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さらば、愛を乞う赫き怪物たち  作者: 曲直瀬トウ
港湾都市編

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第八十二話 伽藍洞の器※

「敵国の王よ……弑し奉る……!」


 ヴラドは槍斧《ハルバート》を下段に構える。


 ヴラドなる男は、生前はかなりの使い手だったのだろう。迂闊に近寄れば、次の瞬間には胴体が左右に切断されていてもおかしくはない──少なくとも“御使い”アレスをしてそう予感するほどの威圧感がある。


 だが、アレスは穏やかに微笑み、半身に構えながら右手の短剣《ダガー》の先端を向ける。


「亡霊騎士風情が、大言壮語を吐くじゃねェか! これ以上死(・)に(・)恥(・)を晒す前にとっととくたばりやがれ!」


 直情的な言葉を吐くと同時に、アレスは駆け出す。その初速は人間の領域をするりと超え、一気に槍斧《ハルバート》の間合いまで距離を詰める。


 しかし、ヴラドに焦燥は見えない。


 例えアレスに神速の利があろうとも、得物の間合いはヴラドに利がある。更に膂力と不死身に近い至高の肉体を持つヴラドに、そもそも人間ごときが渡り合えるはずもないのだ。


「はははははは! 傲慢の権化めが! 必ずや貴様の首級を手土産に持ち帰り、今度こそ……今度こそテ(・)レ(・)ジ(・)ア(・)を我が手に──!」


 ヴラドは既に自身の勝利を確信しているようだった。アレスが右足を踏み込んだのを見て、勢いよく槍斧《ハルバート》を引く。


 槍斧《ハルバート》には斧だけでなく鋭い鉤《かぎ》が付いており、足首に引っ掛けて切り裂くことで容易く破壊することが出来るのだ。


「……むぅ!」


 ヴラドが訝しげに呻く。命を刈り取った感触は葦ほども無かったはずだ。何故ならば、アレスは強烈な踏み込みと同時に前進ではなく跳躍を選んだ。


「脳筋が! テメェの魂胆なんざ見え見えなんだよォ!」


 アレスはヴラドの頭上から吐き捨てる。福々しい月を背に、空中で身を捻りながら一回転する様は荒々しさよりも優美さが僅かに勝る。


 アレスの持つ二本の短剣《ダガー》が淡く発光し、黒刃は眩い白刃に染まった。


 その澄んだ輝きにヴラドは一瞬怯む。しかし、左手で柄を短く持ち直し、穂先を鋭く上空へと突き上げた。


 鋭い先端がアレスの胸を貫く寸前、空中を舞うアレスは右手の短剣《ダガー》で正(・)面(・)か(・)ら(・)受(・)け(・)止(・)め(・)た(・)。


 本来、宿主《エリシュカ》の貧弱な身体では、吸血鬼《ヴァンパイア》の膂力を受け止めることは出来ない。鍔迫り合いに持ち込むという選択肢すら選べずに、短剣《ダガー》ごと叩き斬られてもおかしくはなかった。


 ヴラドもそう高を括っていたのだろう。甲冑の奥でくつくつと笑う声がする。だが、ヴラドが勝利を確信したその瞬間、アレスの短剣《ダガー》が何の抵抗もなく槍斧《ハルバート》を切り裂いたのである。


 それはまるで果物を切り分けるようだった。そればかりか、切り裂かれた槍斧の穂先と鉤《かぎ》の部分がぐずぐずと融(・)解(・)し始めたのである。


「なんだと……?!」


 アレスが持つ固有の能力──万象の力を奪う奇跡が発現した瞬間だった。


 吸血鬼《ヴァンパイア》の力で生成されたものならば、武具に宿る力さえ奪ってしまえばその形を留め続けることは出来ない。現に凶悪な拵えをしていた槍斧《ハルバート》は一撃を免れた斧部までもが重そうに頭を垂れ、今にも腐り落ちそうだった。


「……信じがたし! この力は──」


「貴様らを地獄へと叩き落とすための力だよ、馬鹿野郎!」


 アレスはヴラドの甲冑の肩当て(ポールドロン)に器用に着地し、逆手に構えた左手の短剣《ダガー》を兜の頭頂部に突き刺す。その手応えはぴんと張った布に刃を通したように柔らかい。


 アレスは剣身の根元まで埋めたそれを引き抜くと、同時に血潮が噴き出す。アレスはそれを忌避するように肩当て(ポールドロン)を両足で蹴って、空中で後転しながら石畳の上に降り立つ。


 ──効いた……か? いや、手応えがおかしい。


 悪い予感を肯定するように、ぶちりと嫌な音がアレスの背後から聞こえてきた。


 アレスはゆっくりと振り返る。ヴラドは兜《ヘルメット》を外して、無造作に石畳に投げ捨てている所だった。


 かん、と軽い音がして兜《ヘルメット》が硬い路地を転がる。しかし、アレスの視線はヴラドの首から上に釘付けであった。


「貴様……この化け物が」


 兜が取り払われた後、本来そこにあるべきヴラドの頭部は存在しなかったのである。


 ヴラドはまるで目が見えているかのように再びアレスに向き直り、槍の穂先をアレスに向けた。


 寸分狂わず向けられた殺気に、アレスは背筋がひりつくのを感じる。予感に従いアレスがその場から弾かれるように右後方に飛び退った瞬間、寸前までアレスのいた場所に槍を突き出したヴラドが立っていた。


「ちっ……!」


 アレスは更に大きく後方に跳躍し、倉庫の影に逃げ込む。


 目は見当たらずとも、ヴラドはアレスの姿を正確に捉えている。この分では、胴体部分に生身の肉体が存在しているかすら怪しいものだ。


 これは甲冑丸ごと出来の良い疑似生命体で、ヴラド本人は港湾に潜伏しているのか。それとも──甲冑にこびりついていたヴラドの血液が無念を触媒に吸血鬼《ヴァンパイア》として蘇ったのか。


 もしも前者ならば今、アレスがこの端末を破壊する意味はない。捨て置いて本体を探しに行くべきだった。だが、もしも後者ならば速やかに目の前の怪物を処理しなければならない。


 “御使い”が持つ【天眼】で見通せば目の前の敵がいかなる存在なのか看破することは可能だ。しかし、平時ならばともかく、戦闘中に人間の脳が多大な情報を処理出来ないだろう。


 ──どうする? 優男《ロイ》は人間の救助に回って、臆病者《ユオン》の姿はここにはない。二手に分かれるにしろ、私が使える手駒は……。


 そこまで考えてアレスはかっと目を見開く。


「おい、ユオン! 私の声が聞こえるか!」


 アレスは闇夜に響く高らかな声で叫ぶ。返答はない。


 アレスは返答を待たずに隠れていた倉庫の影から離れる。数秒後、ヴラドが何かしらの攻撃を加えたのか倉庫の屋根が地割れのような音を立てながら派手に傾いたのが見えた。


「手前ェの“使い魔”に命じろ! 周囲を探索してこの不気味な木偶人形の本体が潜伏していないか探し出せ!」


 周辺の闇が応えるように騒めいた。戦いの様子を気配を殺しながら窺っていた使い魔(蝙蝠)達だ。散り散りになりながら夜の静寂を攫ってゆく。


 ──少なくとも奴《ユオン》はまだ生きている。


 アレスはほっとするように息を吐く。決して吸血鬼《ヴァンパイア》ごときの身を案じてのことではない。


 ──生き延びたいのなら、生き延びろ。そして、検体として精々役に立てばいい。


 アレスは残酷な笑みを浮かべる。


 吸血鬼《ヴァンパイア》を人間に戻す薬剤──その開発手段が例え人道に悖るものであろうとも、神の目指す未来と一致しているのなら、アレスは喜んで目を瞑るつもりだった。


 頭の中でエリシュカが喚き散らす気配がしたが、アレスは無視して物陰に滑り込むように身を隠すと、ヴラドの様子を窺った。


 ヴラドは倉庫への攻撃で完全に使い物にならなくなった槍斧《ハルバート》の先端を自らの手で捻り切り、再び形を整えて簡素な槍へと変形させているところだった。


 アレスの奇跡が全身に回りきる前に兜《ヘルメット》と胴体部分が切り離されてしまったため、戦力の減少は望むべくもない。だが、ヴラドの生成する武器にも劣化が見られることから、少なくはない消耗が見て取れる。


 ──奴の核はどこだ? そこさえ分かれば次の一撃で倒せる。

 

 アレスは左手の短剣《ダガー》を見る。出し惜しみせずに力を使い、既に剣身から光は失われた。再び力を振るうためには四半刻(約三十分)ほどの時が掛かるだろう。


 エリシュカの身体は体力はあるが、それも戦士にしては未熟なものだ。時には身を隠し、時には刃を交えながら時間を稼ぐしかない。


 だが、再度“御使い”の力を振るうことになれば、この虚弱な身体は耐えきれるだろうか。この身体の戦闘持続時間は三時間程度と見積もっているが、“御使い”が奇跡の力を使う度に“使徒”の身体には負荷が掛かり、アレスが戦える時間も短くなっていく。


 ──恐らく、安全に戦えるのは次の一撃で最後だ。……次で決めきれねェなら、小娘を廃人にしてでも仕留める!


 アレスは口元を歪めながら、両手の短剣《ダガー》を構え直した。

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