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第7話「ある日の休日」

 7月の初旬


 美術館に行った翌日の祝日。


 堀田(ほった)君野(きみの)は近くの店を散策したあと、君野の家を訪れていた。


「……なあ、君野」


「ん?」


「昨日さ、俺と何してたか覚えてるか?」


「昨日?」


 君野は少しだけ首を傾げ、それから困ったように笑った。


「ごめん、思い出せない……」


 ――わかってる。奇跡なんて起こらない。


 堀田は何も言わず、その手首をそっと掴き、わずかに引き寄せた。


「……なんでもない」


 一拍だけ残して、手を離す。


「あっちぃ、疲れたな……」


 堀田はいつもの手つきでクーラーをつけ、炭酸のボトルを開けて君野の前へ置いた。


「ほら、君野」


「ありがとう」


 君野はボトルに口をつけたまま、息継ぎも忘れたように飲む。


 そのわりに、あまり量は減っていない。


 本人は「ぷはぁっ!」と、水面へ顔を出したみたいに息を吹き返している。


 それが愛おしかった。


 そして二人は、ベッドの横にあるテーブルへお菓子を広げた。


 堀田は几帳面にテーブルのほこりを、わざわざ買ってきた手拭きシートで拭く。


 ついでに床へ転がっていたシャーペンとティッシュも拾い、手際よく片付けた。


 そんな労働をしている間も、君野はベッドへ寝転がり、ポップコーンを食べながら、リサイクルショップで買ってきたレトロな漫画を何気なく読んでいる。


 堀田はその様子を横目で眺めながら、黙々と部屋を片付けた。


「はあ……」


 ようやく堀田が腰を下ろし、テーブルの上の個包装のバームクーヘンへ手を伸ばした。


 その時だった。


「ああ!!」


 君野が突然、ベッドの上で大声を上げた。


「どうした?」


「……ひどい……」


「ん?」


 君野は上半身を起こし、漫画の最後のほうのページを開いて堀田へ突き出した。


 そこには数ページが引き裂かれ、その先の結末だけが読めなくなっていた。


「これ、最近通ってた歯医者で読んでたんだ。同じところで終わってたから、結末が知りたくて買ったのに……」


「ああ……歯医者に置いてあった漫画が、そのままリサイクルショップに売られてたってことか?」


 君野はそのままベッドへ倒れ込み、足をばたばたと動かす。


「悔しい~!!」


 堀田はスマホを取り出し、その作品を検索した。


 しかし同名作者の作品はあまりにもニッチだったのか、電子版すら見当たらない。


 ……が。


「……お、君野。これ映画になってるらしいぞ。動画サイトにあるみたいだ」


「じゃあ、漫画じゃなくても続きは見られるのかな!」


「観たいか?」


「観る! 決着をつける!!」


 もう漫画の面白さどうこうではない。


 君野は枕を抱え、顔をぐりぐり押しつけながら、この未練の行き場をどうしたものかと悶えている。


 堀田はその様子に思わず笑い、動画サイトのアカウントを作ると映画を再生した。


 テレビへ映像を映し出し、二人は並んでベッドへ腰を下ろす。


 しかしその映画は25年前の作品だった。


 どこか懐かしい空気が、じわじわと眠気を誘ってくる。


 一時間ほど経った頃。


「……つうかこれ、原作通りに終わんのか……って、おい!」


 隣を見ると、君野は枕を抱えたまま後ろへ倒れ、すっかり眠っていた。


「お前が観たいって言ったんじゃないのか……」


 その安心しきった寝顔のほうが、映画よりずっと目を引いた。


「……そうかい」


 堀田はパーティー開けしたままのポップコーンへ手を伸ばし、ぼんやりと口へ運ぶ。


 奥歯で潰し、そのまま飲み込んだ。


 結末だけ説明できればいい。


 もはや、そんな使命感だけで画面を見つめていた。


「いい御身分だな……」


 プリンスは、何も悪くない。


 白黒きいろにキスされていたと言い出したのも、起きたことを、そのまま伝えただけだ。


「くそ……」


 なんでだ。


 なんで今まで言わなかった。


 あの時、君野の記憶が消えていなければ、聞けなかったことだ。


 本当は、あのトイレの中で何かあったんじゃないか。


 そんな考えが、頭から離れない。


「……」


 堀田は映画から目を離し、眠っている君野へ近づいた。


 可愛い天使の寝顔。


 ずっと俺が守ってきた。


 忘れられても。


 何度でも。


「っ……」


 その瞬間だった。


 テレビから、女の甘える声が流れてきた。


「!」


 熱いラブシーンが始まった。


 昔の映画だからか、容赦がない。


 堀田はしばらく画面から目を離せなかった。


 指先に汗がじっとりとまとわりつく。


 震える右手が、眠る君野の頬へ伸びる。


 もっと深く刻んでしまえ。


 ――脳の奥で、誰かが囁いた。


 俺が意気地なしじゃなければ、こんなことにはならなかったはずだ。


 堀田は一度だけ躊躇し、そのまま唇を重ねた。


「……君野、終わった」


 肩を軽く揺すると、君野はゆっくりと目を開けた。


「……そうなの……最後、どうなってた?」


「……終わった。まあ、ハッピーエンドだ」


「なんかあったの?」


「いや、まあ……地球は守られたんだ」


「そうなんだ……」


「想像通りだったか?」


「いや……僕、てっきり……でも、違ったみたい……」


 含みのある言い方に、堀田は眉をひそめる。


 すると君野は、上目遣いで小さく笑った。


「テレビから女の人のそういう声がして、堀田くんが僕にキスしたから……」


 君野は枕を抱え直し、恥ずかしそうに目を伏せる。


 その一言で、堀田はようやく意味を理解した。


 顔が一気に熱くなる。


「ち、違う! てかお前、あの場面見てたのか!」


「うん。気まずくて、寝たふりしてた」


「……そ、そうだよな……」


 一瞬、部屋が静まり返る。


 すると君野は静かに起き上がり、堀田との距離を詰めた。


「……野蛮でも、いいんだけどね」


「は?」


「……ふふ」


 そのまま、君野はそっと唇を重ねた。


 まるで、さっきのキスの続きを返すように。


「えへへへ!」


「なんだよ……お前な、自分が観たいって言ったんだから、寝るなんて卑怯だぞ!」


 そう言いながら、本当は嬉しかった。


 もしあの時、君野が隣で起きていたら。


 そのまま、満たされていたのか。


 君野は、そんな堀田の顔を無邪気に覗き込む。


「じゃあ、一緒にあの場面見た方が良かった?」


「いや、そうじゃねえ……お前、俺で遊んでないか?」


 その言葉に、君野は歯を見せていたずらっぽく笑った。


 なら、今からでも……!


 堀田はシーツを強く握りしめる。


 しかし君野は、間の抜けた声で言った。


「ポップコーン、歯に挟まっちゃった。ねえ、見て?」


 君野が素直に口を開ける。


「は!? ……どこだよ。見せてみろ」


 堀田は爪楊枝を取り、そのまま指先を口の中へ差し入れた。


 奥歯に触れる。


 ぬるい。


 こんなところまで触れられるのに。


 こんなにも近くにいるのに。


 胸の奥の違和感だけは、少しも埋まらなかった。



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