第四十七話 愛憎は、月影に咲く花と散り※
(目に不可逆の傷を負うシーンがあります)
アルフレートの返答にリュミドラは愕然とする。
アルフレートはリュミドラに隷属する配下である。それは日中といえども効力が失せるような単純な支配ではない。文字通り血と血で繋がる非常に濃密なものだ。
それなのに、アルフレートは何故かあっさりとリュミドラの支配を破ってしまった。
再生能力が落ち、下僕の手綱さえろくに握れない──エリシュカに斬られてからというもの、リュミドラの吸血鬼としての能力は、余りにも急速に欠落し続けている。
アルフレートとリュミドラ、そしてエリシュカを交互に見た農民たちは、こそこそと密談をし始める。
「俺は最初からこの女はおかしいと思ってたんだ……!」
「なぁ……今なら……この女を殺せば許されるんじゃないか? 全ての元凶を殺せば……」
悪意ある囁きに、リュミドラは涙を流し始めた。その滴は夕日の光を映して血のように赤い。つまり──日没には今しばらく時が掛かるということだった。もはや、リュミドラに勝ち目はない。
「こんなことで……この、私が……?」
美姫だ麗姫だと讃えられ、人も物も思いのままに手に入れ、時には壊してきたのが、リュミドラという怪物の半生である。
無様に膝を付く屈辱にも耐えかねているというのに、下賤の者の手に掛かって死ぬなど──
「──そんなの……あまりにもつまらないじゃあないかッッ!」
降り注いだのは、"男"の嗄れた哄笑──それと同時にヴィスコル城に闇が落ちた。
「何──?!」
アルフレートとヴィタリー、エリシュカが空を仰ぐ。
分厚く、暗い雲の壁がまるで雪崩のように押し寄せ、夕陽を覆い隠そうとしていた。その動きは自然のものではあり得ない。
「冗談じゃねえ! こいつは一体、どういうこった……?!」
何者かが自然の摂理を曲げたとしか思えなかったが、夕刻とはいえ日はまだ沈んでいない。そんな中、【魔眼】の力を使える吸血鬼などいるはずがない。
「全員逃げろ! あの女が力を取り戻す前に! ベアトリスは城の中へ避難してくれ! お嬢様、距離を取れ! 後退しろ!」
「いや! 逃げない!」
「お嬢様!」
ベアトリスは泣きそうな声でご武運を! と叫び、門扉の内側へと身を隠す。
アルフレートもまた、元領主として領民に檄を飛ばす。
「皆、行け! 振り返るな! この女と目を合わせれば死ぬと思え! 村へ──聖堂へ逃げ込め!」
農夫たちは情けない声を上げながら起き上がり、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。それでも、安心は出来ない。リュミドラが吸血鬼としての本性を取り戻したならば、追いつかれるのは時間の問題だろう。
「──私から目を離してもいいの? 愛しいあなた」
アルフレートはその言葉に思わずリュミドラを見る。その瞬間、アルフレートは【魔眼】の力を取り戻した紫電の瞳をはっきりと覗き込んでしまった。
「しまっ──」
「私を助けてくれるわよね?」
アルフレートの身体がびくりと強張り、リュミドラを拘束する手が緩まる。自由を取り戻したリュミドラは猫のように素早く身を翻し、アルフレートの肩を異常な怪力で蹴り飛ばす。
防御すら制限されたアルフレートの身体は容易く後方に吹き飛び、エリシュカが悲鳴を上げた。
「にいさ──!」
エリシュカの声を掻き消すように、ヴィタリーがリュミドラの頭部を狙い発砲した。
しかし、リュミドラは既にその場から駆け出しており、銃弾は長い髪を掠めただけで虚しく遠ざかっていく。
「あなたに差し上げた私の血──全部返してもらうわよ!」
鬼のように険しい形相で吹き飛ばされるアルフレートに抱き着くと、その首元に噛み付いた。
アルフレートは悲鳴すら上げずに、ただ虚空を見つめたまま体液を貪られている。喉から逆流した赤い液体がアルフレートの唇から迸った。
アルフレートは震える左手で溢れた血液を受け止め、赫く染まった掌を呆然と見つめている。
「……ちっ!」
ヴィタリーは再度リュミドラに照準を合わせて、引き金を引く。蜘蛛の糸のように細い、難しい軌道ではあるが、アルフレートを撃たずにリュミドラだけを射抜けると確信していた。
重い発砲音が鳴り響き、弾丸が肉を抉る音が追随する。しかし、鮮血に染まったのはリュミドラではなく、アルフレートの背中であった。
リュミドラは嗤う。ゆっくりと頽れるアルフレートを見て、その唇は確かに「ありがとう、あなた」と醜く歪んだ。
リュミドラは咄嗟にアルフレートの身体を引き寄せて盾にし、自らを銀の銃弾から守ったのだ。
「いやぁぁぁぁぁぁ──!!」
エリシュカが悲鳴を上げ、背中に負った二本の短剣の柄を掴む。
次の瞬間、悲哀に歪んでいたエリシュカの顔は死闘の予感に高揚したように、両頬が赤く染まった。──“御使い”アレスと人格が入れ替わったのだ。
アレスは瞬時にアルフレートの短剣を右手に、ヴィタリーの短剣を左手に構えてリュミドラの元へと駆け出していた。
「……悪くねェ! そのままやっちまえ、ニイサマ!」
「何を言ってるのかしら?! アルフレートはもう死んで──」
ゆっくりと倒れていくかに見えたアルフレートは何とか踏みとどまっていた。見れば、アルフレートの左手には、恐ろしく長い釘のような赤色が握られていた。一瞬の隙をつき、吐き戻した血で精製したのだろう。
たとえ武器を握れなくなっても手放さないようにするためか、アルフレートの薬指には小さな輪っかが通してある。まるで血塗られた結婚指輪のようであった。
彼は致命傷を負いながらも渾身の力で左腕を振り上げ、リュミドラの左目をめがけて思い切り振り下ろしたのだ。
「あぁ─────!!!!!!」
今までに経験したことがないほどの衝撃と激痛でリュミドラは人ならざる悍ましい悲鳴を上げた。そのすさまじさたるや、その場にいた全員の耳が数瞬の間使い物にならなくなるほどであった。
アルフレートはほとんど失われた意識の中、更に左手をリュミドラの中へと押し込む。皮肉なことに、太陽が隠れたことによってアルフレートも怪物としての耐久性と膂力を僅かばかり取り戻していたのだ。
「……よくも、よくもォォォ!」
リュミドラは残る右目でありったけの憎悪の視線を叩き込みながらアルフレートの左腕を掴む。その瞬間、アルフレートの骨が大きく軋んだ。彼の左腕を粉砕し、拘束から逃れる算段なのかもしれない。
「やかましいんだよ! テメェ、その程度の痛みで吼えてンじゃねェぞ!」
リュミドラがアルフレートに気を取られている間に、アレスは一気にその距離を詰めていた。
アレスは逆手に持ったヴィタリーの短剣を横薙ぎに振るい、リュミドラの右目を穿つ。厄介な【魔眼】を封じた音はいやに生々しく響いたものの、アレスは追撃の手を緩めない。
アレスは続け様、アルフレートの短剣を即座に順手に構え直し、リュミドラの腕に突き刺す。尺骨と橈骨の隙間をきれいに抜けて、見事に貫通した。
アレスなりに、アルフレートに思うところがあったのかもしれない。もしくは、エリシュカの兄を助けたいという思考に引っ張られたのか。
より銀の含有量が多いはずの──致命傷を与えられる武器をアルフレートを救うために使用したのだ。
「あああああああ!!!!!」
リュミドラは悲痛な声を上げて思わずアルフレートから手を離した。
アレスはその隙を見逃さなかった。リュミドラの目を封じた左手の短剣を手放し、傷付いたアルフレートの身体を渾身の力で手前に引き寄せる。
その拍子にアルフレートの手がリュミドラから離れ、リュミドラの右眼窩が急速に再生し始めた。
アレスは目が再生し切る前に止めを刺そうとするが、今のアレスには失神した男一人を支えながら体勢を整えるだけの力はない。上背の男の重さを支えきれず、諸共ゆっくりと地面に倒れ込んでいく。
"御使い"に超常的な力があるとは言えども、その身体は一般的な令嬢のものなのだ。
アレスは舌打ちした。
「吸血鬼狩り! 花はお前に持たせてやる! やれ!!」
「──感謝を」
射線はすっかり開けていて、リュミドラとヴィタリーの間には、僅か十四フィートの距離しかない。これでは外す方が難しい。
銃声が続けざまに三発響き渡り、十数羽の黒唄鳥が一斉に飛び立つ。
額、首、胸と的確に銀の銃弾を撃ち込まれたリュミドラは背面から地面に倒れ伏した。
好色の魔女──リュミドラ。愛に狂い、愛を乞い続けた女の、あっけない終幕であった。




