屋台広場 1
王都の屋台広場は、”広場”という名では収まらないほどに広大だ。
第三区画の西を埋めてしまわんばかりのその広場は、料理の発祥地で区画整理されている。
それぞれの区画には必ずテーブル席が一定数用意され、食べ歩き以外にも落ち着いて食べることの出来るよう配慮されている。
パンで具を挟んでいたり、パイ生地に包まれていたり、串に刺さっていたり。
香ばしい湯気を上げた屋台がひしめいていた。
屋台広場で頻繁に見かける看板には、串料理の正しい食べ方が描かれている。
串を横にして食べないと、不意の事故で喉を衝くという注意なのだろう。
水の王国は王都と言えど識字率はそれほど高くない。
領地を持つ貴族でさえ、書状の音読が怪しい者も居るくらいだ。
そういう貴族には長年仕える従士一族がいたり、知識階級奴隷などが側に控えている。
そのため屋台の値段も形式によって決まっていた。
紙に包まれたものは銅貨1枚。
紙製の器のものは銅貨2枚。
陶器のものは銅貨3枚。
陶器は、丼やスープカップだったりで形状にはいくつかパターンはあるが、食べ終わればいくつも設置されてある集積所に置いておけば回収される。
割れれば魔術師組合が良質な土へと戻し、工房組合がそれを使って新たに焼き直す。
屋台の容器はすべて工房組合の製作した屋台の共用品で、商業組合が管理している。
包みや器の仲介発注に食器の洗浄、ゴミの収集。
それを請け負うのが商業組合であるからこそ成り立つ、衛生的な屋台広場である。
「見て回るだけでもなかなか楽しいところですね」
「……ですね」
ウルールの案内によって、ようやく一角を回った二人の感想は上々だった。
今はテーブル席に座って、購入した品を広げている。
前菜はサラダクレープ。
ほんのり甘みを感じさせるやわらかなクレープ生地にハムを重ね、キャベツと刻みレタスの上にツナとマッシュポテトを乗せて包んでいる。
ソースにはみじん切りにされた玉ねぎとキュウリの酢漬けの入ったマヨネーズで、シャキシャキ触感に程良い酸味とポテトの満足感が自慢の一品だ。
他にもケチャップソースや砂漠の国の香辛料を利かせたカリー味のポテトなどもあったが、今回は見送った。
ウルールの話によるとカリー味は個性が強く、他の屋台の味の邪魔になってしまう欠点があるようだ。
食べるときは前もってカリー用計画を立てるか、食べ歩きの3日目あたりにすると丁度いいらしい。
王都の屋台食べ歩き3日目は、舌が肥え始めて刺激を求めるようになる頃なのだとか。
贅沢な悩みだとトーガは笑ってしまう。
メインは王都屋台名物のチキンライス包み。
瑞々しい新鮮なレタスに包まれた飴色に輝くローストチキンの下には、玉ねぎとアスパラガスが顔をのぞかせている。
さらにその下からは食欲をそそるガーリックライスの香りがして、シューの胃袋をきゅぅっと締め付けた。
”これを食べねば屋台広場を語るな”とも言われる人気屋台の商品である。
カリッとした皮にやわらかなチキンの歯ごたえ。
玉ねぎとアスパラガスの触感と鼻孔を抜けるガーリックの香り。
確かにクセになる味だ。
シューは先ほどから口を離さないようにして食べており、木の実を齧り続けるシマリスのようだった。
「いかがですか?」
「とてもおいしいです」
ウルールのどうだと言わんばかりの笑顔にトーガは微笑み、シューはチキンライス包みを口にしたまま親指を立てて応えた。
「ジュースにも驚きました。あんなに種類があるとは思いませんでしたよ」
「南の大森林産はルセイスを通して出荷されるので、基本的に王都が主な流通先なんですよ。痛みやすい果実は遠くても商業都市までが限界ですし」
「……ぱいなっぽぅ」
シューはいつのまにかジュースを堪能していた。
シューの手の中にあるのは南の大森林南部で収穫されたパイナップル果肉の完熟ジュース。
酸味と甘みのバランスが良く、果肉が口の中でほどけるようにして消えるのは感動すら覚える喜びのようで、シューは時々紙コップから口を離して両手でほっぺを包んでいる。
味に執するシューにしては珍しい反応だった。
「ウルールさんはイチジクのミルクジュースでしたか?」
「はい。ビオレソリスという種類のイチジクで、ミルクの中のツブツブ触感がクセになるんですよ」
「イチジクと言えば乾燥果実のイメージを持っていました」
「それはスルミナですね。乾燥させると甘みが凝縮された保存食になりますが、これはイチジクの中でも特に果肉がやわらかくて甘いのが特徴です。あとは白いスルミナと違って果皮が濃い紫色ですね」
もちろんエルフィン産ですよ、とウルールは自慢げに笑った。
「それにしても意外でした」
「なにがでしょう?」
「ジュース屋でトーガさんは迷いもせずにそれを選んでましたから」
「あーこれですか?」
トーガのお気に入りは砂漠の国産完熟バナナのフレッシュミルク。
水の王国と砂漠の国の中間にある熱帯林地帯で栽培されたバナナを潰し、ルセイス産の生乳を混ぜた王都にだけ許された至高のドリンクだ。
「バナナをまさかこんなカタチでお目にかかることになるとは思いませんでしたから」
「水の王国の街道整備があるからこそ実現した飲み物ですもんね」
バナナは青い内に収穫されて運搬途中で黄色く熟してゆく食べ物だが、街道の整備がされていない頃では道中で腐ってしまっていた。
ルセイス領の高品質な乳製品が王都で手に入るようになったのも、氷の魔法が発展したおかげだ。
どちらが欠けても誕生しなかったドリンクと言える。
「それもありますが、もっと根本的なところの話です。バナナは元々獣人王国の果物でしたが、600年前にある渓谷妖精が苗木を持ち帰って根付かせたんですよ」
「そうなんですか?」
「彼女のなにげない行いによる発見に、砂漠の国の王が目をつけて栽培に乗り出したんです。彼女は元々砂漠の国の冒険者でもありましたし、国が発展することに喜びました」
功労者である彼女の名が取り上げられなかったのはどうかと思いますがね、とトーガはつぶやいた。
初めて聞くバナナのルーツにウルールは興味がわいた。
と言っても、興味がわいたのはなにもおいしい果物だからというわけではない。
その理由はトーガが歴史学者であり、英雄譚の研究者ということを知っていたからだ。
そして600年前のダークエルフと言えば、ウルールの記憶の中では一人しか思い当たらない。
「その方はもしかして英雄リタですか?」
「よくわかりましたね」
「マースの英雄譚の相棒、不運のダークエルフ リタは有名ですよ」
「不運というか彼女は、生真面目だったために苦労を背負いこむ性格だったんですよ。そのことを嘆くような性格でもありませんし、後悔をしても前を見る強さを持った女性です」
「そう……なんですか?」
「ええ。そのせいでトラブルにも巻き込まれやすいわけですが」
懐かしい思い出を又聞きするようなそれに、ウルールは確信する。
「トーガさんは英雄リタとお知り合いなんですね」
「ええ。彼女は大切な友人です」
トーガによると英雄譚の研究をしていると、長命種族の英雄と直接会うことはよくあることらしい。
炭坑妖精の大戦士スワルトバートルから酒の飲み比べを持ちかけられたり、
人魚の女王のアルレーシャは歌い上戸の向う見ずな性格だとか、
英雄譚を聞くだけは知ることのできない話を聞かせてくれた。
「水の王国ではマース英雄譚はあまり話題に上がりません」
マースの石像は第三区画の東の果てで、同じく第三区画の北西にある豊穣の女神の大神殿を見つめている。
しかし、本当はそのずっと向こうの大魔法の爪痕である、マース湾を見て憂いているのではないかというのが現代の王都民の推測だった。
600年前のマースの《国堕とし討伐英雄譚》は、エルフ少女集団拉致が発端の物語で、水の王国が奪還に二の足を踏んだためにエルフとヒトで国が真っ二つに割れる寸前にまで陥る大事件だった。
そこへ現れたのが大魔法詠唱者のマース・トカートル率いるリタ・サイテアーク・デグアールヴとスワルトバートル・ドヴェルグの冒険者チームだった。
彼らは北方の死の大地と隣接する国、豪雪のゴルソドムからの拉致被害者奪還の依頼を受けるも、時すでに遅く失敗。
奪還する対象であったエルフの少女たちは、凌辱され、破壊され、生贄にされ、魂を汚され、禁忌の術によって闇へと落ちた。
不死者の軍団を率いる吸血姫となって、怒りと殺意を撒き散らしながら大陸を南下してきたのだ。
それを止めたのがマースの大魔法だった。
「私は彼らの働きがあるからこそ、今の水の王国が存続していると思っています」
「彼らは事態に気付くのが遅れたことを悔やんでいました。依頼を受けた頃にはすでに儀式は始まっていて、助けることは出来なかったのですがね」
「そう、ですね」
未だに南の大森林の中でも水の王国に不信感を持っているエルフは多い。
王都でさえエルフの姿を見ることが少ない程度には、警戒している。
当時は帝国が本格的に攻め入ろうとする姿勢を見せており、大戦力を投入することが出来ない状況だった。
豊穣の女神の加護による肥沃な大地に、圧倒的な魔力保有量を持つエルフという奴隷は、帝国にとって魅力の塊りだったに違いない。
事件発生直後は、どこの国の犯行なのかさえ即座に分からなかった。
帝国の同盟国であった北方の豪雪の国ゴルソドムだと判明したころには、手遅れだった。
結局ゴルソドムは儀式によって誕生した吸血姫の怒りによって灰塵となり、国民は不死者の軍団として死ぬことも許されない奴隷となった。
それもこれもすべて、マースの大魔法によって大地ごと抉り取られて、消滅した。
水の王国と森の大森林の腫れものを触るような微妙な空気に変化をもたらしたのは、そんな事件から350年後――今から250年前の英雄ヒーネ・ルットジャーだった。
小銀貨と銅貨のデザインがその英雄譚に塗り替わるのは、そんな空気の払拭を願ってのことだったとも言われている。