第五十二話 白き霧の都 レダ=ジェネロス
汽笛吹鳴──蒸気機関車が駅構内へ進入することを報せる合図が、金管楽器のように鳴り響いた。煙突から噴き上がる白煙のみならず、車輪の隙間から猛烈な勢いで蒸気を吐き出しながら、ゆっくりと乗降場へと滑り込んで行く。
走る鉄の塊が完全に停車した後、徐に、駅員が車両に近付き、ドアの取っ手の近くにある真鍮のつまみを捻った。かちりという音を確認した後、把手を引いて扉を開ける。
数瞬の間があって、ある一組の男女が降車した。
一人は四十路を控えた巨躯の男だ。一目で吸血鬼狩りと分かる服装をしており、余程激しい戦闘を経たのか、白い布で左腕を固定している。
しかし、連れの女性は思いの外若く、吸血鬼狩りの男とは一見、親子ほどに年齢が離れているように見えた。全身黒の落ち着いた装いで、貴族然とした立ち居振る舞いは見事なものだが、男の同僚には到底見えなかった。
周囲の乗客たちがちらちらと好奇の目を向ける最中、荷物運びが二つの旅行鞄を両手に抱えながら降車してきた。
「旦那様、荷物はこちらで全部ですか? よろしければ駅の出口までお運びしますが」
「いや、大丈夫だ。迎えが来てくれるはずだから、ここでゆっくりと待つさ。ありがとうよ」
吸血鬼狩り──ヴィタリーは強面からは想像もつかない人好きしそうな笑みを浮かべ、荷物運びに連れの分も含めた駄賃を相場よりも多めに渡した。
荷物運びは気を良くしたのか、丁寧に荷物を置いて客車に戻って行った。
「迎えが来てくれるの?」
エリシュカは手布を鼻に当てていた。
乗降場は竜骨型の硝子張りの屋根で覆われており、雨は防いでくれたものの白煙や蒸気の逃げ場はない。そのせいで駅構内には常に硫黄のような臭いが立ち込めている。
「ああ。誰が来てくれるかまでは聞いてないんだが──」
その時、おおい、と大声を上げながら二人の男が近寄ってきた。
一人は長く淡い栗色の髪の優男風の青年だった。人懐っこい笑顔も髪も太陽のように眩しく、エリシュカとそう年は変わらないように見える。
もう一人は新雪のような髪色を持つ、武道家の厳しさと風格を兼ね備えた、体格のよい男である。年齢はエリシュカより一回り離れているかどうかというくらいだろうか。
二人はヴィタリーと同じ兵服を着ており、エリシュカは二人の男が吸血鬼狩りの仲間であることを何となく察した。
「お帰り、ヴィタリーさん! 赴任先で酷い怪我をしたって聞いたけど、大丈夫?」
人懐っこい笑顔で口を開いたのは長髪の男だ。ヴィタリーは彼を可愛がっているのか、その頭を犬のようにがしがしと撫でる。
「よぉ! 心配を掛けたな、フローリアン。それにアイザックも来てくれたのか」
アイザックと呼ばれた男は無愛想に頷き、地面に置かれたヴィタリーの旅行鞄を持ち上げる。
「運んでやる。身体をいとえ」
フローリアンと呼ばれた男は柔和な笑みを浮かべてエリシュカに向き直る。
「こんにちは、お美しいお嬢さん。俺はフローリアン・ロスカ。名前を聞いても?」
「エリシュカ・ルプです。よろしく」
「異国風で響きが美しい。しかし……ルプ? もしかして……ヴィタリーさんの娘さん──」
「せめて親族って言ってくれねぇ?!」
しかし、ヴィタリーの反論は全員にきれいに黙殺された。
「残念ながら血縁はありませんけど、ヴィタリーさんにはお世話になっています」
「そうだったのか。今から協会に行くんだよね? よかったら荷物を運ぶのを手伝うよ」
「そんな、悪いわ」
「遠慮しないで。ここまで来るのに疲れただろう?」
フローリアンは甘い声でエリシュカに囁く。
だが、使用人に傅かれることに慣れたエリシュカは軽やかに笑ってみせるばかりだ。
「ありがとう、フローリアンさん」
「とんでもない。その笑顔を見せてもらえたのだから寧ろ役得だ。さ、こっちだよ」
エリシュカの荷物を受け取ったフローリアンは、ゆっくりと歩き出す。その速度と言ったら、ヴィタリーやアイザックから見れば欠伸が出るほどだが、エリシュカにとっては気負わずに歩ける丁度いい速度だった。
その光景を見ながら、アイザックはヴィタリーに話し掛ける。
「あの娘、あれの浮ついた台詞に動揺の一つも見せないとは。……商売女には見えないが何者だ?」
「そんなわけあるか。口を慎め。……彼女は“使徒”だ」
アイザックはエリシュカの後ろ姿を見つめながらぎらりと目を輝かせる。
「……そうか。……いずれ死合を申し込んでみたいものだ」
ヴィタリーは不穏な言葉を聞き、アイザックの鍛え抜かれたふくらはぎに軽く蹴りを入れたのであった。
■□■
駅構内を出たエリシュカたちはごった返す人垣と蒸気自動車、馬車が息交う大通りに出る。
流石と言うべきか、女性の着ているドレス一つとっても、辺境ではお目にかかれないような尻を強調する最新の型が流行り始めていた。それぞれ自身をより魅力的に見せるための改良を加えながら美を競い合っているのだ。
「協会はここからすぐの所にあるんだ。だから馬車じゃなくて、歩いてもらうことになるんだけど」
フローリアンはそう言ながら、それとなくエリシュカを車道側から遠ざけながら隣を陣取る。何から何まで女性に対する気遣いは完璧である。
エリシュカは辺境には無い賑わいに、少し気後れしたように周囲を見渡した。
街には専門店しかなかったが、首都には百貨店がある。階層は見上げるほどに高く、ヴィスコル城の高さにも引けをとらない。そんな建物が他にも所狭しと林立しているのだ。
「どうした、エリシュカ。首都は初めてじゃないんだろ?」
ヴィタリーが後ろから、少しからかうように声を掛ける。
「初めてじゃないわ。でも、村や街とは勝手も何もかも全然違うから、緊張はするのよ。仕方ないでしょう」
へぇ、と呟いたのはフローリアンである。
「エリシュカさんは随分と遠い所から来たんだね。よければ、色々案内させてもらおうかな」
「いいの?」
「勿論。普段、首都に来た時はどういう場所によく行くのかな?」
そうねぇ、とエリシュカは口元に指を添えて宙を見上げた。
「街家敷や劇場、あの通りを右に曲がった所にある洋品店かしら。それから……この間、王城へはデビュタントのために行ったけれど」
フローリアンはぎょっとしたようにエリシュカを見る。
エリシュカの言う洋品店とは、恐らく貴族御用達の店で、日常使いのドレスを一着作るだけでも平民の年収に匹敵すると言われている。
しかも──王城に行ったとは。平民は城門に近付くことすら畏れ多く、衛兵に睨まれるというのに。
だが、エリシュカは王城に招待されたと事も無げに言う。
「流石は元辺境伯家のお嬢様……俺は首都に住んでても、王城なんか行ったこともねぇよ」
ヴィタリーの独り言を聞いてフローリアンは一瞬目を見開いたが、エリシュカの立ち居振る舞いや浮世離れした言動の後では、寧ろすんなりと納得したようだった。
「ああ……それじゃあこの娘……いや、この方が、あの──」
おい、と低い声が話の腰を折る。剛毅なアイザックだけが、エリシュカの出自の片鱗を知らされても顔色を変えなかった。
「無駄話はその辺にしておけ。着いたぞ」




