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さらば、愛を乞う赫き怪物たち  作者: 曲直瀬トウ
港湾都市編

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第八十四話 悪鬼心中

 ヴラドは狂ったように嗤った。


「漸く捕まえたぞ、ちょこまかと動きおって!  このままへし折ってくれるわ!」


 ヴラドは左手に渾身の力を込めてアレスの手首を絞め上げる。刹那、アレスの表情が苦痛に歪んだ。


 ぎり、とアレスの手首が軋む音がする。だが、どれ程時が経とうと、その細い手首が折れることはなかった。


 アレスがヴラドの籠手《ガントレット》を裂き、胸当て(ブレストプレート)を貫いた瞬間、短剣から迸るアレスの能力──万象の力を奪うという奇跡は波紋のように甲冑全体へと広がっていたのだ。


 先程は上手く侵食を防がれたものの、左手の短剣《ダガー》が楔の役割を果たしている今、ヴラドには胸当て(ブレストプレート)を投げ捨て、侵食を阻むことは出来ない。


「な、何故だ……? 女子供の身体すら壊せない……だと……?!」


 困惑するヴラドを見たアレスは、苦痛に表情を歪めていたはずの面に嗜虐的な笑みを浮かべる。


「残念だったなァ、亡霊騎士さんよォ。三百年間、弱い奴らからちまちまと血ィ吸って強くなったっていうのになァ?」


「貴様……私に一体何をした?!」


「私の力で、お前が積み重ねた三百年を全て無かったことにしただけだ」


 既に喉も肺も失われて久しいだろうに、ヴラドという亡霊はご丁寧にも息を呑む音を再現する。


「私の三百年の研鑽が……全て……無かったことに……?」


 アレスの下品な哄笑は、頭上に鎮座する赤い月に吸い込まれていくようだった。その悪意を糧に、月はその質量を更に増したように見えなくもない。


「私は今、最ッ高の気分だぜ! 唯一の心残りは無能な手前ェの腐れた面を拝めねェことだ!」


 アレスは加虐心に目をぎらつかせながらそう言ったが、ヴラドの敗因は優(・)秀(・)で(・)あ(・)っ(・)た(・)こ(・)と(・)だ(・)。少なくとも、相手の先の一手を考えぬ凡愚ではない。


 だからこそ次に迫り来るであろう脅威──アレスが右手に構えた武器に気を取られ過ぎたために、最後の逃走の機会を逸したのだ。


「──いよいよ地獄の門が開くぜ。楽しみだなァ、木偶の坊」


 ヴラドは怖じけたようにやめろと喚く。既にヴラドの握力は、只人と変わらぬ程度にまで低下していた。


「やめろ? 力を無くして、最期には騎士の矜持まで失くしちまったか? そこは『殺せ!』だろうが」


 アレスは右手を大きく右に払い、ヴラドの拘束を振り切る。


「それによォ……手前ェだって、敵の命乞いを聞いてやったことなんざ無ェよな?」


「や……っ」


 アレスは即座に短剣《ダガー》の柄を回転させて、逆手に構え直すと大きく振り被り、胸当て(ブレストプレート)に斜め上から突き下ろした。


「やめろォォォォォォォォ!!!!」


 ヴラドが吸血鬼《ヴァンパイア》として力を失った今、あれほど強固だった甲冑は血液へと転じようとしていた。水を貫いたような不思議な手応えと共に白刃がとぷりと沈む。


 がつ、と鈍い音がして煌めく刃が鉄を食んだ。恐らくだが、これは元々ヴラドが装着していた甲冑だろう。


 ──これが、この男の核か! 


 しかし、恐怖に呑まれたヴラドが粛々と死を迎え入れるはずもない。がむしゃらに暴れるヴラドの鉄靴《サバトン》が、がら空きになったアレスの腹を馬鹿力で蹴り飛ばす。


 その威力は人のそれを超越したものではなかったものの、アレスは受け身を取れずに背中を石畳に強かに打つ。


 背中に走った衝撃でアレスは激しく咳き込む。上手く空気を肺に送り込むことが出来なかった。


「クソが……!……やはり、小娘には、体力を、つけさせる、べきか……!」


 アレスは喘ぐように吐き捨てながら、ゆっくりと身体を起こした。尤も、到底立ち上がれそうにない。貧弱な身体は、自棄くそのような腹への一撃が相当応えているようだった。


 最期の反撃こそ食らったものの、奇跡の力はヴラドの核に届いた。ヴラドを形作っていたものが全て血液に還るのに、然程時は掛かるまい。


 だが──胸当て(ブレストプレート)を左手で押さえてその場でたたらを踏み悶えるヴラドが、突然何かに気付いたように動きを止めた。


 そちらから芳しい血の香りでも漂ってきたというのか、顔のない死に損ないは、ゆっくりと倉庫群を振り返る。


 そこに立っていたのは痩せぎすの男──ユオンである。彼は表情こそ伺えないが、随分と消耗しているようで、夢の中をふらふらと彷徨するような足取りだった。


「テ(・)レ(・)ジ(・)ア(・)様(・)……!」


 喜色を露わにするヴラドとは対照的に、アレスはぎりぎりと歯噛みする。


 何故、よりにもよって、今こんな所に出てきたのだ。臆病者はそれらしく最後まで隠れていればいいものを──


 ヴラドはもう間もなく、死ぬ。ならば放置していても問題はない。そのはずだ。


 ところが、アレスの確信を裏切り、ヴラドは思いの外しぶとく命を繋いでいた。それでも、もう直に死ぬと理解しているのか、ヴラドはユオンの方へと縋るように駆け出した。


 その間も血の甲冑はどろどろと溶け出していき、ヴラドを構成する核──古びた鉄の甲冑が露わになっていく。


「テ(・)レ(・)ジ(・)ア(・)様(・)! おお、漸くストイカ卿は私に褒賞を下さったのか! ならば、最早この世に未練はない! 私と共に海の底の都へと参ろう!」


「気色悪ィ……」


 アレスは殆ど握力が無くなった左手の短剣《ダガー》を背中の鞘に戻す。冷たい花崗岩《かこうがん》の石畳に手を付き、ふらふらと立ち上がるのがやっとだった。


 今目の前でヴラドに詰め寄られているユオンは男であるものの──女を臆面もなく褒賞と呼ぶその性根にも、その内情を汲むこともなく、他者を問答無用で地獄へと道連れにしようとする姿にも、誇り高き騎士の残骸すら見出すことは出来ない。


 そもそも、アレスからすれば、神の被造物(男)が、同じく自由意志を与えられた同格の被造物(女)を己の所有物のように扱うなど笑止千万──片腹痛い光景であった。


「ああ、クソ……! “お前”が怒ってどうする……!」


 ユオンは吸血鬼《ヴァンパイア》だ。アレスが怒りを感じる所以はない。だが、|アレスが間借りした身体《エリシュカ》がどうしようもなく怒っていて、ともすれば、それに引き摺られかけている。


 ぼろぼろの身体を持て余したアレスが一歩足を踏み出す。膝が崩れそうになったその刹那──


「──お前と共に心中など冗談じゃない」


 ユオンは夢想から醒めたように冷たく言い放つと、万力の力でヴラドの胸当て(ブレストプレート)を殴る。


 殴られた衝撃で、溶け出していた血が周囲に飛び散る。同時に、ヴラドの身体は勢い良く弾き飛ばされ、あっという間に波止場から海上に投げ出されていた。


「えっ……」


 事態を把握し損ねたヴラドが間抜けな声を上げる。


「一人で逝くがいい。永遠に私たち親子の前に現れるな」


 そう厳かに告げたユオンの背中から蝙蝠の翼膜──いや、悪魔の翼に似た比翼が突き破った。羽搏き一つで流星のヴラドの背後へと回り、その背中を渾身の力で空中へと蹴り上げる。


「があぁぁっ!?」


 空中で無様に藻掻くヴラドを、ユオンが更に追った。ユオンは目算にしておよそ二十六フィート(八メートル)の高所を舞うヴラドの身体を一瞬で追い抜くと、強烈な肘鉄をその腹部に食らわせて夜の海へと叩き落した。


 吸血鬼《ヴァンパイア》は水面を渡れず、泳ぐことは出来ない。海に沈めばそれきり、二度と自力では浮上することが出来ない。


「あはは! あははははははは! それでこそ私が愛した女! やはり、欲しい、欲しいぞ!」


 ヴラドは辛うじて残った力を振り絞り、血液を細い銛のような形に無理矢理硬化させると、勢い良くユオンの左胸に向かって射出した。


「な──!」


 思わぬ反撃にユオンの反応が一瞬遅れた。ユオンは咄嗟に身体を捻じるが回避は間に合わず、銛はユオンの左肩を射抜き、翼の付け根に深々と刺さった。針の先についた返しがヴラドの執着を物語っている。


 一瞬遅れて、ヴラドに引き摺られるようにユオンの身体が落下した。


「馬鹿が! 油断しやがって!」


 アレスは右手に持っていた短剣《ダガー》を投擲する。奇跡の力を発現させる余力はなく、その剣身は黒のままだ。


 だが、そもそも短剣《ダガー》そのものが、対吸血鬼(ヴァンパイア)用の武具である。回転する刃はヴラドとユオンを繋ぐ血液の銛を容赦なく切断した。


「あは──」


 同時に、ヴラドの哄笑が途切れた。遂にヴラドが海面に叩きつけられ、甲冑が黒い波間に攫われる。


「く……っ」


 ユオンは相変わらず錐揉み状に墜落してゆく。勢いは止まらない。流石に翼の付け根を傷付けられては羽撃くことが出来ないのだろう。


 海に落ちれば助からない──そう思った矢先、アレスは自分の判断に大いに混乱した。


「助からないから何だ? 助けるつもりか──私が? まさか吸血鬼《ユオン》を? ……冗談じゃねェ!」


 次の瞬間、アレスの身体が沈んだ。そのまま石畳に倒れ込むかに見えた身体は、発条《ばね》のように前へと転がり出る。


「うあああぁぁぁぁ──!」


 吼えたのはエリシュカだった。人格の主導権を取り返した際の頭痛に苛まれながらも、ユオンの身体に手を伸ばした。


 辛うじて爪の先がぼろぼろの外套《コート》に引っ掛かった。掴んで引き寄せようとするが、エリシュカには落下する人間を支える力はない。


 受け止めるというよりはユオンと共に暗い海に引きずり込まれるように、エリシュカの身体が海上へと投げ出された。


「お嬢さん……! どうして、こんな無茶を……!」


 エリシュカはユオンを睨む。


「うるさい! 無茶をしたのは貴方も同じでしょう?!」


「いや、今はそんなことを言ってる場合じゃないな。海に落ちたら、すぐに私から離れて岸壁に捕まるんだ。いいね?」


 ユオンがエリシュカが海面に叩き付けられる衝撃から守ろうとするかのようにエリシュカを抱き寄せる。だが、吸血鬼《ヴァンパイア》であるユオンは泳げず、エリシュカの身体は泳ぐ気力もないほどに疲憊している。このままでは諸共沈むしかない。


「……ロイ、さん!」


 助けて、と叫ぶ必要はなかった。


 波止場から黒い影が飛び出し、恐れ知らずにも身を投げた。──ロイである。


 ロイはユオンをエリシュカごと右手だけで抱き抱えると、岸壁に左手に五指をめり込ませて落下を食い止める。ほんの三フィート(一メートル)下で、岸壁に寄せた波が砕けて飛沫が上がった。


 ロイは安堵したように溜め息を吐き出すと、茫然とするエリシュカを見つめる。


「……目を離すとすぐに無茶をする。死なないように修練に付き合ってやったのに、その結果がこれとはな」


 エリシュカは信じられないものを見るように、ロイを見つめ返した。


「……何で……だって、ここに来てすぐ……海に落ちても助けないって……」


 あぁ、とロイは気の無い返事をする。


「ま(・)だ(・)、(・)海(・)に(・)は(・)落(・)ち(・)て(・)い(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)からな」


 それに、とロイは言葉を継ぐ。


「新人《お前》が命を賭けて斗《たたか》ったのに、上長《俺》が及び腰では面目が立たない」


 エリシュカは目の奥がつんと熱くなるのを感じた。


 表立って戦うのはアレスだが、この身体はエリシュカのものだ。だからと言って安穏と過ごしてきたわけではない。肉体を他者に明け渡すことの恐怖、その結果として降りかかるかもしれない死への恐怖と、常に戦ってきたつもりだ。


 そうして一人孤独に震えるエリシュカのことを、ロイは戦ったと認めてくれていたのだ。


「エリシュカ・ルプによる吸血鬼《ヴァンパイア》討伐と検体の“保護”を確認した。──よくやった、エリシュカ」


 その瞬間、エリシュカは声を上げて泣いた。


 目を見開き、押し黙るロイとは違い、ユオンが宥めるように恐る恐る背中を撫でてくれた。その手は、亡くなった父のように大きかった。

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