして得られなかった。
そこに現れたのがヒーネ・ルットジャーを名乗る気弱そうな青年だった。
彼は幼い従者を連れており、エルフを説得し、精霊の樹から助言を受け、北方の死の大地で眠る世界樹の種を得る旅に出た。
そのときに同行したエルフの司祭がメネデール・イスナ・エルフィン。
幼い従者は、常に深くフードを被ったシューだった。
3人は北部の”壁”を越え、不死者の軍団の敗残兵を蹴散らして突き進んだ。
死の大地を加護する氷と狩猟の女神スネグラーチカの試練を打ち破り、恐怖の大狼の子供を下賜された。
恐怖の大狼はヒーネの魔力を受けて、その名に恥じぬ働きをした。
氷の大地を闊歩する海獣を喰らい、不死者の軍団を蹴散らし、世界樹の種の眠る場所へと案内した。
世界樹の種を手に入れた3人と1匹は、急ぎ水の王国の南部、南の大森林へと帰還する。
ヒーネは大魔法で浸食する溶岩ごと海を凍らせ、メネデールとシューは恐怖の大狼の背に乗って溶岩魔人を粉砕して回った。
水の王国民とエルフたちも立ちあがり、大きな戦いとなった。
そして火口へとメネデールが世界樹の種を投げ込むと、みるみる内に大火山島は勢いを失い、種は溶岩を糧に大樹へと変貌した。
大森林創生を上回る緑の浸食が島を覆い、年月とともに豊穣の女神の加護を受けて豊かな大地へと生まれ変わってゆく。
島は大陸と繋がって南部地中海を作り出し、南の大森林との友好を任されたヒーネ・ルットジャーは貴族として領地を与えられた。
後に水の王国を代表する新たな都市ルセイスが誕生し、ルットジャー氏族が大陸に名を馳せた。
メネデールは自分の旅の顛末を語り終えると、大きく息を吐いた。
ちなみに彼女の話に登場した恐怖の大狼の子供こそ、ルットジャー氏族の守護魔獣の銀狼ラファナスである。
「すべてが解決した後、シューはいつの間にか居なくなっていて、ヒーネは”次の旅に出た”としか言わなかった」
不愉快そうにメネデールは言い放った。
「話ぶりからは行き先を知っているようだったが……生涯そのことは頑なに話さなかった」
苦楽を共にした戦友が挨拶もなく去ったことや、それを話さない目の前のヒーネに、仲間はずれにされたという気持ちが表情にありありと出ていた。
「つまりシューちゃんは、《ヒーネとメネデールの世界樹復活英雄譚》に登場する”幼い導き手”というこですか?」
「そうよ」
感情を抑えきれないのか、メネデールは拗ねるように視線を反らした。
もしかするとシューにまた怯えられるのが怖いのかもしれない。
「シューは当時から成長や老化を見せなかった。ヒト種族であることは間違いないはずなのに、姿形に変化を見せなかった」
メネデールの言葉にウルールが浮かべた一つの結論があった。
ずっと気になっていた出来事が、その結論で片付く。
しかし尊敬する師が戦友と、すがる様に駆け寄った相手がそうだと口にすることは憚られた。
ぬるくなった紅茶を一啜りして、トーガは微笑んだ。
今度は自分が語る番だと言うように。
「シューと出会ったのは砂漠の国の遺跡です」
トーガの言葉にメネデールが顔を上げた。
「……遺跡?」
「私は歴史学者でして、大陸に点在する遺跡にある碑文や魔法陣を解読しているのです」
「トーガ殿は、どこかの国に仕えておられるのですか?」
「いいえ。個人的に調べています」
違和感しかなかった。
さすがにウルールにもその理由は納得がいかない。
「トーガさん。失礼を承知で聞きますけど、旅費はどうされているんですか?」
「砂漠の国ではモンスターを仕留めて工材として売っていました。水の王国に入ってからは食材になってますね」
「冒険者組合に登録をされていない理由はなんですか?」
動物はともかくとして、モンスターの討伐は賞金が入る。
工材として直接その地の工房へ持っていくよりも、冒険者組合を通して依頼されている材料を持ち込む方が遥かに換金効率がいい。
場合によっては住民の危惧するモンスターの討伐依頼解決の賞金が上乗せされる。
しかも砂漠の国の代表する産業は、砂漠のモンスターを素材にした武具だ。
国家経済に興味があると話していながら、そのことが分からないはずはない。
非効率な活動をする理由がなかった。
「名が売れると困るからです」
メネデールの警戒が一段階上がったのをウルールは感じた。
「メネデール公はご存知なのではないですか?」
「……なにがでしょう?」
「シューの持ち物がどういう意味を持つのか」
「……あれか」
トーガの問いかけに、メネデールは納得と共に警戒を一気に解いた。
ウルールだけがその変化に追い付けないでいる。
「あれってなんですか?」
「シューは遺跡の棺で、ある物を抱きかかえて眠っていました」
”棺”というキーワードに、ウルールは確信を深めるが静かに頷き、トーガに続きを求めた。
「私は彼女が生存している可能性も考慮に入れて、その仕掛けを解きました」
「仕掛け?」
「ウルールさんならご存知でしょう。〈水晶棺〉です」
「オストアンデル英雄譚に登場する、アレですか」
すごいと立ちあがりそうになる衝動を抑えて、ウルールは平静を装って答えた。
「ええ、アレです」
〈水晶棺〉とは、英雄譚でも登場する地属性魔法でもかなりの高位のものだ。
オストアンデル英雄譚のヒロインとも言われる、炎の魔法詠唱者が発見されたときも、同じ仕掛けの魔法道具で封印されていた。
かなり大仕掛けの魔法道具だったとウルールは記憶している。
「その仕掛けを解いて彼女を助けることが出来たのはよかったのですが、名前以外の記憶をすべて失っていたのです」
「もしかしてシューが抱きかかえていたのは――」
「歴史書です」
メネデールが推測を確かめようと問うと、トーガは笑顔で答えた。
すべての合点がいったと頷く師とは対照的に、ウルールの頭の中は疑問符であふれ返った。
聞き覚えのない単語が答えだと言われても理解が出来るはずもない。
「水の王国ヴァスティタ、砂漠の国カービタラサ、獣人王国ウェルイーラ、教国ドルミラフェン、帝国エレンシャフト、亡国ゴルソドム。これらヒト種族を中心にした国にはそれぞれ歴史があります。しかし、各国が掲げる歴史というのは、あくまでその国にとって都合のよい真実であって、事実とは異なるのです」
「トーガ殿待ってください。この子にはまだ早すぎる」
「そうですか」
メネデールの言葉にトーガは素直に口を閉じた。
「国民を安定させるために国が歴史を歪めることは知っています」
国の情報統制というのはよくある話だ。
情報をのべつ幕なしに解放すると、暴走する国民というのは一定数現れる。
緊急事態であれば仮定が仮定を呼んで物資をかき集めたり、仕事を放り出して安全地帯を探したり、それを扇動する危険因子が現れたりする。
大抵の場合その危険因子は他国の間者ではあるのだが――。
そういった事態を避けるために情報を操作することはどこにでもある。
逆に国民の反乱を避けるのを目的に、他国を敵視させる情報統制をする国もある。
国内の情勢不安の鬱憤を他国に向けて吐き出させることで、安定化を図る手法だ。
たとえば教国のドルミラフェンは、ヒト種族至上主義を掲げて獣人種族を始め、”亜人種族排斥”を訴えている。
ヒト種族に都合のよい国は、ヒト種族の団結を促しやすい。
特に”外”の勢力という脅威が実在するだけに効果は高かったはずだ。
たとえば帝国のエレンシャフトは、他種族の奴隷化や肥沃な大地を持つ水の王国ヴァスティタの”西部都市ロードスは遥か昔に自国の領土であった”と声高に喧伝し、領土奪還という空気を作って感情エネルギーを他国へ向けている。
もちろんこうした情報統制にはデメリットもある。
教国は、一度掲げてしまった以上、獣人との共存は無理だろう。
獣人王国はもちろんのこと、獣人冒険者の多い砂漠の国や、エルフと強い協力関係を築いた水の王国とも手を取り合うことは不可能だ。
帝国も同様に、今更引くに引けないだろう。
そもそも西部都市は、水の王国が誕生する1000年以上前から独立した国であったのは周知の事実だ。
ヴァスティタ建国を祝うために参上したロードス王であったロッタル一族が、建国の宣言と同時に信奉する豊穣の女神が降臨するのを目にして、進んで傘下に入ったのは英雄譚でも語られる一節だ。
そしてそれをきっかけに、傘下に入ったのが現在の侯爵家であるラトターナ、リケルト、ルシフスだ。
帝国がいつ頃の時代の話を持ち出して”領土奪還”と言っているのか、ただの捏造なのか定かではないが、それが今現在も掲げる建前だ。
要求を受け入れることは出来なくとも、それらの在り方を否定するほどウルールも幼くはない。
国がどういうもので人間がどういうものかというのは、メネデール邸で学ぶ常識だ。
「違うのよウルール」
さびしげに言うメネデールに、ウルールは口をつぐんだ。
「トーガ殿。歴史学者というのは、そういう意味なのですね」
「ありていに言えばそうです。そのため現在はシューの依頼によって、失われた記憶の手掛かりである英雄譚の収集と、各地の遺跡調査で大陸を回っているわけです」
「納得しました。失礼な態度を取って申し訳ありません」
「よくあることです」
深く頭を下げるメネデールに、トーガは微笑んだ。
話が終わってしまった。
メネデールはウルールにこれ以上首を突っ込ませる気はないようだ。
師にそう区切りをつけられてしまっては、弟子のウルールにこれ以上の追求は認められない。
ウルールの頭に”歴史書”という言葉が静かに、深く刻まれた。
「シュー、もう突然近づいたりしないから、そんなに怯えないでちょうだい。あなたにそんな態度を取られると泣いてしまうかもしれないわ」
メネデールの意気消沈した声に顔を上げると、シューはトーガを見つめた。
「メネデール公。実はお願いがあるのですが」
「宿なら我が家で好きなだけ過ごしてくださって構いません」
「ああ、いえ。大変申し上げ辛いことなのです」
「なんでもおっしゃってください。可能な限り尽力します」
眉を寄せて言うトーガに、メネデールは静かに言った。
「そのお茶菓子を頂いても構いませんか?」
「……は?」
「どうやら気に入ったようでして、もう私の分はあげてしまったのです」
改めてメネデールがシューを見ると、ジトッとメネデールの前にある手付かずのハニードーナツを見つめていた。
「フフ……シューが昔のままでうれしいわ」
メネデールが相好を崩して差しだすと、シューは椅子から降りてドーナツを受け取った後、満足そうに座った。
今度はメネデールの隣りに――。
熱心にドーナツを食べるシューのフード越しの頭を、メネデールがやさしくなでる。
もうスーは腰に下げた皮袋に収まって、出ては来なかった。