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第48話「通常運転」


「そんなの許さない!!この絵にも美術室にも近づくな!!!!」


 君野(きみの)の「目を描きたい」という言葉に、堀田(ほった)の絶叫が美術室に響く。


 強く否定されたことで、君野の心の中の灯火は、風に吹かれたように小さくなった。


「でも……」


 そんな人じゃない。


 なのに……どうして理解してくれないんだろう。


 このままずっと現れるなら――


 消してあげたほうが、いい気がした。


 だから僕が、かわりに目を描かなければいけない。


 なら……


 目は何色で描けばいい?


 教室に戻ってからも、君野は授業中ずっとそのことを考えていた。


 すると、誰も触れていないはずの赤ペンが、筆箱からぽとりと抜け落ちる。


「赤……?」


 隣では堀田くんが、ずっとピリピリしている。


 その赤が、今の彼を象徴しているようにも思えた。


 君野は飛び出した赤ペンを、静かに筆箱へ戻した。




「それ!!」


 4時限目の数学の授業中。


 不意に響いた堀田の大きな声に、君野は肩をビクッと震わせた。


「な、なに?」


「あ……なんだ。『0』が2つか……」


 堀田はそう言ってため息をつく。


 数字を書くたびに反応するほど、神経が張り詰めているのが伝わってきた。


 ……心配してくれてるだけ。


 それはわかってる。


 堀田くんは、からくり時計で僕たちの人生が操作されていたことも、お爺ちゃんのことも全部話してくれた。


「これから、なにか使命みたいなものを感じても、意識がはっきりしてるなら動かないでほしい。俺の隣でじっとしていてくれ」


「僕もお爺ちゃんの時計に、物語に操られてるんでしょ?だったら僕はね、あの絵に――」


「やめてくれ。そのセリフも、そうとしか思えない」


 それなら……


 堀田くんの言葉だって。


 どうして僕の考えを受け止めてくれないの?


 堀田が教科書を引き出しから出している間、君野の目が限界まで潤む。


 この感情もわからない。


 泣くようにされているのか。


 本当に僕の心が泣いているのか……。


「……ちょっとトイレ行ってくるね」


「俺も行く」


「あ、あの……」


 少しだけ、1人になりたかった。


 君野は静かに1度うなずき、用を足す用事もないトイレへ向かった。


 その間も、堀田は君野の腕から手を離さない。


 ボディーガードのように守ってくれる。


 でもその優しさが今は少しだけ苦しかった。


「……そこで待ってて」


「ああ」


 堀田は言われた通り、男子トイレの前でしばらく待つことにした。


 君野が小便器の前に立ったのを確認すると、入口へ戻り、その前で腕を組んで待っていた。



「……」


 堀田は目を閉じる。


 頭が痛くなるほど、何度も同じ自問自答を繰り返した。


 君野を守るために、俺は何ができる?


 あの目を描いたら、絶対にバッドエンドだ。


 俺たちが時任先輩のように消えてしまう。


 あるいは、君野だけが魂を爺さんに奪われる。


 他に方法はないのか。


 爺さんの絵への執着を、君野への執着を解く鍵は何なんだ。


 絶対にあるはずだ……!


 だが、まだ何も思い浮かばない。


 なぜなら俺は、当事者ですらないからだ。


「っ……」


 呪いのキスも、やっぱり爺さんの創作だったのか?


 そう言われたら、腑に落ちてしまう。


 人を惹きつけてしまう神秘性。


 その天使が、自らのモデルとなった天使に目を描く。


 物語としては美しいのかもしれない。


 だが、そんなことだけは絶対にあってはならない。


「……遅いな」


 君野がトイレから出てこない。


 体調不良かと思い中を覗くが、誰もいない。


「君野!どこだ!」


 呼びかけても返事はない。


「まさか……!!!」


 嫌な予感が全身を駆け抜ける。


 堀田は再び美術室へ向かって走り出した。


 その途中で、始業を告げるチャイムが鳴り響いた。


 君野はまだ同じトイレの中にいて、一番奥の個室に閉じこもっていた。


 なぜか、ここから動けなかった。


「……」


 クリーム色のカーディガンを着た君野は、なぜかそのボタンを付けたり外したりしながら、ただ時間だけを過ごしていた。


 すると――


 コンコン


 自分の個室にノックが響く。


 もしかして先生?堀田くん?


 ……でも、声がない。


 手前2つの個室には新しく人が入った形跡もない。


 ただ、トイレのドアの下には、人の気配と影だけが見えていた。


「あの……」


 返事はない。


 それが不気味で、中にいる圧迫感にも耐えられなくなり、ついに個室のドアをそっと開いた。


 すると――


「ひっ!?」


 ドアの隙間から指が滑り込んできた。


 そのままこじ開けられ、足が入り、誰かが侵入してくる。


「きいろくん……!」


 まるでシリアルキラーだ。


 ニヒルに笑いながら、中の僕を仕留めるために生まれてきた殺人鬼みたいだった。


 怯える僕の手を引き、トイレの個室から連れ出す。


 そして不意に、ぎゅっと抱きしめられた。


 小さな悲鳴をあげる。


 なのに、不思議と僕は、よく知らないはずの彼を待っていた気がした。


 右手が首元を下から上へゆっくりなぞる。


 その指先が、首筋をぞわぞわと震わせた。


「きいろくん……!なにしてるの……?」


 しゃがみ込んだきいろは、君野のカーディガンへ手を伸ばす。


 ボタンを1つずつ外していく姿に、心臓が恐怖で跳ね上がった。


 この場所で何を――!?


 そう身構えたが、よく見るとボタンはひどく掛け違えていた。


 きいろは外したボタンを、今度は下から留め直していく。


 しかし、その手は途中で止まり、静かに口を開いた。


「覚えているか」


「何を……?」


「一番最初の出会い。公園で、お前のボタンがずれているのを俺が直した」


「覚えてないけど……そんなことがあったんだね」


「お前、なんて言ったと思う」


「なんだろう……」


 君野が考え込むと、きいろはカーディガンをぐいっと引っ張り、その隙間から彼のシャツへ顔を埋めた。


「ひゃっ!!」


 君野の体がトイレのドアへ押しつけられる。


「ちょっ……ちょっと、きいろくん……!くすぐったい!」


 ジタバタと抵抗する君野をよそに、きいろは気が済むまでその温もりへ顔を埋め続けた。


「……俺は、お前の犬だ」


 低く、噛みつくような声だった。


「犬?きいろくんが僕の?あれ……どこでそうなったんだっけ……」


 きいろは壁際に追い詰められた君野の顔をじっと見つめる。


 その瞳を見ていると、不思議と懐かしい気持ちにもなった。


「……ネクタイの下のボタン、取れてないか。直してやる」


 そう言って手を伸ばした瞬間、君野は慌てて自分で確認し、勢いよく首を横に振る。


「いい……!」


 ボタンはちゃんと付いていた。


 わかりやすい嘘がばれたきいろは、凝りもせず再び君野をぎゅっと抱きしめた。


「……どうしてこんなことするの?」


「愛だ」


「……そんな目で見ちゃダメだよ」


 その言葉に、きいろは獣のように暴れる衝動を静かに押さえ込んだ。


 互いの胸が触れ合い、心臓の音が伝わってくる。


 でも、彼の鼓動は静かだった。


 明らかに僕のほうが速い。


 それが伝わっている気がして、ひどく恥ずかしかった。


「怖がらせて悪かった。……出会った時も、お前はふざけながら言った」


「そんな目で見ないでって?」


「今度は本気で言わせたいと思った」




「君野!!」


 堀田の声が、トイレを出た廊下からかすかに聞こえる。


 まだ僕を探してくれているようだ。


「……僕には、堀田くんがいる……」


「ああ。だから今しか味わえない」


「え?」


「あいつのことを想うお前を、愛せるのが」


 唇が近づく。


 触れる直前で止まる。


 息だけが、かかる。


「……」


 一瞬、時が止まったように目が合う。


 首を横に振る君野を見て、きいろは妖しく口角を上げると、優しく唇を重ねた。





「君野!!!」


 堀田がトイレへ駆けつけると、ちょうどきいろと君野が出入口から出てきたところだった。


「……体調悪いってよ」


 きいろがそう言って、君野の肩を支える。


「熱あるのか?」


 堀田はそう言って、うつむく君野の額へ自分の額を当てようと、両手でそっと顔を持ち上げた。


「!」


 顔を覗き込むと、頬は真っ赤で、目は限界まで潤んでいる。


 眼前に迫る堀田の顔に、君野は首を何度も横へ振った。


「大丈夫……だから、少しだけ1人にして」


「……じゃあ保健室行くか?」


 その優しい言葉に、君野は小さく1度うなずいた。



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