第36話「操り人形たち」
文化祭のおばけ役を終えた堀田と君野、きいろは、近くの水道でメイクを落としていた。
着替えようとする君野を、堀田が呼び止める。
「なに?」
「文化祭が終わるまでは、そのままがいい」
「でもこれ、ボロボロの家政婦だよ?」
「それがいいんだよ」
「じゃあ堀田くんも、タキシードのままでいて。僕だけじゃいやだ」
「ああ。俺だけのお姫――」
言いかけたところで、君野は真後ろにいるきいろへ振り返った。
「あの……さっきはありがとう。きいろくんが目を覚まさせてくれなかったら、あのまま鏡の中に取り込まれてたかも……」
きいろは伏せていた顔を上げず、目だけを君野へ向ける。
頭巾をかぶった哀れなシンデレラが、にこにこと自分を見上げていた。
その光景に、堀田の胸がざらつく。
「残りの時間、堀田くんと僕ときいろくんで、一緒にお店を回ろうよ!」
「あたし~、焼きそば食べたあ~い!」
気の抜けたギャルの声に、君野ときいろが同時に反応した。
姿は見えない。それでも自然と、声のした方を見てしまう。
「きゃ~!イケメンがいっぱい見てる!」
きゃっきゃと喜ぶ彼女の声は、3人にしか届いていない。
「わかるか?今ここに、ギャルの時任先輩がいるんだ!」
堀田は手をぶんぶん振りながら、声の主を示すように君野へ説明した。
「姿は見えないけど、なんか前にもこの人と話した気がする……」
「君野くん、やっほ~!そうそう!パンツ、パンツ!その時おしゃべりしたよね!」
「……パンツ?」
「とりあえず!さっき時任先輩から聞いた話をしておかなきゃいけない。駅前のからくり時計についてだ」
「俺も……話しておかなきゃいけないことがある」
「……なんだ?」
きいろの言葉に、堀田は驚きを隠せなかった。
「着替える」
きいろが黒い蝶ネクタイへ手を伸ばした、その瞬間だった。
「いやあああああ!ロナウド!!!!!まだ脱がないで!!!!」
ギャル茜の絶叫が、3人の鼓膜をつんざいた。
「わかったから叫ばないでください!!心臓に悪いんで!!」
だが、堀田の叫びさえ彼女の黄色い声にかき消される。
「ねえねえねえ!もうちょっと見たい!鼓膜に焼き付くまで、その格好でいて?ね!ね!ね!!」
「チッ」
きいろは舌打ちしたものの、蝶ネクタイへ伸ばしていた手を下ろした。
ようやく甲高い声が止まり、3人も耳から指を抜く。
「ねええ~!焼きそば食べたい!!!私の分も買って~!」
「食べたいなら、わざわざ金を払わなくても、幽体のままパクっていけるんじゃないですか?」
堀田の言葉に、茜は途端に眉を吊り上げた。
「絶対買って食べるの!ギャルは悪いことしない!」
「人の仏壇のお菓子、ボリボリ食べてたくせに……」
「あ……行こう、堀田くん、きいろくん。実は僕も食べたかった!鉄板でジュージュー焼いて、少し焦げた焼きそばが好きなんだあ。おいしいよね!」
「でしょでしょお?やっぱりぃ、君野くんは私と味覚が合うのよねえ!でも私ぃ、フロートはブルーハワイ派なの! 君野くんはメロンソーダだもんね!」
「わっ!大人ですね!」
君野と茜の、妙にかわいらしい会話が続く。
君野には見えていないはずだが、そのスカートには、いつの間にか茜人形がくっついていた。
その少し後ろを、堀田ときいろが距離を空けて歩いていた。
言葉を交わさなくても、目の前の君野を守る。その認識だけは、2人の間で共有されている。
やがて、きいろが小さく呟いた。
「俺は言ったはずだ」
「ん?」
「お前は部外者だ。関係ない」
「ある! お前が何を言おうと、俺は今さら止まらないからな!」
「知らん。俺は警告した」
その一言に、堀田はハッとする。
「……それって、俺を守ろうとして言ってくれたのか?」
「ふん。お前の頭の中はいつも幸せだな」
「はあ!?」
そう言い返しながらも、内心では少し嬉しかった。
正直、憧れている。
アニキ……!
思わずそう呼びたくなるほど、感動している自分がいた。
「あのからくり時計、知ってるか?駅前のやつ。ギャルの時任先輩が、興味深いことを話してた」
堀田は真っ直ぐ前を向いたまま、声を落として切り出した。
「今の俺たちの展開と、からくり時計の物語が、午後6時まではそっくりらしいんだ」
「ふん」
「さっき茜がロナウドって呼んでただろ。あの時計に出てくる人形で、お前に似てるらしい」
「……」
「隣にいる人形も、君野に似てるってさ」
その時、前を歩く君野が、屋台の焼きそばを嬉しそうに受け取った。
見えない相手へ話しかけるように、にこりと笑う。
「熱いよ、時任さん」
「ふーふーしてぇ!」
もちろん、周囲の生徒に茜の声は聞こえていない。
きいろは黙ったまま、その背中を見つめていた。
「……続けろ」
「時任先輩は、あの時計には24回分の物語があるって言ってた。俺たちは、その途中をなぞってるだけなのかもしれない」
「その先まで決まってるのか」
「わからない。でも、お前の山小屋の記憶から全部始まってる気がする」
きいろは一度、目を閉じた。
文化祭の喧騒が耳をかすめる。
焼きそばの匂い。
生徒たちの笑い声。
遠くで響く、演劇部への拍手。
それらを静かに飲み込んでから、きいろは口を開いた。
「君野自体が不可思議だろ。爺さんが仕込んだものじゃないかと思う」
「思わなければいい」
堀田は、そのいつもの鋭い返しにわずかな希望を抱いた。
だが、きいろの声はほんの少し震えていた。
「……山小屋の火事場で、俺は君野にキスをした。だが、君野から俺の記憶は消えなかった」
きいろは前を向いたまま続ける。
「その時の俺は、あいつが1番好きな相手ではなかった」
「だから、2番でいい……なのか?」
「あいつは爺さんにグルーミングを受けたまま、それを忘れた。なのに、目のない天使だけは今も不気味に残ってる」
きいろの目つきがさらに鋭くなる。
周囲の喧騒も耳に入らないほど、奥歯を強く噛み締めていた。
堀田は静かに口を開いた。
「あの時計、24回分の物語があるって時任先輩が言ってた。見えてる部分なんて、ほんの少ししかない。俺たちの物語も、その末路まで刻まれてるのかもしれない」
「……そうか」
きいろは短く返す。
「なんか、お前優しいな。見方変わったわ」
堀田がそう言った、その時だった。
ほんの一瞬だけ、周囲の喧騒が遠のいた気がした。
屋台の呼び込み。
焼きそばの鉄板が弾ける音。
笑い声。
演劇部へ送られる拍手。
文化祭の賑わいが、一拍遅れて現実へ戻ってくる。
その少し前を歩く君野は、焼きそばを大事そうに抱えたまま、誰もいない空間へ微笑みかけていた。
「時任さん、熱いから気をつけて!」
「ふーふーしてぇ!」
もちろん、その声は3人にしか聞こえない。
文化祭の賑わいの中を歩く4人。
けれど、その足元では誰にも見えない物語が、静かに次の幕へ進もうとしていた。




