第3話「牡羊座の悲劇」
その数日後。
君野はジャムを塗った食パンをかじりながら、朝の占いを真剣に見つめていた。
「牡羊座……12位だ」
最近は毎朝、占いを見るようになっていた。
「今日は何をしても落ち込む日……最悪だなぁ」
でも、ツイていない日だって、僕たちは一緒なんだ。
「ラッキーアイテムはいちごジャム……」
しまった。
君野は慌てて、プレーンヨーグルトの隣に置いていたブルーベリージャムの横へ、いちごジャムを添える。
「セーフ、セーフ……」
ほっと息をつき、紫色になったヨーグルトを口に運んだ。
「おう。おはよ」
「あ、おはよう堀田くん」
今日も堀田くんが、家まで迎えに来てくれていた。
彼の家は、僕の家とも学校とも反対方向にある。
それでも毎朝こうして迎えに来てくれる。
僕は歩き出すなり口を開いた。
「ねえ、見た? 朝の占い」
「占い?」
「僕たち、12位だったんだよ」
「あんなもん、チャンネル変えれば結果も変わる。気にすんな」
「う、うん……」
そう返事はしたものの、「12位」の文字が頭から離れない。
駅までの道中は、近づく期末テストの話で盛り上がった。
満員電車に乗り込むと、君野は思い出したように声を上げる。
「堀田くん。いつものあのおまじない……まだやってない」
「ん? ……ああ、牡羊座のやつな。学校着いてからでいいか?」
「うん!」
笑顔でうなずいた、その時だった。
「あ……」
ふと視線を上げる。
さっきの駅から乗ってきたのだろう。
同じクラスの白黒きいろと目が合った。
優先席の吊り革につかまりながら、こちらをじっと見つめている。
瞬きもせず。
目が離せなかった。
一方の堀田は、混み合う車内で君野を守ることに必死だった。
すぐ隣の背の高いサラリーマンの大きなリュックに押されても、その視線には気づいていない。
「……大丈夫?」
「ああ。気にすんな」
電車が揺れる。
重そうなリュックの角が、堀田の二の腕へ食い込んだ。
それでも堀田は君野をかばう姿勢を崩さない。
君野は、そんな堀田の向こう側からこちらを見つめ続ける白黒と、何度も目を合わせてしまっていた。
「はあ~……高校生活って厳しいな。これが3年間か」
駅を出るなり、堀田は痛そうに二の腕をさすった。
「足踏んでごめんね。ずっと体重かけちゃってた」
「いや、大丈夫だ」
「ねえ、堀田くん。おまじないしよう」
駅のホームにあるベンチの前で、君野は両手を胸の前に合わせ、おわんを作るように差し出した。
「僕たち、星座が一緒で、嫌なこともいいことも一緒の運命だよね。だから今が一番タイミングがいいんじゃないかって」
「そうだな……」
人通りが少なくなったのを確かめると、堀田は周囲をさりげなく見回した。
そして、君野の手のひらへそっと口づける。
続いて君野も、堀田の手のひらへ唇を重ねた。
その瞬間――
あれ……?
そもそも、このおまじないって何のためだったっけ。
願いを叶えるため。
そうだったはずなのに。
いつの間にか、キスを我慢するためのおまじないになっていた。
君野は少しだけ唇を震わせる。
「ねえ、堀田くん……これって……」
「どうした?」
「……僕たちってさ……キス――」
言いかけた、その時だった。
改札へ続く階段の前。
そこに立つ人影と目が合う。
まただ。
白黒きいろ。
彼はまた、こちらをじっと見つめていた。
「君野! 話は学校で聞く! その前にトイレ寄っていいか?」
「……うん」
堀田くんは、まだ何も気づいていない。
白黒は口元だけをわずかにゆがめると、二度、小さく手招きをした。
そのまま一人で階段を上っていく。
「……」
「君野!!」
「あ! 今行く!」
君野は慌てて堀田の後を追いかけた。
学校へ着いてからも、君野は自分の席でぼんやりしていた。
やっぱり、おかしい。
堀田くんは最近、子猫を飼ったと言っていた。
その子には平気でチューチューしているとも。
……なんでだろう。
「僕、子猫に負けちゃったの……?」
ふと時計を見る。
次は移動教室だった。
「やばいやばい……」
リコーダーを手に取り、教室のドアへ向かう。
その時だった。
ガラッ!!
勢いよくドアが開く。
「わっ!!」
驚いて二、三歩下がる。
目の前には、180センチ近い大柄な男子。
「きいろく――」
言い終わる前に肩をつかまれた。
そのまま唇を奪われる。
――キス。
ちょうどチャイムが鳴り始めた。
鳴り終わる頃、ようやく唇が離れる。
2人は数秒、見つめ合った。
「あの、きいろくん……僕、恋人いるし、イタズラでも困るよ……」
「俺はアイツの2番でいい」
「……」
僕が落ち込んでいる時に限って、彼はなぜかキスをしてくる。
どうして。
何がしたいの。
そう思うのに、目を逸らせなかった。
君野は一歩だけ距離を詰める。
「……じゃあ、何がしたいの」
「好きなやつとキスができないお前のためにやってる」
「なんで、それを知ってるの?」
「お前が好きだからだ」
「……でも、2番でいいんでしょ?」
「ああ。それでいい」
会話は、それで終わった。
……絶対に、からかわれている。
何を考えているんだろう。
それでも、体は動かなかった。
白黒は何も言わず、優しく君野の頭を撫でる。
「君野! どうした? もう授業始まってるぞ?」
その時、堀田が教室へ入ってきた。
表情がみるみる険しくなる。
「……おい白黒。君野に何をしてた」
「何も。な」
「うん……」
白黒は一定の距離を保ったまま、最後にもう一度だけ君野の頭を撫でた。
「ああ!」
堀田の小さな悲鳴を背に受けながら、白黒は何事もなかったように教室を出ていった。
「何された?」
白黒の姿が見えなくなると同時に、堀田は君野の腕を引き寄せた。
「うん……何もないよ」
「よかった。お前に何かあったらと思うと……」
そう言って、君野を強く抱きしめる。
もう離さないとでも言うように。
君野は静かに唾を飲み込んだ。
まだ、きいろくんの温もりが残っている。
抱きしめられているのに。
……そこじゃない。
唇に残る感触は、あの人のものだけだった。
その事実が、心に重りのように沈んでいく。




