第21話「1本の薔薇をかけて」
茜はきいろの迫力にも怯むことなく、穏やかな笑みを浮かべた。
「あなたのお父さん、確かルネ・デュヴァルでしょ?フランスの時計職人で、この駅前のからくり時計を作った人」
「何でそんなマイナーなことを知ってる」
「全然マイナーじゃない。私、この学校の駅前のからくり時計が好きで、よく見に行くの。調べたら名前が出てきてね。絵もSNSで話題になっていて、それで知ったのよ」
彼女はスクールバッグからスマホを取り出し、画面を見せた。
そこには確かに、彼の父、ルネ・デュヴァルの絵を紹介するショート動画が、何十万回も再生されていた。
きいろはその画面に映る絵を見ても、違うとは言わなかった。
「不思議なもんだな。売ることもなく、邪魔だからってゴミみたいに手放してたはずなのに」
「そういう扱いだったからこそ、価値が出たの。……これで分かったでしょ?」
「……そういうことか」
きいろはそれ以上何も言わなかった。
キャンバスから画用紙を外す茜の背中を、切れ長の鋭い目で見つめている。
疑いが消えたのかどうか、その表情からは読み取れなかった。
翌朝。
1年生の1階廊下。
「君野くん」
すっかり顔馴染みとなった時任茜に、君野は無防備な笑顔で近づいた。
「これ、言ってた巾着」
「あ、ありがとうございます!やった!これで……!」
手渡されたのは、毛ざわりの良い真っ黒な巾着だった。
茜人形がすっぽり収まる大きさだ。
君野は早速、茜人形を巾着へしまい、腰につける。
少しだけ気持ちが楽になった。
「彼女は大人しくなるわ。あと、今日も放課後来てくれる?」
「絵のモデルですよね。1時間でいいですか?あと、これ……ベルトループも直してほしいです……」
早速1つ外れているベルトループを、君野は恥ずかしそうに見せた。
茜は聖母のように優しく頷く。
少し雑談をしているうちに、ホームルームまであと数分だと気づき、2人は軽く挨拶をして別れた。
「どわ!!!」
教室へ戻ると、堀田から聞いたことのないような悲鳴が上がった。
恐怖の茜人形が、君野の腰につけた巾着から首だけを出していたからだ。
「時任さんに巾着を作ってもらってね」
「……お前、怖くないのか?この人形も、あの美術室の時任茜も」
「怖くないよ」
「あの先輩の絵が完成したら、魂が吸い込まれるかもしれないだろ」
堀田は露骨に目をそらし、早く巾着へ戻してほしそうに人形を避ける。
「だから俺は目を光らせてるんだ。お前に何かあったらと思うとさ」
「とってもいい人なんだよ。巾着も作ってくれたし、僕のほつれたズボンのベルトループも直してくれたし」
「……絵が無事に完成するまで、俺はきっちり見張っておく。俺がいつでもそばにいるからな!」
そう言って、堀田は君野の髪を優しく撫でた。
3時間目。
この時間は校外学習だった。
学校の駅前は再開発が予定されている。
商店街振興組合の話を聞きながら、それぞれの店を回り、気づいたことをまとめる授業だ。
グループ活動で、女子3人、男子3人の編成となり、君野は堀田と藤井という仲良し男子組になった。
「そういや知ってるか?駅前のからくり時計も再開発で撤去されるんだって」
「ええ!?そうなの?」
藤井の言葉に、君野は大げさなくらい驚いた。
「なんだ?そんなに思い出深いのか?」
堀田の問いに、君野はしゅんと肩を落とす。
「だって、あれ見るの好きなんだもん……」
時計は毎朝9時から1時間ごとに鐘が鳴り、西洋風の派手な装飾が動き出す。
下にある絵本のようなメルヘン調の茶色い扉が開き、人形たちが姿を現す。
「なくなるって聞くと、なんか寂しいよね……」
「年内には撤去されるらしい。でも、あんな立派な時計だし、どこかに保管されるんじゃないかって噂もあるな」
藤井はため息交じりにそう答えた。
藤井と堀田が前を歩きながら夢中で話す中、時計のことを引きずっていた君野は、ふと1軒の店の前で足を止めた。
そこは新装開店したばかりの店だった。
店先には祝いの赤い花輪が飾られていたが、祝いも終わったのか、花は外され、バケツにまとめられている。
そこには「ご自由にお持ちください」と書かれた紙が添えられていた。
君野はその中に、真っ赤な薔薇を5本見つけた。
薔薇へ手を伸ばす。
赤が、妙に目から離れなかった。
理由は分からない。
ただ、気づけば3本を手に取っていた。
「いいのかな……」
少し迷いながらも、そのまま歩き出す。
その時だった。
「君野」
低く、耳元へ落ちる声。
「きいろくん!」
振り向いた瞬間、腕を掴まれた。
次の瞬間には、もう体が浮いていた。
「ちょ、きいろくん!?」
抵抗する間もなく、そのまま肩へ担ぎ上げられる。
薔薇は、手の中で握ったままだった。
「戻らないと……!」
返事はない。
君野はそのまま、細い路地裏へ連れ込まれていった。
堀田が振り返った時、そこに君野はいなかった。
「あれ?君野は?」
地面には、真っ赤な薔薇の花びらが1枚落ちている。
そのすぐ横には、路地裏へ続く曲がりくねった細い道。
嫌な予感がした。
堀田は花びらを拾い上げる。
「……藤井たちは先に行っててくれ」
「……ああ、分かった。駅前付近にいるからな」
次の見学場所には時間どおり行かなければならない。
藤井は女子3人を連れ、その場を後にした。
堀田はもう1度、手の中の赤い花びらを見る。
そして迷うことなく、路地裏へ足を踏み入れた。
「きいろくん!戻らないと……!」
君野は薔薇を3本裸のまま抱え、湿った路地裏の奥へ連れて行かれていた。
それ以上声を出せなくなり、代わりに薔薇の花びらを1枚ちぎった。
ぽとり、と地面へ落とす。
また1枚。
また1枚。
――気づいてくれるように。
やがて路地裏の奥まで来ると、きいろは足を止めた。
そのまま乱暴に君野を地面へ下ろす。
「っ……」
逃げ場はない。
背中には冷たい壁。
きいろはすぐ目の前まで近づき、怯える君野の頬をゆっくりと撫でた。
近すぎて逃げられない。
それでも目だけは逸らせなかった。
視線がぶつかる。
「誰にやる」
「え……これのこと?」
君野は手の中の薔薇を見る。
きいろの目が、わずかに細くなった。
「最初に浮かんだやつ、いただろ」
「……堀田く――」
言い終わる前に、きいろは君野の手首を掴み、そのまま薔薇ごと引き寄せた。
ぐしゃり、と。
「あっ!」
手の中で花が潰れる。
赤い花びらが、指の隙間からこぼれた。
君野があんぐりとしていると、きいろは残りの薔薇を見下ろした。
そして、もう1度同じように握り潰す。
「どうしてこんなこと……」
「……それでいい」
「どういう意味?」
きいろは逃がさないように、君野の両手を掴んだ。
「お前が持つのは、俺に向ける1本でいい」
ゆっくりと顔を近づける。
「それ以外はいらない」
視線が絡みつく。
「俺に潰されるためだけに持ってろ」
「ど、どういう意味?」
「おい!!!」
背後から怒鳴り声が飛んだ。
振り向くと、そこには堀田の姿があった。
その手には、律儀に拾い集めた薔薇の花びらが握られている。
きいろは小さく悪態をつき、鼻で笑った。
その舐めた態度に、堀田は前歯をむき出しにして威嚇する。
「ふざけんな!!お前は子攫いか!」
息を切らしながら睨みつける。
空気が一瞬で張り詰めた。
堀田の視線が、君野の手に残された1本の薔薇へ落ちる。
「それ、俺に渡すつもりだったんだろ」
君野が口を開くより早く、きいろが足元へ散った赤い花びらを一瞥した。
「……まさにお前だな」
「どういう意味だ!!」
「無価値に、虫みたいに、どこにでも湧いて出てくるところ」
次の瞬間、堀田が拳を振り上げた。
「やめて!!!!」
君野が叫んだ、その瞬間だった。
――ゴーン。
遠くから、駅前のからくり時計の鐘の音が響く。
その瞬間、目の前の喧嘩の光景がぐにゃりと歪んだ。
「あれ……?」
一瞬だけ、2人を見た。
次の瞬間には、視界から消えていた。
「君野!」
どちらかの呼び止める声がする。
その声が、誰のものなのかは分からなかった。
それよりも――行かなきゃ。
君野は、駅前へ向かって走り出した。




