表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
20/54

第20話「ボタン一つの関係」


 君野(きみの)は4時間目を迎えるまでに、ウエストのループをすでに5つも壊していた。


 それもこれも、(あかね)人形のせい。


 誰かにこの光景を見られたら、僕の学園生活は終わる……。


「お願いだから大人しくして!」


 指の間で、何かがかすかに動いた気がした。


 まるでカバンに猫でも入れているかのように、君野は両手でカバンを抱え込む。


 その中で、ふと思う。


 本来の時任(ときとう)さんの人生を、あの美術室の彼女が乗っ取ってしまったんじゃないか。


 そう考えた瞬間、ぞわりと背中が粟立った。


 ……とりあえず、早めにもう1人の時任さんに直してもらおう。




 昼休み――美術室。


「時任さん、ご飯食べないんですか?」


「ええ」


「そこまでして絵が好きなんですね」


 君野は下だけジャージに着替え、木の椅子にちょこんと腰掛けていた。


 絵を描いていた眼鏡の彼女が、制服のズボンのループを縫い直してくれている。


 ふと、その隣のイーゼルに立てかけられたキャンバスへ目を向けた。


 難しい絵の話をしてくれたが、僕の頭ではよく理解できなかった。


「この時間に美術室へ来るなんて、誰かがここで絵を描いてるって教えたの?」


「ごめんなさい。もしかしたら、ここに時任さんがいるかもしれないって思い立って」


 君野は唇を噛み、ちらりと上目遣いで彼女を見つめる。


 ――あなたは何者?


 そう聞いてみたかった。


 でも、確信もないのにそんな失礼なことを言えるはずがない。


 代わりに、もう1つ気になっていたことを口にした。


「きいろくんとは、どんな関係なんですか?」


「こういう仲」


「こういう?」


「すれ違いざまに、彼の制服のボタンがほつれてたから直してあげたの」


「そ、そうなんですか……へえ……」


 しかし、美術室での2人の距離感は、傍から見ればまるで熟年夫婦だ。


 やっぱり、付き合ってる……?


「はい、どうぞ。また壊れたらいつでも来て」


 針と糸を通してから、わずか数分でループはすべて元通りになっていた。


 さらに、茜人形の乱れた髪や制服まで手際よく整えてくれる。


「これ……僕が持ってるべきなんですかね」


「うん。彼女の意思を尊重したら?」


「……また来てもいいですか?」


「ええ。どうぞ。きいろ君もよくここに来るから」


「そ、そうなんですか……」


 ……本当に、ボタン1つの関係なんだろうか。


 すると彼女は微笑みながら君野を見上げた。


「黒い巾着袋を作ってあげる? 腰につけられるようにすれば、またついてきても恥ずかしくないでしょ?」


「え! 本当ですか!?」


「ええ。明日までには作っておくから。また」


 なんでこんなにいい人なんだ……!!


 君野は脱いだズボンで人形を包み、美術室をあとにした。


 2階の中央廊下へ出た時、ふと頭に疑問が浮かぶ。


「あれ……というか、僕、話したっけ……」


 この人形が勝手に腰についてくるなんて、一言も説明していない。


「……まあ、いっか」


 あの人は僕の恩人だ。


 君野はルンルンとスキップしながら教室へ戻っていった。




「君野! お前どこ行ってたんだ?」


 教室へ戻ると、堀田(ほった)は昼飯も食べず、その帰りを待っていた。


「ズボン、直してもらってたの。時任さんに」


「え!? あの元ギャルの?」


 堀田は思わず身震いした。


「良い人だったよ」


「あまりその先輩のところには行ってほしくない」


「え?」


「時任先輩そっくりの人形が腰についてくるんだぞ? それに、本人そっくりの人形を持って話しかけてる俺たちですら、十分不気味なんだから……」


 まずい……。


 明日も行く予定なのに。


 君野は咄嗟に口を開いた。


「時任さんに絵のモデルを頼まれたの! 先輩だから断れなくて……!」


「なんだと?」


「……だから、美術室に行かなきゃいけないの」


「本当に大丈夫なんだろうな」


「うん! 堀田くんも来る?」


「わかった……小窓から見てる」


「小窓?」




 放課後――。


 君野は、その嘘の代償に、何の策も浮かばないまま再び美術室へ来てしまった。


 今日はきいろくんもいないらしい。


 僕はまっすぐ、絵を描く時任先輩の前に立つ。


「私に用があるの?」


「僕をモデルに絵を描いてくれませんか……!」


 彼女はその言葉に一瞬だけ筆を止めた。


 眼鏡越しの瞳がこちらを向き、静かに君野を見上げる。


「君野くんを? いいよ」


「え? 本当ですか?」


「ええ。座って」


 彼女は木箱の椅子へ君野を座らせると、予備の白いキャンバスをイーゼルへ立てかけ、その前に立った。


「いいんですか? もうすぐで仕上がるのに」


「前から1度描いてみたかったの」


「あの、1時間でいいですか……友達が待ってるんで」


 君野の言葉に、彼女は微笑んだ。


 そして鉛筆を縦に持ち、片目を閉じる。


 ……これって、いつも思うけど何をしてるんだろう。


 そう考えていると、茜は突然立ち上がり、木製キャンバスが保管されている棚へ向かった。


 その中から、1枚の絵を取り出す。


「これ、持ってみて」


「え……」


 それは、あの目のない天使の絵だった。


 きいろくんと僕の因果を描いた絵……。


「ヒッ……!」


「その絵を見て、自然に出たあなたの表情を描きたいの」


「……」


「怖い? やめたほうがいい?」


「い、いえ……」


 君野は震える手で木枠を掴む。


 先輩のお願いだ。

 絵を見なければいい。


 完全に乾いているはずなのに、木枠を掴んだだけで手が真っ黒になる。


 触れていないはずの部分まで、黒が滲んでいた。


「君野くん、顔を上げて」


「す、すみません……」


 君野は咳払いをして気持ちを切り替え、モデルを務める。


 なんか、大変なことになっちゃったな……。


 その後は何事もなかったかのように、静かな時間だけが流れていく。


 美術室に漂う絵の具や木材、紙の匂いが、少しずつ僕の体に馴染んでいく気がした。


「ありがとうございました。また来ます!」


 時間になると君野は一礼し、美術室の外で待つ堀田のもとへ急いだ。


 茜は黒板の上の時計を見る。


 夕方4時。


 窓の外はまだ青く、彼が帰ったあとも、この場所で何時間でも絵を描いていられそうだった。


 その時だった。


 ガツン!!!


 鋭い音が、美術室中に響く。


 部員たちが一斉に振り返る。


 茜は、先ほど描いていた君野のデッサンへ、カッターを深々と突き立てていた。


 鉛筆で丁寧に描かれた君野の顔に、大きなバツ印が刻まれる。


 誰も声を出せない空気の中、不意に男の声が響いた。



「アンタ、うちの爺さんみたいなことするな」


 茜が振り返る。


 ポケットへ手を突っ込み、笑みを浮かべたきいろが、いつの間にか真後ろへ立っていた。


「あなたのお爺さん?」


「ああ。本物の天使に会って、才能を枯渇させた爺さんの末路だ。……今のアンタ、そんな感じに見える」


「前から描こうと思ってたの」


「なあ、どういうつもりだ?」


 きいろは一歩だけ近づく。


「何も知らないはずのアンタが、君野にあの絵を持たせて、その表情を描くなんて。出来すぎてるよな」


 眼鏡の奥の瞳は静かなまま。


 その空気の中で、きいろの笑みだけが、不自然なくらい浮かび上がっていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ