第35話「絵描きとシンデレラ」
きいろは迷路になった教室に立っていた。
ここで1時間、女子生徒と手をつないで踊る"舞踏会の亡霊"を演じることになっている。
本格的に客を脅かす役はほとんど男子が担当し、女子のお化け役は気に入った男子と踊るだけだ。
女子に血のメイクを施されたきいろは、終始仏頂面で「ああ」としか返さない機械になっていた。
それよりも気になるのは、この教室には本物の幽霊がいることだ。
――見えているのは、自分だけ。
「……」
真後ろでは、見知らぬ派手な女が目を輝かせながら、さっきからずっとこちらを見つめている。
きいろは何も考えていないような冷めた目で、視線を合わせようとしなかった。
「ねえねえ!きいろくんって彼女いるのー?」
一緒に踊るドレス姿の女子が無邪気に聞いてくる。
「ああ」
「いるの!?誰!?」
きいろは無言のまま、段ボールで作られた人形を指差した。
脅かし用の小道具の1つだ。
「あはは!きいろくんってそういう冗談言うんだね!おもしろーい!」
女子は本気にせず、楽しそうに笑う。
その様子を見て、茜はぷくっと頬を膨らませた。
いつの間にか、茜人形が段ボール人形の裂けた腹の上へ移動し、きいろが指差す先にぴたりと収まっている。
「あれ?あの人形……忘れ物かな?世界観に合わないし、ロッカーに入れとこ」
女子は茜人形を持ち上げ、そのままロッカーへ押し込んだ。
「……あれ?」
振り返る。
きいろの姿が消えていた。
ガタン。
「ひっ!?」
さっき閉めたばかりのロッカーが鳴る。
女子は顔をこわばらせ、恐る恐る扉を開けた。
だが、中に人形はいなかった。
「がー……!わー……!……違うな」
一方、君野は最後の曲がり角で、1人脅かす練習をしていた。
昔の魔女が使いそうな竹ぼうきを相棒に、姿見の前で待機している。
鏡で客を油断させ、床を掃くふりをして近づき、振り向いた瞬間に驚かせる作戦だ。
ワー!!
キャー!!
先の方から盛り上がる声が聞こえる。
最初のお客は反応が良さそうだ。
「あ!来た来た……」
足音に合わせ、君野は背を向けて竹ぼうきを動かし始める。
「ぎゃあああ!!なんか動いてる……って鏡じゃん!!」
「ちょっとー!驚きすぎじゃない?たいしたことないじゃん!」
2組の若い男女が姿見に驚きながら近づいてくる。
鏡越しに位置を確認した君野は、タイミングを計った。
ライトが体をなぞる。
その瞬間――勢いよく振り返る。
「食べちゃうぞー!!!!」
「うわああああ!!!」
「ぎゃああああああ!!」
2人は悲鳴を上げながら出口へ駆けていった。
「やった!やった!楽しっ!」
君野は竹ぼうきを握ったまま、いたずらっ子のように笑う。
数分後、次の客がやってきた。
「えー!?なにこの絵!こわーい!」
「ほんとだー。目がないよ?」
「ん?絵?」
姿見の前で、不思議な会話が聞こえてくる。
絵なんて飾っていない。
鏡に映る自分たちを見間違えたのだろうか。
そう思いながら、君野は2組目の客も驚かせることに成功した。
「きゃああああ!!!!!!」
「うわーーーーー!!!!」
「よし!!」
出口へ逃げていく悲鳴にガッツポーズをしたあと、君野はふと姿見へ目を向ける。
どこにでもある普通の姿見だ。
客が途切れた隙に近寄り、何気なく鏡をのぞき込む。
「え?」
鏡の中に、天使がいた。
目のない天使だった。
君野は鏡に映る壁へ目を向けた。
そこには、黒い布を張ったパーテーションがあるだけだった。
もう一度、鏡を見る。
目のない天使は、まだそこにいる。
姿見の中へぴたりと収まっているのに、映り込むには距離がおかしい。
まるで、鏡の中に直接飾られているようだった。
「なんで……?」
君野はキャスター付きの姿見を押して動かす。
ゴロゴロと場所を変えても、天使は鏡に張りついたまま、少しも位置を変えなかった。
暗がりでおばけごっこをしているせいで、変なものでも見えているのだろうか。
じっと眺めていると、目のない天使の口角が、ほんのわずかに上がった。
「……君野くん……」
女の声がした。
あの美術室で聞いた、時任先輩の声によく似ている。
大好きな先輩だった。
なのに、その存在は消されてしまった。
「先輩……そこにいたんですか?」
「私のこと、好き?また絵のモデルになってくれる?」
「絵のモデルをしたら、また会えますか?」
「いいのよ。これからは、私がこうして会いに来るから。ねえ、“君野くん”」
「え?」
最後の「君野くん」だけ、声が違った。
不気味なはずなのに、その声を聞いた瞬間、君野の胸に強い安心感と申し訳なさが込み上げる。
「……お爺ちゃん……」
……ごめんなさい。
胸が詰まった。
気づけば、鏡へ手を伸ばしていた。
キスしたい。
そうすれば、少しは救われる気がした。
鏡の中の天使に触れる。
指先に返ってきたのは、冷たいガラスではない。
経年劣化した油絵のような、ざらついた感触だった。
白くひび割れた天使の唇へ、君野が顔を寄せる。
その時だった。
「ん!?」
鏡へ重ねるはずだった唇が、突然塞がれた。
誰かが背後から君野を引き寄せ、そのまま鏡へ押しつける。
姿見がキャスターごと滑り、背後の壁へ激しくぶつかった。
「痛っ……」
暗くて相手の姿は見えない。
両腕を万歳させるように掴まれ、どれだけ力を入れてもびくともしなかった。
恐怖と混乱で、君野の息が荒くなる。
もしかして、脅かされた客が怒って仕返しに来たのだろうか。
「ごめんなさい……!許して!!」
悲鳴に近い声を上げた直後、背後から3組目の客が入ってきた。
若い男子4人組が、楽しそうに話しながらこちらへライトを向ける。
光に照らされて、目の前の顔がようやく見えた。
「きいろくん?」
そこには、タキシード姿のきいろがいた。
4人組の客は、暗がりで向かい合う2人を見て一瞬固まる。
だが、その待機姿があまりにも不気味だったのか、何も言わず素早く横を通り抜けていった。
タキシード姿のきいろは、学生服の時よりもずっと似合っていた。
思わず見つめていると、きいろはにやりと笑う。
「お前を壊しに来た」
楽しそうに、そう言った。
「え?なんで?」
「欲しい。みすぼらしいお前が」
きいろの手が君野の頬を撫で、そのまま唇をなぞる。
「……離して。僕、きいろくんをよく知らない……」
「美術室のあの女も、ルネ爺さんも、お前が思ってるようなやつじゃない」
その言葉に、君野はむっとした。
自分たちの関係を何も知らないくせに。
「離して……!」
「じゃあ、離してやる」
強く掴んでいた手が、一瞬だけ離れた。
君野が鏡を振り返ろうとする。
その顔をきいろが掴み、突然、唇を重ねた。
「!?」
君野の体が固まる。
複数の足音が近づき、2人へライトが当たった。
逃げることもできず、そのままキスを続けてしまう。
「わっ!」
「こういう驚かせ方もあるんだ……」
客の声が、そのまま遠ざかっていった。
しばらくして、きいろの唇がゆっくり離れる。
「なんで、キスしたの……?」
「俺を差し置いて、他のやつとキスしようとするお前が許せない」
その言葉に、君野の心臓が大きく跳ねた。
「まだしたいか」
「う、ううん……。からかってるんじゃないかって思って……」
「……」
「だって、みんなドレスを着てるのに、僕だけこんな格好だし……」
「ああ。お前は汚い」
「……」
「俺が見つけるまで、シンデレラになるのを許さなかった」
「え……?」
「お前は魔法で、何度も俺を忘れる」
きいろは君野を強く抱きしめる。
「……無駄だ。お前は俺のもの」
何を考えているのか、少しも読めない。
けれど、その体温も、首筋にかかる生ぬるい息も、頭を撫でる指先も、不思議なくらい温かかった。
意地悪なのに、離れがたい。
いつの間にか、背後の鏡から天使の姿は消えていた。
心臓はまだ激しく鳴っている。
本当に、きいろの魔法にかかってしまったようだった。
「……知ってたかも」
寂しい暗がりの中で、君野はようやく見つけた王子様へ甘えるように呟いた。
「……お!?」
受付をしていた堀田は、お化け屋敷の奥から聞こえたギャル茜の大きな悲鳴に顔を上げた。
ただ事ではない。
君野に何かあったのではないか――そんな胸騒ぎが走る。
「ん?なんだ??」
一緒に受付をしていた藤井が声をかける。
「ああ、行ってくる!」
「どこへ?」
「トイレだ!」
そう言い残して駆け出した堀田が飛び込んだのは、トイレではなくお化け屋敷の中だった。
「あ、おい!! ……井戸にでもするのか?」
藤井は呆れたようにその背中を見送る。
「君野!!」
堀田はパーテーションに頭をぶつけながら、暗闇の迷路を手探りで駆け抜ける。
「わ!!!」
「すまん!今それどころじゃないんだ!!」
驚かし役の生徒がしょんぼり肩を落とした。
まだキャーキャーと騒ぐギャル茜の声を頼りに君野を探す。
しかし姿は見つからず、そのまま出口までたどり着いてしまった。
「あ! 堀田くん!遅かったね~。2人ともいなくなっちゃったよぉ」
ふっと茜が姿を現す。
「白黒か!どこへ行った!?」
「ついていってないからぁ、わかんなーい!」
「なんで追いかけないんですか?」
「だってぇ、堀田くんがこっちに来るの感じたからぁ~。そんなことより、超キスしてたよ!」
「なんだと!!?とにかく追いかけよう!!」
茜の話を聞きながら、堀田は2人の行方を追って走り出す。
「ねえねえ、私しばらくいなかったじゃない?あのからくり時計の秘密、わかっちゃったの~」
茜は宙に浮かびながら、必死に走る堀田へ嬉しそうに話しかけた。




