第四十九話 無二の綺羅星宿す金瞳(きんどう)
夜の支配者の死に、風は哀しげに泣いているかのようだった。忌むべき怪物ですら優しく弔うように、赤斑に染まった銀の髪を撫ぜていく。
リュミドラは冷たい石畳を棺に、物言わず横たわっていた。ヴィタリーはその死体を検分し、もはやリュミドラが怪物としての生を終えたことを確認する。
『本当に死んでいやがる。……まさか、この少ない手勢で好色の魔女を討伐できるとはな……』
本来、リュミドラは吸血鬼狩りが複数名──しかも手練れが四名以上集まって、それでも倒せるかどうかという相手である。
左腕の使えない吸血鬼狩りと辺境の貴族令嬢が挑んで生還出来たことは奇跡に等しい。その奇跡を可能としたのは、ひとえに“御使い”の助力のおかげだ。
『──いや、それだけじゃねぇ』
吸血鬼でありながら、人間として理性を保ったまま戦ったアルフレート・カタルジュという犠牲も、ヴィタリーは無視してはならない。
吸血鬼でありながら血の衝動を捻じ伏せた個体は稀である。ヴィタリーが知る限り、アルフレートで『二人目』だ。
もしも、アルフレートがこの先人間の血液に興味を示さなければ──もしかすると、アルフレート・カタルジュの処遇については一考の余地があるかもしれない。
『兄様……! 兄様ぁ!』
悲痛な悲鳴はエリシュカのものだ。いつの間にかエリシュカに意識の主導権を譲り渡したらしい。
ヴィタリーがそちらに目を向けると、白い口髭を蓄えた老爺に頭を足蹴にされ、地面に倒れ伏すエリシュカの姿があった。
『お嬢様! ……アルフレート?!』
アルフレートは老爺に抱き抱えられており、腕の中でぴくりとも動かない。長身で意識があるかも怪しいアルフレートを苦もなく抱え上げている時点で、この老爺が吸血鬼であることは疑いようがない。
ヴィタリーは老爺に銃口を向けるが、装填してある五発の銃弾は既に撃ち尽くしている。
手詰まりに気付かれれば終わる。この場を切り抜けられるかどうかは、ヴィタリーの胆力に掛かっていた。
『──ああ、私はとても悲しい。毒花のように咲き誇っていた君が、こうもあっさりと死んでしまうなんて! この私が手を貸したというのに、所詮美しいだけの徒花だったと証明して、それで終わりかね? ……これほど切ない結末があろうか!』
芝居がかった口調で老爺は暗雲に鎖された空を仰ぐ。老爺の余裕に、ヴィタリーは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
この老爺は銃口を向ける吸血鬼狩りが目の前にいても、注意を払う必要すらないほど強力な吸血鬼なのだろう。
更に、老爺の口ぶりからすると、夕刻にも関わらず、天候を操ったのも彼の仕業である可能性が高い。
日光に晒されて邪悪な力を行使した吸血鬼の例など、伝説にすらいない。
『……アルフレートをどうするつもりだ。そいつを離せ。……言っちゃ悪いが、そいつはもう死にかけだ。もう眠らせてやれ』
ヴィタリーの言葉に、老爺の左目が痙攣し始めた。灰がかった茶色の瞳孔が瞼の裏に隠れたかと思うと、瞬きのあとに現れたのは星のような瞳孔を持つ金瞳であった。
異様な瞳に睨まれた瞬間、ヴィタリーの銃がその手から弾けるように後方へと飛んでいく。引き金に指を掛けていたなら、指ごと失っていたかもしれない。
『ならば、私からも忠告を。その銃はもう使い物にならないのだから、未練がましく縋りつかずに手放し給えよ』
『……っ! てめぇ……!』
『無論君と違い、私は自分の命を守るために彼を連れて行くわけではない。そう……私はね、美しいものが好きなのさ。とりわけ、壊れかけたものは美しい。そういったものを私は芯まで愛でたいのだよ』
ぞわ、とエリシュカとヴィタリーの首まで寒気が走った。男のねっとりと絡みつくような声は生理的な嫌悪を催すのに十分であった。
『──それに、せっかく舞台に上がったのだ。命尽きるまで踊らず、降壇するなど無粋というものさ』
老爺は悪戯っ子のように目を細めて笑うと、アルフレートを抱えたまま上空へと浮上する。
残念ながら、ヴィタリーにはそれを引き留める術はない。二人の吸血鬼が笑声と共に闇に消えていくのを見守るしか無かったのである。
■□■
ヴィスコル城のホールはしんと静まり返る。
アルフレートの拉致という最悪の結末を、吸血鬼狩り、使徒はおろか“御使い”でさえも防ぐことが出来なかった。
あの奇矯な老吸血鬼を斃さねばアルフレートの元には決して辿り着けないだろう。
だが、陽光の下で吸血鬼は力を振るえないという理すら捻じ曲げるような相手にどうやって立ち向かえばよいのか。歴戦の吸血鬼狩りであるヴィタリーですら皆目見当もつかないのだ。
「けれど、悪いことばかりではなかったでしょう? お嬢様はオフェリア様の婚約指輪を取り戻されたではありませんか」
精一杯のネリーの慰めは、沈鬱な空気を僅かに払拭した。
オフェリアの婚約指輪はリュミドラの遺骸から奪還し、清めた後にエリシュカ自ら子爵家へと送り届けたのだ。
その際、子爵は辺境伯家の後ろ盾を無くしたエリシュカを門前払いにしようとした。彼はオフェリアの葬儀の最中にエドワードの追及から逃れようとして官憲に連行されたが、結局何らかの罪に問うことは出来ずに平穏な日常に戻ったらしい。
しかし、子爵夫人が夫の傲慢に気付いて大層な雷を落とし、エリシュカとの面会を許可してくれた。どうやら夫妻の力関係はオフェリアの葬儀以降逆転したままになっているようだった。
結局、エリシュカは子爵夫人に婚約指輪を返還すると共に事の顛末を報告することとなった。
子爵夫人はどこかほっとしたような、それでいてやりきれない表情を浮かべながらも、愛おしそうに指輪を抱きしめているのが印象的だった。
「ああ……それから、コイツも、だな」
ヴィタリーは持っていた旅行鞄を床に置き、中から装飾品を取り出す。
それは金色の指輪の穴に細い鎖を通しただけの、粗末な首飾りであった。しかし、指輪はこの世に二つとない価値のある代物だった。
ヴィタリーはそれをネリーに渡すと、ネリーはエリシュカの背後に回って首飾りを着ける。
尤も、喪服に合わせるものではないから、見えないように服の中にそっと仕舞うしかなかったのだが。
「こんな大事なものを俺に預けるとは、余程切羽詰まってたんだなぁ」
「……兄様の結婚指輪を預かってくれてありがとう。これだけは絶対に兄様に返したかったから……」
喪中は男女の区別なく派手な装飾品を身に着けることはご法度だ。あれ程オフェリアを愛していたアルフレートでさえも、慣習に従って結婚指輪は身に付けなかった。だからこそ、老吸血鬼に奪われることなくエリシュカの手元に残ったのだ。
そして──辺境伯家の財産は、エリシュカの当面の生活費となるもの以外全て王室に押さえられた。
アルフレートの個人的な持ち物ですら、次代の辺境伯に引き継がれることになる。しかし、エリシュカは、この結婚指輪だけは諦めることが出来なかったのだ。




