英雄と血統 1 -魔法の詠唱と姉妹- [修正版]
紅玉の月に相応しい日差しがレウノアーネへ降り注ぎ、そのあちこちで千年祭の準備に住民が勤しむ頃。
トンテンカンと舞台や屋台を組む金槌木槌の喧騒さえ霞む場所で、ボクは深呼吸を繰り返していた。
ここはトーガさんたちと別れた中央大広場からはるか遠く。
石畳のなだらかな傾斜を上りに上った第2城壁を抜け、貴族階層区でも最上位を誇る一等地。
王城守る第1城壁に寄り添って広がる、新緑に満たされた師自慢の庭だ。
ぼんやり視線を巡らせていると、あの物々しくも頼もしい2つの城壁内であることを忘れてしまうほどで、夏の暑さを逃れて泳ぐ池や小川さえあった。
ぐっと伸びをして血を体中に巡らせる。
それは脳の活性化を促すための酸素の供給。
深呼吸と適度な運動は集中力を高める大事な作業だ。
これから始めるものは、暗唱が肝となる。
まぶたを下ろして最後の深呼吸。
満たされた肺の中身を吐き切ると、小さな息を吸ってそれを開始した。
「”魂は心で燃ゆる。其はこの身に巡りて左から右。
熱く脈打つは命の鳴動。赤に宿りしは貴き奇跡”」
開始前のイメージ通りによどみなく、両手を胸の前に掲げる。
「”精神の導きにて色めき立ち、我が手に集いて形を成す”」
まぶたの向こうに浮かぶ光源を目が拾う。
「”根は鋭く、篦は長く。
放ちし筈から力は篦に。風切り裂いて率いるは根”」
薄く開いたまぶたの先で集約されるほのかな光は、紡ぐ言葉に従い矢を形作ってゆく。
それはどこか儚さを湛える白い輝きで、ちょっとした拍子に消えてしまいそうだ。
「”疾風の如く、疾風が如く。我が敵を撃て”」
イメージと幾分かの差はあるものの、目的の神秘の光矢に違いはない。
ボクは内心で妥協に頷き、それに向かって力強く発動の鍵を咆哮した。
「〈魔法の光矢〉!」
キーと同時に光の魔法陣が正面に展開され、くるくると回りながら光矢をくぐらせる。
するとそれは、詠唱の文言のままに疾風の如く解き放たれる――ことはなかった。
魔法陣をくぐり抜けた後は咆哮むなしく墜落し、地面に突き刺さることなく霧散した。
失敗である。
「あー……」
やっぱりという思いが声となって口から漏れた。
もう何度繰り返したか数えるのも億劫なほどの失敗の山。
周りのリアクションも定着して久しい結果だ。
「古代詠唱でも発動しないか」
鈴の鳴るような唸り声に目を向けると、不自然な伸び方をする枝に腰かけた師が小首をかしげていた。
その仕草はひどく悩ましげで、長いまつげから覗く青玉の輝きをより際立たせていた。
それでいて光に透けたような金色の髪間からは、尖った耳が時折ぴょこぴょこと跳ねるかわいらしさが同居する。
色白で均整のとれた顔立ちは、エルフであることを差し引いても余りある美貌の乙女。
ボクの魔法の師である彼女の名は、メネデール。
水の王国ヴァスティタの第三英雄史の英雄――メネデール・イスナ・エルフィンである。
母の話によると280歳を優に超えるそうなのだが、今年で14となるボクの姉と言っても何の違和感もない。
薄手のサリーを身にまとって右脚を上に組む様も、1枚の絵画を眺めている気分にさせた。
「ウルールは、覚えはいいのだがな……」
細いあごに触れながら、メネデールさまが小さくぼやいた。
ボクはそれに対して苦笑いを返す以外になかった。
師が評するように、記憶力に関してはかなりの自信があったからだ。
それは前世今世ともに――である。
記憶というものは、生まれ持った脳の出来と鍛え方が物を言う。
見て、読んで、聞いて、触って、味わって。
またはそれぞれに関係性を持たせた五感刺激を繰り返し、脳を鍛えてゆく。
いくら素材がよかろうと鍛えなければ廃れてしまう。
それが常識だ。
いや、常識だったという方が正しいか。
ボク自身が記憶の媒体たる前世の脳を介すことなく、前世の記憶を引き出せているのだ。
これが未だ覚めない最期の夢でないとは言い切れないが、宗教の教えに登場する輪廻転生だと認めてしまう方が建設的だろう。
輪廻転生とは、様々なものに何度も生まれ変わりながら魂の徳を積む修行のことで、善行を積めば来世は良き生まれに、悪行を積めば虫や畜生に転生すると言われている。
だからむやみに争わず、手を取り合ってお互いを敬いましょう――というのが概ねの趣旨だ。
ぶっちゃけてしまえば、社会を構築する上で障害となる殺人や盗みなどを抑制するための最古の人間教育が『宗教』なのだ。
ところがその方便は正しかったらしい。
ボクの前世が善行による徳に満ちた一生だったとはとても思えないけれど、生まれ変わりというものはあったのだ。
そして本来の輪廻転生では、記憶がその都度キレイさっぱりなくなるハズなのだが、時折前世の記憶を持って生まれることもあるという。
どうやら幸運にもそれを経験できたようだ。
しかも霞がかった一部の記憶でなく、思い出せるどれもがハッキリと鮮明。
読みふけった本や見聞きした情報のほとんどを明確に声に出せるレベルで覚えている。
物事の成り立ちや言語のパターン。
人間心理の働きと、様々な国の伝承や人類史。
師の言う”覚えがいい”は、これら情報が土台となった結果だ。
ボクにしてみればこちらとあちらの言葉を照らし合わせる作業でも、教える側からすると物事をより深く理解するという評価になるのだ。
天才だなんだと祖父や両親に持ち上げられるのはくすぐったかったが、案外天才と呼ばれる人たちはこうした前世の記憶を持って生まれていたのかもしれない。
ただし、ボクは前世において圧倒的に実践経験が不足していた。
それは感覚が一部未発達だったという点を差し引いても、わかりやすいほどに大きな問題だった。
たとえば料理。
手にした料理教本の中に『溶き卵をフライパンで焼く』とあったとして、多少の技術描写があろうとダシ巻き玉子やオムレツは容易に作れない。
精々パサパサのスクランブルエッグが出来上がるのが現実だ。
ケーキなどもそう。
生クリームで華やかなデコレーションのイメージは出来ても、それを実現するには微細な力加減を理解した熟練者でなければならない。
そしてそれら経験は、一見なんの関係もないような物事にも繋がっていて、感覚的センスとして発揮される。
弟いわくボクはかなりのぶきっちょらしかった。
今思えば、圧倒的に足りないそれを突飛な発想でごまかそうという心理が働いたのが――ブルーベリージャム入りの水炊きなのだろう。
これによって学んだのは、情報を持っていても経験がなければ知識足り得ない物が多く存在するということ。
だから今生はなにごとも経験、と積極的に実践してきたのだ。
けれども。
けれどもやはりというか、経験にすら手が届かないものは存在した。
それがこの魔法なのである。
先ほどのように、下級魔法でも基本中の基本と言われるものでさえ発動に至らない。
魔法の詠唱だけならば大抵のものはそらんじられる。
無属性の攻撃魔法〈魔法の光矢〉。
対象の筋力を増加する〈筋力強化〉。
肌や武具の耐久力を高める〈耐久強化〉。
魔法耐性を高める〈対魔法防御〉。
武器の鋭さを高める〈鋭刃強化〉。
エルフは生まれつき魔力保有量が多く、魔法習得にも優れた種族らしいのだが、6歳から今日までどれひとつとして扱えない体たらくなのだ。
要するに。魔法の才能がないのである。
師はどうしてもボクに魔法を覚えさせたいらしく、今もうんうんと唸っていた。
個人的には才能のない魔法は諦めて、自活するための手に職や人脈作りに時間を回したい。
この様子では認めてくれないだろう。
気まずさに視線を逸らすと、師の足元に座り込む1人と目が合った。
「詠唱なっが!」
暗い金髪で2つのおさげの少女が、心中を隠すことなく毒吐いた。
立ち上がればボクとそれほど変わらない背丈の彼女は、今年で15になる。
今は表情が豊か過ぎるせいで小憎たらしい顔をしているが、普段はアーモンド形のパッチリした目で瞳は大きく、鼻筋が通ったかわいらしいヒト族の女の子だ。
「ホーリィ……今はメネデール様がウルールの魔法を見ているのよ。邪魔してはいけないわ」
それを諌めるのは大人へと変化を見せる17の、淡い金髪をふんわりと三つ編みにまとめたヒト族の少女。
どちらも同じメネデールさまの下で魔法を学ぶ――ボクの兄弟子ならぬ姉弟子だ。
「だって〈魔法の光矢〉って攻撃魔法でも基礎の基礎でしょ? 魔力で形成した矢を真っすぐ飛ばすだけじゃないの。才能がないのよ」
まったくもって反論の余地がなく、思わず頷いてしまった。
彼女が第一声で指摘したように、ボクの唱えた文言は長い。
とてつもなく長い。
あれはメネデールさまから教わった古代詠唱と呼ばれるもので、かつて神から魔法を授かった時の詠唱の原文だと言われている。
地上の生物が魔法を扱えなかった時代のものであるため、単独戦闘での実用性は皆無に等しかった。
それが長い歴史の中で短縮化され、多くが前線での実用性を認められるレベルになったのである。
”鋭き鏃は疾風が如く、我が敵を撃て” が現代の詠唱で、
〈魔法の光矢〉が発動の鍵。
これほど短くなった詠唱であろうと、戦闘中に魔法を使用するのは難しい。
バカバカしい理由に聞こえるかもしれないが、走りながら喋ると舌を噛むからだ。
これがまた深刻な問題で、地上を駆けるだけでなく馬上で舌を噛み切るなどして命を落とす魔法詠唱者は少なくない。
「魔法の才能の開花は人によって時期が違う。ウルールはエルフであるし、長寿である分目覚めが遅くてもそれほど焦ることではないのよ」
「でもメネデール様、ウルールは強化の魔法もままならない落ちこぼれもいいところじゃないですか」
先ほどからボクの無才ぶりを論っているのは、ホーリィ・ルットジャー。
諌めているのは、ヘレナ・ルットジャー。
そう。”ルットジャー”だ。
第3英雄史《世界樹復活英雄譚》のメネデールさまのパートナー。
英雄ヒーネ・ルットジャーの血統を受け継ぐ姫君たちである。
「ホーリィ。ウルールはあなたの妹でもあるのよ。責め立てるような言葉で追い詰めるものではないわ」
そしてその姫君にはボク――ウルール・サラーサ・エルフィンも含まれていた。




