第44話「さよならからくり時計(前編)」
茜の足が取れて2日後。
日曜日。
学校の駅前商店街では歩行者天国が行われていた。
文化祭を彷彿とさせる露店が道脇に並び、楽器隊の音が響く。
辺りは完全なお祭り騒ぎだ。
【さよなら、ありがとう!からくり時計~24回の鐘~】
大きな目玉イベントとして掲げられたそれは、駅前を封鎖できない代わりに、からくり時計をカメラで映し、ビルの大型モニターで中継する形式になっていた。
そのため、からくり時計は今は止められている。
「やっほ~!」
雑踏の中、虹色の巨大な綿あめをヤギのように齧っていた君野と堀田の前へ、茜が現れた。
「うわ!すごい格好だな」
堀田が思わず口をあんぐりと開ける。
茜は学生服ではなく、デニムのショートパンツに黒の厚底ブーツ。
腹を出し、真っ白なチューブトップに真っピンクのヒョウ柄の上着。
ザ・ギャル。
抑えられていた個性が、完全に爆発していた。
そしてその隣には――
白地に黒の線が走る上着、黒のワイドパンツ、マンバンヘアのきいろ。
その腕へ、茜が恋人のように絡みついている。
絵が強すぎる。
あとはピンクの単車があれば完成だ、と堀田は思った。
一瞬、近づくのをためらう。
しかし、周囲から見えているのは“きいろ1人だけ”だと理解すると、ようやく足が動いた。
「お、おお。おしゃれだな」
「ありがとー!ねえ見て、このへそピ!堀田くんが買ってくれたやつだよ!」
「あ、ありましたね、そんなこと」
「きいろくんかっこいい!おしゃれ!時任さんもすごい迫力!」
「君野」
あまりにストレートな感想へ、堀田は思わず咳払いした。
茜はきゃははと笑う。
よく見ると、きいろに直された右足を引きずっている。
それでもこのテンションなら、むしろ安心だ。
「みんなに見せたかったの!ほら!茜ちゃん仕様!」
いつの間にか、ギャル仕様の茜人形が堀田のベルトへ引っかかっていた。
「うお!?すげえ!」
持ち上げると、目の前の本人とまったく同じ服装だった。
「きいろくんが作ってくれたの~!」
手仕事とは思えない完成度だった。
「これから~、いっぱい作ってもらっちゃおっかな~」
足が不自由なのをいいことに、茜はさらに腕へ絡みつく。
きいろは無言のまま、ポケットへ手を突っ込んでいた。
「どうする? 時計まで時間あるし、適当に回るか?」
「交代しろ」
堀田の言葉を遮るように、きいろが言い放つ。
君野を指差した。
「お前はこいつのお守り」
そして顎で茜を示す。
「や~ん、まだ来たばっかり~!一緒にワッフル食べよ~?」
「財布忘れた」
「きゃ~!嘘つくの下手すぎ~!」
ギャルを無視して、きいろは君野の腕を引いた。
「4人で行けばいいだろ!」
「この雑踏じゃ2対2になる。そいつは歩けない」
「じゃあなんで厚底なんだよ!」
「あっ、堀田くん……」
綿あめを持ったまま、君野はそのまま引かれていく。
きいろは片手を上げ、「じゃあな」とだけ合図した。
堀田は呼び止めず、唇を尖らせるだけだった。
テラス席へ座る茜。
堀田も隣へ腰を下ろす。
「いつから来てたの~?」
「1時間前です」
今回の目的は祭りではない。
からくり時計――24の物語。
それを茜に読み取らせること。
運命の確認だ。
機嫌を取るべきだと判断し、堀田は話しかける。
「へそピ、似合ってますね」
「あはは! でしょでしょ~!堀田くんもへそピいいよ~」
茜は上機嫌で語り始めた。
堀田は聞き役に徹した。
「ねえ、食べる?」
一方、宛てもなく歩いていたきいろへ、隣を歩く君野が綿あめを差し出した。
「お前、俺の記憶あるのか」
「ううん。でも、堀田くんが今日、友達いるからって。堀田くんも今日はじめましてなんだけど……。いらない?」
首を傾げながら差し出す君野に、きいろは綿あめへ静かに目を落とす。
そして、
ガブッ!
ワニのように突然かぶりついた。
一瞬ビクッとした君野は、目と口を同時に開く。
「……お、おいしい?」
「砂糖だ」
「うん。ザラメを溶かしたのが綿あめだから。……手がベタベタになっちゃった」
その言葉を聞くと、きいろは君野の身体が右へ向くほど勢いよく、そのベタベタになった手を掴んだ。
そして互いの手を絡ませ、ネトネトとした指を揉み込むように触る。
君野はどうしていいかわからず、ただ自分の指を見つめていた。
砂糖で粘ついた指同士が、くっついては離れる。
ぬるい手の温度も相まって、まるで接着剤のようで気持ち悪い。
「あの、手を洗いに行こう? トイレ、どこかにあるか……あああ!?」
君野が思わず叫ぶ。
きいろが君野の親指と薬指以外を口へ入れていた。
まるでカエルが人の指を餌と間違え、喉の奥まで詰め込んでいるようだった。
「それっ、僕の指ですっ!!そこは綿あめじゃありません!」
君野の悲鳴のような声に、きいろは無表情のまま動きを止める。
人混みが絶えず流れる中、2人だけ時間が止まったようだった。
何故そんな気安く忘れるんだ。
こんなことでもしなければ、俺を覚えていられないのか。
ゲームをしたあの日々が溶けていく腹立たしさ。
そんな衝動が、自分を動かしていた。
ようやく、きいろはゆっくり口を離す。
「……間違えた」
「う、ううん。これだけ大きいと、見間違えちゃうよね……」
天然なのか、取り繕っているだけなのか。
君野は戸惑いながら答えた。
「綿あめより、お前の指の方がうまい」
「え? それってどういう意味?」
きいろは、そう答えた君野を見つめる。
大きな瞳と長いまつ毛がぱちぱちと揺れ、何も知らない無垢な顔をこちらへ向けていた。
俺はコイツの大型犬だ。
飼い犬から見ても、このご主人様はどこかおかしい。
「でもポテチもさあ、指についたやつ美味しいよね。そういう効果あるのかな」
君野は再び綿あめをむしゃむしゃと食べ、あっという間に割り箸だけにした。
「さあな」
2人は人通りの少ない裏路地へ入る。
そこには自販機があり、きいろはさりげなく水を1本買った。
「あ!そんなに指が美味しいなら、綿あめ機の中に指を突っ込んで巻いたらいいと思わない? 僕もたまにドラキュラ~って、指に三角形のスナック菓子をはめて遊んでる!ちょっと格別だよね」
「指なくなるぞ」
きいろは君野を自販機の横へ寄せると、両手を前へ出させる。
買った500ミリのペットボトルの水を自分の手へ流し、そのまま君野の手をマッサージするように洗い、指の隅々までベタつきを落としていった。
「だよね。あれ、熱で砂糖溶かしてるからね」
「お前、口もテカテカしてるな」
きいろは再び水で濡らした手で、今度は君野の口元を鷲掴みにした。
ビチョビチョに濡れたタコのような口。
潤んだ瞳が余計に嗜虐心を煽る。
自分でもわかる。
変だ。
何も知らない君野に当たって、俺は何がしたい?
「……」
天然が勝てない時の顔が、たまらない。
このご主人様を、もっと困らせたい。
自分のものにしたい。
どうせ、明日には忘れるなら……
見えない尻尾が、ちぎれそうなほどパタパタと振られている。
「!?」
次の瞬間、君野は自販機の横の壁へ押しつけられ、そのまま熱烈なキスをされた。
まだ顔はびちゃびちゃだ。
2人の顎を伝う水滴が、コンクリートへぽたりと落ちる。
割り箸だけを持っていた君野の両手に力が入り、そのまま真っ二つに折れた。
「んんっ!」
両手を押さえ込まれる。
すぐ近くから男女の笑い声が聞こえた。
この状況を見られたら……
そう考えるだけで恐ろしくなる。
……でも、なんで僕、逃げないんだろう。
否定しなきゃいけないはずなのに、
その強引な唇を拒むことができなかった。
やがて、唇がゆっくり離れる。
一瞬だけ、周囲の音が遠のいた。
祭りのざわめきが、少し遅れて戻ってくる。
顎を伝った水滴が、2人の間へ落ちた。
君野の指先が、わずかに震えている。
きいろの親指が、その手首を静かになぞる。
まだ、温度が残っていた。
「これでもまだ、俺をかわいいって言うか」
低い声が落ちる。
「……もう戻す気はない」
額と額が触れそうな距離で囁かれ、君野は小さく首を横へ振った。
それでも、その場から1歩も動けない。
視線だけは逸らさず、
耳まで真っ赤に染めながら、ただ真っすぐ見上げていた。
その瞳の奥へ自分が映っていることが、きいろをさらに追い詰める。
雑踏のざわめきが、ゆっくり戻ってくる。
誰かの笑い声。
ガラス瓶が触れ合う音。
遠くで、
「もうすぐ始まりまーす!」
という拡声器の声。
現実が、無理やり2人の間へ割り込んできた。
きいろは熱を帯びた君野の頬を、優しく撫でる。
「……堀田くんたちが待ってるから……」
君野はそう言うと、折れた割り箸を握ったまま、気まずそうに元の道へ戻っていく。
うつむいたまま早歩きで遠ざかるその背中を、きいろは雑踏へ消えるまでぼんやり見つめ続けた。
……どうしたらいい。
この、ぐあっと湧き上がる気持ち。
――それはノーだよ。きいろ。
偏屈な爺さんが肩をすくめ、横へ腕を広げる大げさなジェスチャーが脳裏に浮かぶ。
人差し指を左右へ振り、舌をチチチと鳴らしながら日本語でそう言うのは、一瞬でも絵を描くのをやめようとした時だった。
「ジジイ……許さないからな……」
からくり時計のふざけた運命。
震える声で拳を握り締める。
「あっ!もうそろそろ始まるよ!モニター前に行こっ!」
近くを通ったカップルの女が、男へ甘えながらはしゃいでいた。
その声で我に返る。
きいろは飲み終えたペットボトルをゴミ箱へ捨てると、堀田たちと別れた場所までゆっくり歩き始めた。
胸に残るのは、
さっきのキスだけだった。




