第14話「ひどく甘い優しさ」
「堀田くんどこ?」
午後最初の授業は特別授業だった。
パソコン室で計算ソフトを学ぶ授業。
君野は人差し指で豆でも数えるように、キーボードをぽつぽつと打っていた。
堀田は日頃からノートパソコンを使い慣れている。
そのためスマホしか使わない友達やクラスメイトから引っ張りだこだった。
「これ、『っ』ってどうするんだっけ……」
君野は友達に囲まれる堀田のもとへ向かう。
堀田は手を止め、丁寧に教えてくれた。
「メモしておかなきゃ……あれ?」
だが、机に置いていたはずの筆箱がない。
君野はきょろきょろと辺りを見回した。
すると、1人で席に座るきいろが、自分の筆箱を広げていた。
「きいろくん……! 何してるの!?」
慌てて駆け寄る。
青い筒型のエナメル質の筆箱。
その机の上には、シャーペンや定規、フェルトペン、コンパスなどが綺麗に並べられていた。
思わず顔が熱くなる。
筆箱の中は、自分でも引くほど汚かった。
きいろは、それを黙って整理してくれていたのだ。
君野はぼんやり眺めたあと、小さく笑った。
「きいろくんって、意外と丁寧なんだね」
「……お前も、汚れた自分の心を綺麗にしたらどうだ」
その一言に、君野の目が大きく見開く。
きいろは無造作に筆箱を差し出した。
君野は震える指先でそれを受け取る。
蛇が獲物を追い詰めるような鋭い視線。
潤んだビー玉のような君野の瞳には、その目だけが映っていた。
「君野! 進んでるか?」
「あ……」
その声で我に返る。
筆箱を抱えたまま、堀田のもとへ駆け寄った。
「……ありがとう」
ぎこちなく頭を下げる。
どうしよう……
堀田くんに"えっちな髪の触り方"を否定されたモヤモヤが、また黒い煙のように胸へ広がっていく。
「どうした? なんで泣いてるんだ?」
堀田は異変に気づき、君野の頬を両手でそっと包んだ。
優しい手の温もり。
優しい声。
その優しさだけで、心が壊れそうになる。
「……パソコンのホコリがすごかったのかも」
「そうか。アレルギーだったら大変だ」
堀田はポケットからハンカチを取り出し、涙を優しく拭ってくれた。
その手つきは、やっぱりいつもと同じ。
大型犬を撫でるような、わしゃわしゃとした優しい触り方。
その優しさが、心の汚れた僕には受け止めきれなかった。
怖いとさえ思ってしまう。
そして、放課後。
「じゃあ、キスするか」
堀田は覚悟を決めたように言った。
いつもの、不思議な構図。
「……」
君野は少し離れた場所から、ぼんやりと2人を見つめていた。
このキスの時間になると、目のカメラがおかしくなるような感覚に襲われる。
ズームしたまま元に戻らないような、頭が少しくらっとして重くなる感覚。
今日はそれが、いつも以上にはっきりしていた。
「お前からでいい」
堀田は相変わらず、不器用に一言だけ告げる。
きいろはゆっくりと君野の前へ歩み寄り、その顎を持ち上げた。
視界いっぱいに、きいろの顔が近づく。
細められた目が、まっすぐこちらを見つめていた。
「……!」
きいろは静かに両手を君野の髪へ添えた。
指先が、たんぽぽの綿毛のような柔らかな髪へ沈んでいく。
ゆっくりと。
確かめるように。
熱を持った指先が、優しく髪を梳いていく。
堀田くんの顔を見るのが怖い。
「っ……」
それでも。
僕を否定しないその指先が、少しずつ心地よくなっていく。
――お前は変じゃない。
指が、そう言ってくれている気がした。
涙があふれて止まらない。
もう何も考えられなかった。
そして、唇が触れる。
その直後――
彼の舌が、ほんの一瞬だけ唇の輪郭をなぞった。
びくり、と身体が跳ねる。
――言っただろ。俺のせいにしていいって。
いいの?
いいよね……。
「ふざけんなよッ!」
振り返るより早く、乾いた音が教室に響いた。
堀田の拳が、きいろの頬を打ち抜く。
「!」
きいろくんは、僕に当たらないように、わざと殴られたんだ。
頬を打たれ、少しだけ身体を揺らしながらも、口元にはいやらしい笑みを浮かべている。
「お前……俺が見てる前で……! よくも!!」
「じゃあな。また明日」
きいろはニヤリと笑い、そのまま教室を出ていった。
堀田はしばらく、きいろが去った扉を睨みつけていた。
やがて君野の肩をぐっと引き寄せ、そのまま何も言わず、頭を抱え込むように抱きしめた。
ああ、僕……
とんでもないことしちゃった……
頬を伝って、涙が次々とこぼれ落ちる。
「ごめん……」
「いい。謝るな……」
僕は汚い。
消えたい。
堀田くんの嫌いな"汚れた僕"を消したい。
僕からだから……
僕が選んだ。
僕のせいだ。
涙が止まらない心に、静かに暗い影が落ちた。




