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第45話「さよならからくり時計(後編)」



君野(きみの)、どうした? 白黒(しろくろ)は?」


 堀田(ほった)は、折れた割り箸を2本だけ持って戻ってきた君野へ声をかけた。


「あ……うん。はぐれちゃったみたい」


 君野が目を泳がせて答えると、隣にいた(あかね)が魔法使いのように真上へピュンッと飛び上がった。


「きいろく~~~ん!!!」


 50メートルも走れそうにないほどの雑踏へ向け、彼女は人の波に反響させるような大声で呼びかける。


 すると、きいろの姿はすぐに人混みの中から見つかった。


 堀田も居場所を知らせるため、手をブンブンと振る。


 きいろは急ぐ様子もなく、マイペースにこちらへ戻ってきた。


 さりげなく君野の隣へ移動すると、目の前にそびえる商店街で1番大きなビルを見上げる。


 大型モニターには、すでに駅前のからくり時計が映し出されていた。


 時計の前に集まった観客だけでなく、通りや建物の中にいる人々も、モニター越しにその姿を見上げている。


『えー、えー……皆さん、お待たせしました』


 マイクを持った商店街の関係者が挨拶を始め、続けて時計の歴史を語り出した。


 この街と、ルネ・デュバルが暮らしていた南フランスの田舎町が姉妹都市だったこと。それをきっかけに、このからくり時計が設置されたこと。


 日本にルーツを持つルネは、当時すでに日本の時計業界でも名の知れた職人だったという。


 振興組合長の声が、エコーを伴って街中へ響き渡った。


 しかし、堀田たち3人の心は穏やかではない。


 アナウンスでルネの名前が呼ばれるたび、それぞれの胸に複雑な感情が渦巻く。


 堀田は無意識に拳を握り締めていた。


 痛みに気づいて手のひらを開くと、爪の跡がホッチキスの針のように深く食い込んでいる。


「!」


 君野だけは興味津々に、ルネと時計の歴史を聞いていた。


 その手を、なぜか同じタイミングで左右から強く握られる。


 君野は両隣のきいろと堀田を、きょろきょろと見比べた。


 平和な式典の話を聞いているとは思えないほど、2人の表情は深刻だった。


 君野は不思議そうに首を傾げる。


 偉い人たちの挨拶が、入れ替わり立ち替わり続いていく。


 現場には地元テレビ局のカメラクルーや名物アナウンサー、さらには町長まで姿を見せていた。


 時計の見納めというだけでは収まらず、町を挙げた一大行事にまで膨らんでいる。


 カメラが向けられると、アナウンサーもマイクを手に、その時を待った。


 長かった挨拶が終わり、ようやくからくり時計が動き始める。


 この時計に収められた物語は、全部で24回。


 アナウンスがそう告げると、会場から小さなどよめきが起こった。


「きゃん!」


 突然、茜がきいろの背中へ覆いかぶさるようにしがみつく。


「ねえねえ!約束したでしょお?あたしがあ、あなたの背中に乗りながら見たいって!私が時計の物語を読み取って、みんなに教えてあげるう!」


 きいろは表情を変えなかった。


 それでも茜をおぶえるように前屈みになり、その両脚を抱える。


 時計職人の息子であるきいろが見ても、文字のない人形劇は、妖精たちがカクカクと動いているようにしか見えない。


 物語を読み取れるのは茜だけだった。


「きゃ~! 全部見るの、はじめてえ~!」


 からくり時計の鐘が鳴る。


 長針と短針は、昼夜の区別もないまま12時から動き始めた。


 ゴーン、ゴーン……。


 12回の鐘とともに下部の扉が開き、妖精たちがクラシック音楽に合わせて動き出す。


 およそ20秒で1つの演目が終わると、針は次の時刻へ進み、違う音楽と人形劇が始まった。


 それを繰り返しながら、時計は24の物語を順番に見せていく。


 以前にも感じた、街全体が時計に支配されていくような感覚が、堀田の全身を駆け巡った。


 飲み込んだ唾が劇薬に変わったかのように、喉が分厚く腫れた気がする。


 腹の奥まで痛み始めた。


 それでも、握った君野の手の温もりを確かめながら、必死に歯を食いしばる。


「きゃ! ロナウド……!」


 針が最初の5時まで進むと、茜は3人にしか聞こえない声で呟いた。


「ルネっちが~、まだ若い時に、あのからくり時計を作ったんだってえ。すっごく苦労して作ったって流れ~。でもお、作るにはかなりの覚悟が必要だったみたい。自分の未来を犠牲にした~って言ってるう。……う~んと、なんで犠牲にしたのかは、茜ちゃん難しいことわかんな~い」


「未来を犠牲に……?」


 堀田は眉をひそめた。


「とにかく~、『私は未来を犠牲にして作品を作る』って伝えてる~。ロナウド……じゃなくてえ、きいろくんが生まれることも、時計を作る前からわかってたのかもお」


 茜はマイペースな口調のまま、時計の中で繰り広げられる物語を読み解いていく。


「あ、それで~、きいろくんのママは、日本人の女の人との子どもだったっていうう~。言葉を翻訳する人みたいな~?日本に来たついでに!?ヤダー!」


 時計盤を見つめたまま、茜は夢中になって続ける。


 きいろは右手を口元へ添え、親指で下唇を挟んでいた。


 事件の謎を長考する探偵のように、その表情は固い。


 そうしているうちにも、針は6時から9時まで進んでいく。


 時計の中では、妖精たちが入れ替わり立ち替わり現れ、先ほどとは違う動きを見せていた。


「あ~!ロナウド、ここにもいたあ~!ということはあ、これは午前中なんだねえ~」


 茜が1人で呟く。


 時計の下部では、黒髪で白装束の人形がカクカクと動いていた。


 見た目だけでは、音楽隊に囲まれているようにしか見えない。


 周囲では観客がスマートフォンを向け、肩車された子どもが人形へ手を伸ばしている。


 そこだけを見れば、平和な祭りの光景だった。


 しかし針が進むと、ロナウドと呼ばれる人形の隣へ、背中に小さな羽を生やした黄色い髪の人形が現れた。


 あれは、君野なのだろう。


「あ~、ここはねえ、きいろくんとルネっちが山小屋で暮らしてたって。それからあ、きいろくんが、あの黄色い頭の子……たぶん君野くんと出会ってえ、仲良くなるところお? それでえ、何かとんでもないことが起こったよおって。あの山火事かも~。お爺ちゃん昇天」


 茜の呑気な分析に、君野の両側に立つ堀田ときいろが同時に鳥肌を立てる。


 時計を作った時点で、すべてが見えていたんだ……。


 改めて背筋が冷える。


 ――つまり、俺たちは最初から“決められていた”ってことか。


 茜はその後も、午後6時までの物語を読み解いていった。


 ぶつぶつと呟きながら、断片的な人形の動きを1つずつ物語へつなげていく。


 後半では、今の自分たちの学校生活が再現されていた。


 堀田も人形の中にいる。


 美術室に茜としてルネ爺が現れた場面から、これまでに起きたことが順番に映し出されているという。


 そして午後7時。


 残る物語は、あと6回。


 この先に描かれている運命は、一体――。


「……あ~」


 不意に、茜の声から元気が消えた。


「どうした?何かわかったのか?」


 堀田に問われ、茜は我に返ったように顔を上げる。


 すぐにいつもの調子を取り戻そうと、ニヒッと笑ってみせた。


「うん……これは今だね~。君野くんが目のない天使に囚われて、ルネっちが消えて~、私たちがこうやって時計を見上げてる。それを、お爺ちゃんはいつでもどこでも見てるって。……それでね……」


 茜は言葉を詰まらせる。


 1度深く息を吸ってから、静かに続けた。


「今、午後7時の鐘が鳴り終わったら、私は役目を終えるんだって~」


「え?役目を終える?」


 その瞬間、7時を告げる7回の鐘のうち、1回目が鳴った。


 堀田と君野の視線が、同時に茜へ向く。


 きいろも背中にいた彼女を降ろし、正面から向き合った。


 見ると、茜の透明な身体は、下半身から少しずつ消え始めていた。


「……あれ。足……ない」


 茜は笑顔のまま、自分の身体を見下ろした。


「そっか~」


 その先の言葉が続かない。


 痛々しい笑顔を前に、堀田も君野も何も言えなかった。


 鐘は、容赦なく残りの回数を刻んでいく。


「じゃあ、お別れなの……?いやだよ……」


 君野が泣きそうな顔を茜へ向けた。


 すべてを悟った茜は、その悲しみを振り払うような笑顔で何度も頷く。


「そんな顔しないで~!私い、死ぬわけじゃないんだよお?元から人じゃないんだもん!ああ、どーりでロナウドをこんなに好きなんだ~って、やっと理解できたし~!」


 6回目の鐘が鳴った時。


 無理に明るく振る舞う茜を、きいろが強く抱きしめた。


「きゃ~!!」


 茜の甲高い声が響く。


 それでも、きいろは彼女を離さなかった。


「お前がいてよかった。ちゃんと役目を果たした」


「なあに~? そんなこと言う柄じゃないじゃ~ん!」


 茜の身体は、もう上半身しか残っていない。


 きいろがその顔を見つめると、彼女の目から大粒の涙が溢れていた。


「私~、悲しいって設計されてないはずなのに~。なんだろうねえ、これ~。でもお、楽しかった~。またね~」


 茜は堀田と君野へも手を振る。


 そして、最後の鐘が鳴り終わるのと同時に、その姿は跡形もなく消えた。


「時任先輩……!!!」


 堀田が手を伸ばした時には、もう彼女の気配はどこにもなかった。


 肩から提げていたバッグの中にあった茜人形も、消えている。


 本当に、この世からいなくなってしまった。


「そんな……」


 掠れた声が落ちる。


 3人の間に、重い沈黙が広がった。


 時計はそのまま10時まで進んでいく。


 堀田は唖然と立ち尽くしたまま、喉の奥を締めつけられるような痛みに全身を震わせていた。


 君野も涙を流し、手を震わせながら、それでもきいろの腕の中から離れようとはしない。


 もう翻訳者がいなければ、この時計を見上げても、この先に何が待っているのか誰にもわからない。


 だが、確かなことがある。


 元々、時任茜という人物は存在しなかった。


 そして彼女もまた、この時計が生み出した物語の一部だった。


 俺たちをここまで導く――その役目を与えられていた。


「っ……」


 爺さんは未来を犠牲にして、この時計を作った。


 つまり、この狂った未来そのものを作るために。


 なぜ……。


 なぜ、あんなものを……!


 どうして、そんな狂気を……!


「時任さん……ぐすっ……」


 きいろは険しく表情を曇らせると、泣き続ける君野を逃がさないように抱き寄せた。


 そのまま再び時計を見上げる。


 すると、さっきから彼だけに聞こえる声があった。


 ――きいろ……きいろ……


 茜が消えた瞬間から、あの憎らしい声が耳にまとわりついてくる。


 ――"きいろ, je t’ai observé toute ma vie. Je t’aime, mon fils bien-aimé."

(きいろ、私は一生お前を見てきた。愛している。我が最愛の息子よ)


 そんな言葉を、何度も囁いてくる。


 これも、あの時計のふざけた演出なのか。


 思わず君野を抱く腕に力が入る。


 時計は鳴り続ける。


 茜がいなくなったあとも、不気味な鐘の音だけが3人の世界へ響き渡っていた。


 やがて時計は最後の12時を迎える。


 その時だった。


 周囲がざわつき始める。


 どうやら最後の1回が鳴らないらしく、運営スタッフが慌ただしく動き回っていた。


 その騒ぎに興味を失った人々は、少しずつその場を離れ始める。


 それでも3人だけは動けない。


 人が行き交うようになった通りの真ん中で、時計を見上げたまま銅像のように立ち尽くしていた。


 しかし、きいろの耳にはまだ父親の声だけが届いている。


 たどたどしい日本語だった。


 ――きいろ。あの時計は、お前のためのもの。私は、自分の未来を犠牲にすればするほど、素晴らしい作品を作ることができる。


 低く渋い声が、再びきいろへ語りかける。


 ――私はこの時計を作る時、漠然とこの未来が見えた。時計の完成は、愛する息子が生きながらえることを約束するものだった。だから迷いなく傑作を作ろうと考えた。どんな狂った未来であっても、私は君を愛している。


「……クソジジイ……」


「え?」


 暗い表情で見上げた堀田が問い返した、その瞬間だった。


「ふざけんなクソジジイ!!!!結局俺は、お前の創作の駒にしかすぎなかったんだろ!!俺の人生は、作品のための素材かよ!!」


 腹の底から絞り出した、聞いたこともない絶叫が青空へ突き抜ける。


 運営スタッフまで思わず振り返るほどの叫びだった。


 その叫びの中でも、君野だけはきいろの腕の中から、一度も離れようとはしなかった。




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