第40話「大型犬と優しい飼い主」
休日の午前11時。
君野がゲームを楽しんでいると、突然、自室のドアがノックされた。
黒ジャケットにダークグレーのシャツ、黒のスラックス。
長身で、そのいかつさに強盗かと思った。
「……あの……」
ベッドに座る君野は、今もパジャマのまま動けないでいる。
その後ろでは、座椅子のように背中へ張り付いた、同級生と名乗る人物が自分を抱きしめていた。
「また俺を忘れたのか」
彼の低い声が耳元で響いてくすぐったい。
太ももが両足へ密着する。
その腕は胸や腹へ巻き付き、温もりのあるシートベルトみたいに外れない。
いじわるというより、温もりを求めているみたいだった。
そもそも、お母さん、なんでこの人を家へ通したんだろう……。
痺れを切らした君野は、少し不満げに答えた。
「……あの……ゲームしたいんですけど」
「やれ」
「えっと、白黒……きいろくんでしたっけ」
「きいろくんでいい。同級生と言ったはずだ」
「うん。なんか遊ぶ約束してた?」
「ああ。お前と約束してなくても、俺がここへ来る約束だ」
「そんな約束聞いたことないよ」
「ゲーム、やれ」
「うん……」
君野の喉がごくりと鳴る。
ゲームオーバー画面から、自分で作ったかっこいい鎧のアバターを操作した。
夢中になるのに時間はかからない。
重要なステージボスの前にいるからだ。
あっという間に、ただの座椅子にされてしまったきいろは、君野の耳へ鼻を近づけた。
「くすぐったいよ!負けちゃう!」
君野はこちらへ目配せもせず、大きな獣をぶっとい剣で倒していく。
「いけいけ!!よし!」
「面白いか」
「よし!!このまま矢で行ける!!」
きいろの声はちっとも届いていない。
鎧のアバターが竜との間合いを詰め、大技を出そうとした、その時だった。
「わっ!!」
きいろが君野へ巻き付いたまま、後ろへ倒れた。
コントローラーが宙へ吹っ飛ぶ。
テレビから、すぐにゲームオーバーの効果音が流れた。
「あああ!!もうちょっとだったのに!!」
体を起こそうとするも、絡み付いたモンスターのように、きいろはなかなか離そうとしない。
「なんで意地悪するの?」
「お前が意地悪するからだ」
「ひゃ!?」
君野の脇腹へ、イソギンチャクのような指が這いずる。
ベッドで体をよじらせる君野をお構いなしに、きいろはしつこくくすぐり続けた。
「もういいっ!離し……あ!やめ!あはははは……!!ははは!!も、やめてよ!!」
君野は降参といわんばかりに全身の力を抜く。
そのまま覆いかぶさったきいろは、仏頂面のまま脱力した君野の顔を見つめた。
「俺はお前の椅子でいい。だが、俺以外に夢中になるなら――壊す」
「はあ……はあ……じゃあ、なんでゲームやらせたの?」
きいろは思うがままに、君野の頬を掴み、赤子をあやすように左右へ揺らした。
君野は揺らされながら答える。
「僕とゲーム、一緒にする?」
「……」
「わ!」
今度は両手を引っ張られ、上半身を起こされた。
ベッドへ座った形になると、彼との距離は目と鼻の先だった。
この人のぬいぐるみみたい……
「やらない? 退屈なんだよね。実はコントローラー、もう1つあるんだ!」
君野は隙を見てベッドから抜け出し、押し入れの中から色違いのコントローラーを取り出す。
「ゲーム?」
「もしかして、やったことないの?」
「ないな。……くだらないって言われた」
きいろはそれでもコントローラーを握る。
グリップの正しい持ち方も知らず、方向キーをつまむように触っていた。
その仕草に、君野も思わずクスッと笑う。
「本当に初めてなんだね!!珍しいっ!」
「俺をサルだと思ったか」
「ううん!なんか、すっごくかわいいなって」
「かわいい?」
きいろの頭の中で、また言葉がぐるぐると巡る。
優しいの次は、かわいいときた。
だが、コントローラーを持つと、爺さんの厳しい顔が浮かんだ。
それは、君野を連れ去る前によく通っていた公園のベンチ。
ある日、そこへ誰かが携帯ゲーム機を忘れていった。
ゲームソフトは入っていなかった。
ただ、ガチャガチャとボタンをいじる不思議な感覚だけがあった。
それを持って爺さんへさりげなく見せたが、「くだらない」の一言で一蹴された。
それ以来、これは背徳のマシン。
「やろ?キャラクリして一緒に遊ぼうよ!」
「きゃらくり?」
君野は勝手に話を進め、もう1つのコントローラーを繋げる。
きいろは言われるがまま、君野おすすめのアバターを作っていった。
無表情のまま、細かいボタン操作を教わるきいろ。
画面とコントローラーを交互に見ながら、それらしい武士のアバターができあがった。
「じゃ!ワールド1で遊ぼっ!僕についてきて!」
隣に座る君野が、くしゃっと笑う。
「きいろくん!敵来てるよ!!」
その声で意識が戻る。
ゲームの中で急に戦場へ放り出されたきいろは、君野についていくだけで精一杯だった。
レベル1のうさぎのような敵にも太刀打ちできず、キャラクターのうめく姿に苛立ちが湧く。
「そこ!もうちょっと!」
君野も応援するが、剣は敵をかすめる。
「今、アイテムで回復させてあげる!」
ようやくゲームオーバーになれると思った矢先、プツンと糸が切れた。
「うわっっ!?」
君野は再び後ろのベッドへ倒された。
新品のコントローラーが吹っ飛び、きいろがおもりのようにのしかかってくる。
彼はそのまま君野の腰へしがみつき、布団へ顔を押しつけたまま動かなくなった。
「もう1回頑張ろうよ! チュートリアルからもう1回……」
「俺がお前を守らなきゃ意味がない」
「え? そんなことないよ。僕がきいろくんを守ってあげるよ」
「……お前が?」
「うん!なんでも言って!僕が助けてあげるよ!」
君野の無垢な笑顔に、きいろは目を奪われた。
「じゃあ助けろ」
「うん!いいよ?あ、ゲーム変える?牧場経営とか興味ある?」
「お前の優しさに狂いそうだ」
「じゃあ、もっと厳しく教える?」
「ふざけるな」
きいろは再び君野の脇腹へ指を這わせる。
くすぐりを察知した君野は、体をのけぞらせて抵抗した。
「やめて!僕それ好きじゃない!なんか、きいろくんって大型犬みたいだね」
「それはどういう意味だ」
「近所を散歩してるおじさんのラブラドールレトリバーみたい。僕に撫でられたくて覆い被さってきて、舌で舐められるんだ。重くて、くすぐったくて、真っ黒なのもそっくり」
「それはいい意味なのか?」
「うーん……うん。いい意味なのかな」
「じゃあやってみろ」
「な、なにを?」
「お前はその犬に、いつも何してるんだ」
「……あ!なでなで?」
きいろは顔を伏せたまま、何も言わない。
君野は上半身を起こし、腰へしがみつくきいろの髪へ恐る恐る手を乗せた。
その手が離れそうになった瞬間だった。
きいろは突如、君野を引き寄せる。
「あっ!ちょっ……!やめて!」
そのまま唇へキスをし、舌をまさぐろうとした。
驚いた君野は、その舌を強く噛む。
きいろは思わず顔を歪め、口元を押さえた。
「もう、そこまでわんちゃんの真似しようとしなくていいよ……」
まだ大型犬のくだりだと思っている君野は、明らかに動揺して身構える。
しかし、それ以上に動揺していたのは、きいろだった。
「……悪かった」
「ううん……。ごめんね。無理やりゲームさせちゃって。また遊ぼう」
君野は、出会った頃と同じように笑っていた。




