第12話「深くエグく」
「堀田くん、どこ?」
君野はきいろと別れたあと、なかなか戻ってこない堀田を探していた。
「あ、君野くん!」
声をかけてきたのは、中学時代から堀田と親しい波田美咲だった。
彼女は当時、ほんの一時期だけ堀田と付き合っていたことがある。
今は派手なギャル姿で、同じような仲間を引き連れ、いつもその中心にいる。
「何、落ち込んでんの?」
「堀田くんがいなくて……」
「ゆうじゅなら、4組の教室にいたわよ」
「ありがとう……」
「喧嘩した?」
「ううん……」
君野の元気のなさに気づいた美咲は、腕につけていた苺柄のシュシュを外すと、癖のついた前髪をきゅっと縛った。
にんまりと笑う美咲。
君野の額の上には、普段は滅多に見えない小さなツノがぴょこんと現れた。
「きゃー! 可愛い!」
「君野くん、カラコンも入れるー?」
周囲のギャルたちが一斉に盛り上がる。
「これ、なに?」
「あげる! ゆうじゅは君野くんの髪が好きだから、すぐ反応してくれるんじゃない? じゃ、またねー!」
美咲たちは派手な花のような香りを残し、賑やかに去っていった。
ひとり残された君野は、ぴょこんと跳ねた前髪をじっと見つめる。
――これで、振り向いてくれるの?
「君野!」
その姿に気づいた堀田が、廊下に立つ君野のもとへ駆け寄ってきた。
「なんだ、そりゃ!」
「波田さんが僕にくれた……」
言い終わるより先に、堀田はきつく縛られたシュシュを髪から外した。
そのまま手ぐしで、一生懸命に前髪を整えていく。
「余計なことするなよ、あいつ……。癖がついたらどうすんだ……」
言い方は乱暴なのに、触れる指はやけに優しい。
「お前の髪は、絶対そのままがいいんだ」
「堀田くん、僕のこと好き?」
「も、もちろんだ!」
「この髪も、全部堀田くんのだから……」
君野は堀田へぎゅっと抱きついた。
堀田の心臓が、ヒィッ、と嬉しい悲鳴を上げる。
「なんか、今日は甘えん坊だな……」
「うん……」
さっきのオレンジジュースのせい……。
君野は心の中で、小さくつぶやいた。
けれど、これだけでは足りない。
――足りない。
君野は、少し汗ばんだ堀田の首元へ鼻先を寄せた。
「ど、どうした?」
「堀田くんの匂いがいっぱいする……」
「さっき、荷物運ぶの手伝ってて汗かいたんだ。臭くないか?」
「臭くないよ。この匂い、大好きだもん」
「そ、そうか……」
堀田は顔を真っ赤にして照れている。
この汗の匂いをハンカチに染み込ませて、いつでも嗅げるようにしたい。
けれど、そんなことを言えば引かれてしまう。
堀田くんが言ったように、儀式のキスはただのスタンプでいいはずなのに。
ずっと、体の奥が満たされない。
どうしたらいいのか、わからなかった。
そして、その気持ちが収まらないまま、今日も放課後がやってきた。
夕日に染まった教室には、今日も3人だけがいる。
窓の外では陸上部の掛け声と、テニス部がボールを打つ音が規則正しく響いていた。
日常はすぐそこにある。
なのに、この教室だけは、それに抗うように今日も儀式が始まろうとしていた。
きいろは相変わらず教卓に腰掛けている。
その後ろで、君野は堀田のシャツの袖をぎゅっと掴んでいた。
――もういい。
離したくない。
「いつも悪いな」
堀田はぎこちなく教卓の前へ歩み出る。
「……」
君野の動揺は、背中越しにも伝わってきた。
「覚悟はできたか?」
きいろは教卓から降りると、君野へ歩み寄り、その頬へ優しく触れる。
今日も何も変わらない。
なのに、逃げられない。
――もう、俺が口をつけて飲んだって、誰もわかりはしない。
その言葉が何度も脳裏で繰り返される。
逃げたい。
なのに、拒めない。
きいろはそれを知っているかのように、君野の顎をそっと持ち上げた。
逃げ場を塞ぐように。
「呪いが効いたら、何されたい」
「わからない……」
「そうか」
一拍置いて、きいろは静かに告げる。
「なら、全部俺が決める」
その言葉は脅しではなかった。
――確定した未来を告げるようだった。
「んっ!?」
君野の声に、堀田が思わず目を開く。
だが見えたのは、いつも通りのキスだけだった。
「今、君野に何した?」
「お前が見てないから、見るように仕向けただけだ」
きいろが口元を歪める。
全部、彼の掌の上だった。
ガタッ。
次の瞬間、君野の体がぐらりと後ろへ傾く。
堀田は反射的に駆け寄り、その体を支えた。
「あ、ごめん……ちょっと、クラッとして……」
顔を上げる頃には、きいろの姿はもうなかった。
「待ってろ! 水買ってくる!」
堀田は君野を椅子へ座らせると、そのまま教室を飛び出していった。
「はぁ……ああ……うぅ……」
体が熱い。
頭の中まで熱くなっていく。
「だめだってば……!! 考えるな、考えるな……!」
――思い出してはダメ。
「堀田くんが1人……堀田くんが2人……」
必死に堀田のことで頭を埋め尽くそうとする。
「堀田くんが30……」
「ほら、水!」
戻ってきた堀田がペットボトルを差し出す。
君野は受け取ると、ゆっくりと喉を潤した。
「貧血か?」
「ううん……なんか、緊張にくらったのかなって……」
「悪いな……もう、こんなことやめようか?」
「大丈夫……必要なことなんだよね……?」
君野は前を向く。
もう、きいろはいない。
……いない。
「……大丈夫か。キス、できるか?」
「うん……」
君野は堀田へそっと唇を重ねた。
もう、自分が何をしているのかさえ、わからなかった。
その夜。
風呂から上がった君野は、夕飯も食べずに2階の自室へ戻ると、ベッドへ大の字に倒れ込んだ。
扇風機の風が、濡れた髪と火照った体をゆっくり撫でていく。
白い天井を見つめると、今日の出来事が次々と浮かんできた。
堀田くんが好き。
それは嘘じゃない。
でも――
触れてくるのは、いつもあっちだ。
あの目で、全部見抜かれる。
怖いのに、逃げきれない。
拒絶しているはずなのに、どこかで期待している。
――それが、自分のものじゃない気がした。
「……」
言葉にできない。
胸の奥がざわついたまま、静かに目を閉じる。
今日のキスを思い出してはいけない。
そう思えば思うほど、指先の感触も、視線も、耳元で囁かれた声も鮮明に蘇ってくる。
――全部俺が決める。
「っ……」
君野は布団をぎゅっと握り締めた。
忘れたい。
なのに、頭から離れない。
扇風機の風だけが、変わらない音を立てながら部屋を吹き抜けていた。




