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さらば、愛を乞う赫き怪物たち  作者: 曲直瀬トウ
港湾都市編

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第八十話 百年の断絶、黒き雷霆※

 ヴラドの作り出した戦馬の体躯は在来の戦馬と比較しても一回りほど巨大で、時に倉庫や街灯──ありとあらゆる障害物を破砕しながら、愚直なまでに真っ直ぐに港湾を走り続けた。


 血液から作り出された疑似生命体らしく、痛みや負傷に対する恐怖は最初から存在しないらしい。


 疑似生命体の能力は生み出した者の力量が物を言う。一度にこれほど大量の血液を消費してみせた事といい、強靱な能力を持つ戦馬を生み出した事といい、騎士の吸血鬼《ヴァンパイア》は、間違いなく恐るべき手練れだった。


 だが、とロイは喉の奥で嗤う。


 ──それでも、俺(・)の(・)方(・)が(・)早(・)い(・)。


 ロイが確信を得た瞬間、飴細工が砕けたような音が周囲に響く。美しく敷き詰められた石畳がまるで氷丘脈のように迫り上がり、巨大な石の花が咲いた。


 ヴラドは後ろを振り返り、ひどく狂乱した。恐ろしく気性の荒い猟犬に獲物として追われているような気分だった。


「莫迦な……! 認めぬ! 認められぬ! 私は……私は、三百年もの間敵兵と戦い、強さを磨いてきたのだぞ……!」


 ヴラドは声を震わせながら追跡者を睨む。そこには既に思う様にユオンを甚振っていた残忍な騎士の姿はない。


「何故貴様のような起源種《ノスフェラトゥ》が、変異種《ストリゴイ》であるテ(・)レ(・)ジ(・)ア(・)の味方をするのだ?! 何の理由があって?!」


 吸血鬼《ヴァンパイア》は元より怪物として生を受けた起源種《ノスフェラトゥ》と、死して人間から吸血鬼《ヴァンパイア》となった変異種《ストリゴイ》に区別される。


 恐らく、ヴラドは最も古い変異種である自覚があって、実力が上のロイをより年長の起源種《ノスフェラトゥ》だと認識したのだろう。


 ロイは静かに嘲笑を浮かべた。


 ──本当に、下らない。


 そのような区分を有難がるのは起源種《ヴァンパイア》の中でも古来より永らえてきた者達ばかりだ。人間にとっては起源種《ノスフェラトゥ》も変異種《ストリゴイ》も同じ吸血鬼《ヴァンパイア》であり、等しく害悪である。


「余程弛(たる)んだ三百年間だったのだろうな。騎士のくせに逃げるしか能がないとは」


「何を──!」


「…………二(・)百(・)年(・)だ(・)」


 ロイはヴラドの反駁を許さず、冷え切った声で騎士の推測の誤りを正す。


「“あの男”に望まぬ怪物としての生を与えられて二百年余り──本当に下らない、汚辱と苦痛に塗れた道程だった」


 怪物という負い目がある以上、生きてきたと宣うことすら憚られる半生である。そもそも──ロイは怪物の中にあってさえ、規格外だ。


 吸血を拒絶しながらも二百年彷徨い歩いてきた事もそうだが、特筆すべきはその圧倒的な身体能力である。


 本来ならば、吸血鬼《ヴァンパイア》の強さは永らえた年数以上に、奪ってきた命(血液)の総量が重要だった。その法則に則れば、吸(・)血(・)を(・)拒(・)否(・)す(・)る(・)ロ(・)イ(・)は(・)ユ(・)オ(・)ン(・)よ(・)り(・)も(・)脆(・)弱(・)な(・)怪(・)物(・)で(・)な(・)け(・)れ(・)ば(・)な(・)ら(・)な(・)い(・)。


 しかし、何の因果か──ロイは吸血を拒絶しても死なず、更に月光さえ浴びていれば、吸血鬼《ヴァンパイア》の能力を研ぎ澄ますことさえ可能だった。それがロイ固有の【魔眼】の力か、体質の特異さから来るものかすら、今も尚分からない。


 ──もしも、この奇妙な生に理由があるとすれば、吸血鬼《ヴァンパイア》を殺し尽くす……そのためだけにあるはずだ。


 ロイは更に駆ける速度を上げながら、再度血の剣を生成する。


 今度は投擲に適した短剣《ダガー》ではなく、ロイの背丈と同じ長さの剣身を持つ巨大な両手剣《ツヴァイヘンダー》だった。


 ロイはそれを右手のみで構えて、ヴラドの首を見据えた。先程肩当て(ポールドロン)を破壊せしめたのだから、防具の有無など最早剣を振るうのを阻む理由にすらならない。


 だが──


「おのれ、おのれおのれ──!」


 ヴラドの憤怒に呼応するように甲冑がかたかたと震えた。すると、単なる装飾にしか見えなかった兜飾りが異様な長さに伸び、鞭のように撓る。


 房飾りの先端の速さは最早音速を超える。さしものロイの目でもその動きを正確に捉えることは出来ず、気付けば肉の弾け散る音と共に、両眼共々視界の全てを奪われていた。


「ぐぅっ……!」


 ロイは石畳を削り取りながら足を止め、震える左手で無残に削り取られた眼窩を押さえる。房飾りと衝撃波をまともに受けた顔の上半分が嫌な熱を持っており、ぼたぼたと零れ落ちる大量の血が石畳を濡らした。


 ユオンの血液が付着した際、ヴラドと共に甲冑が歓喜していた事といい、甲冑は単なる武器の類ではなく、最早疑似生命体に近い代物なのかもしれない。


 ──奴はどう出る?


 ロイは灼熱のような痛みを堪えながら右手の両手剣《ツヴァイヘンダー》を正眼に構える。


 衝撃波を喰らいながらも聴力が辛うじて生きているのは幸いだった。血の戦馬の微かな蹄の音や鉄靴《サバトン》の擦れ合う音を拾えば、次の行動の予測を立てることは可能だ。


 ロイは耳を澄ます。音は──遠ざかっているようだった。ヴラドはロイにとどめを刺すのではなく逃亡を選んだのだ。


 ロイの治癒力ならば数十秒程度で回復するとはいえ、ヴラドと距離を大幅に離されることは覚悟しなければならない。


 ──だが……追い付けるか?


 一瞬、焦燥に駆られたロイの背後から数多の黒い雷霆が駆け抜けていく。


 柔らかい布が棚引くような音だが、ロイはつい最近、この音を廃倉庫の中で聞いた。これは──蝙蝠が翼膜を羽撃かせる音だ。だが、飛び去る速度が尋常ではなく速い。


 ──ソルか? いや、それだけではない。余りにも数が多い……!


 蝙蝠たちは音もなく戦馬の右後ろ足に組み付き、噛み付く。反撃の狼煙には決して成り得ぬ、余りにも小さな噛み痕である。そこから滲み出た血液を舐め取るものの、蝙蝠達の胃の腑に収める事が出来るのは、ほんの僅かの量に過ぎなかった。


 だが、蝙蝠たちの唾液には血液の凝固を阻止する酵素が含まれており、失血させ続けることは可能だ。


 血液そのものである戦馬は数多の噛み跡から流れ出る血液を止める術はない。また、戦馬は声帯を持たず、自身の異変に気付いたとしても嘶きを上げる術は無い。また、騎士は逃げるのに必死で小動物たちの微かな羽撃きに気付いた様子は無い。


 やがて、戦馬の後ろ足には数十箇所にも上る傷口が刻まれた。その刹那、散々酷使した後ろ足に、とうとう限界はやって来る。


 流血により脆くなった後ろ足が、体幹から切り離されたかのようにずるりと分離し、平衡感覚を失った戦馬の巨躯が横倒しとなる。


 手綱を持っていたヴラドと小脇に抱えられていたセラは地面へと投げ出された。


「な、何が起こったのだ……?!」


 ヴラドは何とか姿勢を整えようと身体を丸めたが、強か背中をぶつけたらしい。だが、ヴラドが呻きながら起き上がった時には、既にセラの身体はロイの腕の中にあった。


 奪還は、成功したのだ。


 失われたロイの眼球は既に再生しており、戦闘にも支障のない状態まで回復していた。実力で勝るロイに、最早不安要素はない。だが、ロイの赫い瞳は怯えた様にただ一点、セラの顔を見つめている。


「あ……、あぁ……!」


 セラは頭から出血していた。傷口や頬にこびりついた血の筋は既に乾き始めていたため、拐かされた時には既に手負いだったことは疑う迄もない。


 だが、正しく判断するための冷静さは、ロイの身体から刻一刻と失われようとしていた。


 それは飢餓と恐怖がせめぎ合い、動けなくなる心因反応であった。

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