第16話「君野純度100%」
放課後、静まり返った教室に、君野ときいろ、堀田はいつものように集まっていた。
きいろは自分の席から気だるそうに立ち上がる。
堀田は腕を組み、前を通り過ぎるきいろを露骨に睨みつけた。
もちろん、昨日の舌入れ事件のせいだ。
「変なことするなよ。1秒以上したら、今度はグーじゃ済まないからな」
君野の前に立ったきいろへ、堀田が牽制を飛ばす。
「それは君野次第じゃねえの」
きいろは冷やかすように笑った。
「君野」
「うん」
君野はきいろに顎を掴まれ、そのままキスをする。
口元は見えなかった。
しかし、そのキスは忠告どおり、スタンプを押すようにあっさり終わった。
「……ありがとう」
君野はなぜか礼を言った。
……堀田の胸に、嫌な予感が走る。
2人がまるで挙式でも終えたように、妙に納得し合っているからだ。
どっちが先に、ディープキスを仕掛けたか――なんて。
「君野!!!」
堀田は君野の腕を掴み、そのまま黒板の前まで押しやった。
逃がさないように。
傷つけないように。
震える指先で君野の両肩を掴み、堀田はうつむく。
「んっ……!」
堀田は激しく唇を重ねた。
今、こうしておかなければ、いなくなってしまう。
そんな気がしたからだ。
気づけばきいろは教室からいなくなっていた。
ひとしきり唇を重ね、ようやく気が済んだ堀田は、君野を強く抱きしめる。
「ごめんな……」
「どうしたの? 急に……」
「お前が俺を好きなことは知ってるのに、信じきれない自分がいる……」
「……堀田くんは、僕のこと好き?」
「当たり前だ!!」
「うん……僕も、堀田くんを愛してるよ」
「本当か?」
堀田は君野の顔を見つめる。
いつもの中性的で、可愛い顔。
ただ、その表情は吹っ切れたように穏やかだった。
「ああ。愛してる」
君野は優しく微笑み、堀田の胸へ体を預けた。
次の日――。
「吉郎!! 吉郎!!」
平日の朝、突然母親に体を揺すられ、君野は飛び起きた。
「お友達来てるわよ! 約束すっぽかした?」
「え? 遅刻?」
スマホを見ると、まだ朝5時だった。
「白黒くん。あなたを迎えに来たって」
「え! きいろくん?」
その名前を聞き、眠気が一気に吹き飛ぶ。
「なんか約束してたっけ……」
眠い目をこすり、母が急いで作ってくれたおにぎりを片手に、制服姿で玄関を出る。
そこには確かに、きいろが立っていた。
「おはよう。早いね……」
君野はツナおにぎりのラップを剥がしながら食べ始める。
「朝来るの、約束してた?」
「俺が朝来たら、約束してなくても学校行くって約束」
「それは約束じゃないよ。まだ眠いのに」
ぶつぶつ言いながら、おにぎりを口いっぱいに頬張った。
「んぐっ!!!」
突然、君野の動きが止まる。
思った以上に大きく頬張ってしまったらしい。
きいろは君野の青いリュックからペットボトルを取り出し、キャップを開けて無言で差し出した。
君野は受け取ると、一気に水を流し込む。
「はあ……死ぬかと思った。ありがとう。きいろくんは命の恩人だね!」
「これで死んだら、お前の母親が報われないだろ」
きいろは鼻で笑う。
だが、今の君野には何の悩みもないのか、そのマイペースさに拍車がかかっていた。
「今日、魚になってね。その仲間たちと海の中を泳ぐ夢を見たんだ」
「楽しかったか」
「うん。僕、ツナマヨよく食べるから魚の夢見たのかな」
「マグロだったのか」
「クマノミみたいな小魚だったかな」
「じゃあ、ツナは関係ないんじゃないか」
「……そっか。でもさ、魚って自分で生臭いのわかんないんだって思ったんだよね。集団でいたけど全然臭くなかったよ。なんでかな」
「さあ。神のみぞ知る、だな」
「え? カニの味噌汁?」
「……絶好調だな」
きいろは咳払いをした。
そんな能天気な会話を交わしながら、2人は学校へ向かった。
学校に着くと、まだ6時だった。
朝練に励む部活の生徒たちが校庭を走り回っている。
「入れないみたいだよ」
君野は教室へ向かう扉を引き、困ったように顔をしかめた。
まだ校舎は開いていなかった。
2人は1年教室前の土間スペースへ移動する。
窓の向こうには花壇が広がり、その前のコンクリートには、中庭に面したテラスのような縁が続いていた。
きいろは、その縁へ気だるそうに腰を下ろす。
遠くから聞こえる朝練の掛け声。
中庭の池にある小さな人工滝の水音。
そのリズムが朝の静けさに溶け込み、時間だけがゆっくり流れていた。
隣では、青いリュックを抱きしめたまま君野が眠っている。
きいろは1歩だけ近づいた。
そのまま背後へ回り込み、静かに腰を落とす。
指を差し入れる。
リュックと胸のあいだ。
わずかな隙間へ。
掌が止まる。
――トン。
――トン。
――トン。
指先が止まった。
……よかった。
「……起きろ」
きいろは小さな背中を軽く叩く。
「あれ? 寝ちゃってた。きいろくん?」
「ここだ」
「……椅子になっててくれたの?」
「リクライニングもしてやるか」
「うわ!?」
君野はきいろに引っ張られ、そのまま真後ろへ倒れ込む。
体はそのまま、きいろの横へ転がった。
2人はまるでシングルベッドに寝転ぶように、互いの顔を見つめ合う。
「何の夢見てた」
「うん? いい椅子に座ってた夢だよ。電車の中で僕の席だけ革張りの椅子だった」
「夢でも椅子にするなんて、生意気だな」
「でも特別席だったよ。すごく寝心地よかったし!」
そう言うと君野は、コンクリートの上で肘を枕にしたまま、また目を閉じてしまった。
今日は快晴だ。
夏の朝はまだ涼しく、心地いい。
きいろは呆れたようにため息をつく。
それでも、その無防備な寝顔から目を離せなかった。
「君野!」
30分後、堀田は息を切らしながら教室へ駆け込んできた。
君野の家まで迎えに行ったものの、すでにきいろが迎えに来ていたと聞き、そのまま急いで学校まで走ってきたのだ。
教室には、のんきに自分の席へ座る君野と、その前に立つきいろ。
4つの視線が一斉に堀田へ向けられる。
「お前、今日コイツと一緒に登校したんだってな!? どうせまた無理や――」
「あの、はじめまして……!」
君野は明るく、律儀にぺこりと頭を下げた。
堀田は口をあんぐりと開けたまま固まる。
力の抜けた肩から、エナメルバッグがずり落ちた。




