番外編① 第四話 脚下照顧(きゃっかしょうこ)
「そうでしたか。セザールはマチルダ様を庇って……」
オクタヴィアンは、罪人よろしくつらつらと自身の怯懦を語るマチルダを見る。
哀れな女はオクタヴィアンから旋毛が見えそうな程に項垂れ、許しを請うように両手を固く握り締めていた。
オクタヴィアンはまるで牧師にでもなった気分である。勿論、家令に過ぎない身で、全幅の信頼と共に自罰的な内情を吐露されるというのは、余りよい気分ではない。
「その告白が真実ならば──あの夜、マチルダ様はカタルジュ家にとって最善の選択をしてくださったのです。その様にご自分を責める必要などございません」
マチルダは、顔を上げ縋るようにオクタヴィアンを見つめる。
「……どういうことですか?」
「もしもあの時、貴女がセザールに同行していたら、彼は城の隠し通路のことをお嬢様にお伝えすることは出来なかったでしょう」
「か……隠し通路?」
思わず声の裏返ったマチルダに、オクタヴィアンは声を抑えるようにと、やんわり咎める様に右手を掲げた。
「はい。どうかご内密に。……実は、ヴィスコル城には有事の際、カタルジュ家の方々だけが使える脱出口がございます」
「……初耳ですわ」
「でしょうな。代々当主様と奥方様……それに上級使用人の一部のみが知らされる通路でございます。お嬢様ですらご存じなかったでしょう」
オクタヴィアンはしみじみと言葉を続けた。
「流石に、お嬢様に随行するマチルダ様には隠し通路は使わせぬ──というのは酷でありましょう。それで、恐らく、セザールは貴女様に部屋に隠れてやり過ごすように、と──」
「もしくは、お嬢様に随行するのに、私では頼りなく思ったのでしょうね」
オクタヴィアンはその言葉を否定しようと口を開きかけたが、マチルダの思い詰めた表情を見て、薄い唇を固く引き結んだ。
オクタヴィアンがセザールの本心を代弁することは容易いが、頑なに鎖してしまったマチルダの心を解くのはセザールの内情を騙る声ではない。本心を秘したまま眠る優しい男が語る本心から出た言葉だけだ。
「ですが……あの夜、お嬢様はヴィスコル城に残っていらっしゃいましたよね。隠し通路は結局利用されることなく終わったのでしょう?」
「ええ、お嬢様が吸血鬼を──リュミドラなる女を退けて仕舞われたので」
オクタヴィアンの言葉を受けて、マチルダは心痛が堪えるように胸を押さえた。
マチルダはエリシュカが斗う姿こそその目で見てはいないが、“使徒”として覚醒したことはオクタヴィアンを通じて既に把握している。
それでも、未だにマチルダが胸を痛める素振りを見せるのは、エリシュカのような少女が命を賭して斗ったからか。
短剣を取り、敵に立ち向かう──それは、マチルダにはついぞ出来なかったことだ。
「……本当にお嬢様が、吸血鬼と渡り合ったのですよね。オクタヴィアン様からお話を伺った今でも到底信じられません」
「ふふ……この老骨めも未だに信じられませぬ」
オクタヴィアンは微かに片眉を顰める。軽く笑っただけだが、まだ癒えぬ腕に少々障りが出たのだ。
「オクタヴィアン様、お加減が悪いのでしたら──」
話を切り上げようとするマチルダにオクタヴィアンは豊かな白眉の眉尻を下げる。
「……いえ、お気になさらず」
しかし、マチルダはオクタヴィアンの傍らに立ち、その背中に手を添える。オクタヴィアンを外へ連れ出そうとするのを、老家令はそっと手を重ねて押し留めた。
「それよりも、マチルダ様。カタルジュを去る意志はお固いようですが……これからどうするおつもりなのですか? よろしければ、今から紹介状の手配を──」
マチルダは老人の染みの浮かんだ手を取り、晴れやかに笑む。
「いいえ、結構ですわ。私、ずっと身の振り方を考えましたの」
マチルダは昏々と眠り続けるセザールへと視線を向けた。凛々しい美貌に、どこか晴れやかな覚悟を乗せた鮮やかな笑みを刷く。
「経緯はどうあれ、私はセザール様に命を救われた身。恩を受けたからには、返すのが道理だとは思いませんか?」
「ええ、まぁ──はい。それは仰る通りだと存じますが」
マチルダの迂遠な言い回しに戸惑いながらも、オクタヴィアンは何とか肯首する。
「ですから私──差し当たってセザール様と結婚しようかと」
「……………………んっ?」
余りにも突飛なことを真面目な顔で言うものだから、オクタヴィアンは有能な家令にあるまじき間の抜けた声を漏らした。
「今、セザールと結婚する…………と仰いましたか?」
「ええ」
「子爵未亡人であるマチルダ様が、平民のセザールと再婚なさると?」
「その通りですわ」
オクタヴィアンは動く右手で頭を抱えた。
「……それは……有り得ないことでございます」
子爵未亡人と平民──埋めがたい身分差もさることながら、マチルダとセザールは両名ともに失職が決まっている。
更にセザールは重体の身で、侍医が手を尽くしたにも関わらず回復の兆しはほとんど見えない。やにわに意識を取り戻したかと思えば、四半刻もしない内に再び昏睡状態に陥るなど、その体調は陽炎のように頼りなく揺れているらしい。
セザールは例え完全に意識を取り戻したとしても、生涯寝たきりかもしれない──というのが侍医の見立てだ。
つまり、これはマチルダには何の旨味もない結婚である。
「……セザールと再婚すれば、子爵未亡人というお立場も失いますぞ? マチルダ様は平民の生き方などご存知ではないでしょう?」
「覚悟の上です。それに、生きてさえいれば、やってやれないことなどありません」
その瞬間、寝台が不気味に軋んだ。
二人ははっとして病床の男を見る。そこにはバツの悪そうな顔をしたセザールが、柔らかな茶色い瞳でマチルダを軽く睨みつけていた。
「……そ、の話は……おこ、とわり……すると、も、もうしあげた、はずですが」
オクタヴィアンは、はっと息を呑む。
一週間ぶりに言葉を交わした同僚からは、軽やかで流暢な言葉遣いは完全に消え失せてしまっていた。




