第四十話 悪意と誣告
村民蜂起──この急報はエリシュカにとっては全くの寝耳に水であった。
吸血鬼に命を狙われたかと思えば、今度はよりにもよって自領の民に反旗を翻されることになるなど、一体誰が予想出来ようか。
エリシュカは緊張で干上がる喉を小さく鳴らした。
「それは……まさか兄様の無茶な命令が原因なの……? 繁忙期なのに、オフェリアの指輪を探させたから……」
アルフレートは生前、現場から消失した婚約指輪の発見に固執していた。全ては官憲の見解──不義密通を犯したオフェリアが自分で指輪を処分した後、自ら命を絶ったとする説を否定するためである。
しかし、そのために身分を偽り、自ら故買屋に潜入したと判明した際にはエリシュカも肝を冷やしたものだ。
尤も、その執念に大いに振り回されることとなったのは、他でもない立場の弱い領民たちであろう。
彼らの多くは農業従事者だ。春は繁忙期でただでさえ忙しいにも関わらず、アルフレートの命令で指輪を捜索に駆り出されてたのだ。
しかも吸血鬼の出没を受けて夜間の外出を禁じられたため、作業の遅れを夜に取り戻す事も出来ないという二重苦を味わったはずだ。
確かに、カタルジュ家は権力を盾に領民に辛苦を強いた──その謗りは免れないのかもしれない。
だが、意外にもオクタヴィアンは少し言葉を上擦らせながら続けた。
「いいえ……今回の反乱は、旦那様ではなく……お嬢様への憎悪によって引き起こされたものらしいのです」
「わ、私……?」
エリシュカは呆然としながら、長椅子に倒れ込むように座った。エリシュカの頼りなげな背中を支えたのは侍女のネリーである。
確かに、農民たちにとってはエリシュカは兄の暴挙を黙認した悪女なのだろう。だが、それは憎しみを向けられるほどの──純粋な殺意を向けられるほどの罪になるのだろうか。
そもそもエリシュカには兄の統治に口を出す権限などないというのに。
「私が……至らなかったから……?」
「その件に関しては私からお話しさせて頂きます」
修道女ベアトリスは沈痛な面持ちで膝を折り、エリシュカの右手をそっと握り締める。
若い修道女の手はエリシュカに比べると少し荒れていて、握り返すのを躊躇うほどに冷たい。だが、勤勉に働き、逞しく生きる人間のそれであった。
「とは言っても、会話を断片的に聞いただけです。細部に齟齬があるかもしれないとは存じますが──」
そう前置きした上で、ベアトリスは今朝早くに村《ガラ=ルミナス》を訪ねてきたという、ある一組の男女について静かに話し始めた。
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村人達が彼らを見つけたのは早朝、東の空に暁が滲み始める頃合いのことである。
野良仕事に出た農夫たちが、とぼとぼと歩く一組の男女を見かけたのだ。薄汚れた外套を頭から目深に被り、顔貌も年の頃も判然としない。
『おい、あれ……何だか様子がおかしくないか?』
『ああ。……どうする? 駐屯兵に知らせるか?』
農夫たちは互いに素早く目配せをして意思の疎通を図る。
彼らが用心深いのは、村の長に村人以外の人間には注意を払うよう厳しく言い含められていたからだ。
それから、長はこうも言った。辺境伯が命を守るように忠告してくださったのだから、必ず守るように──と。
だが、駐屯兵の元へ向かおうと踵を返した農夫の腕に女の柔肌が縋ってきたのだ。
『お願い、助けて……助けてください……!』
農夫は急に泣き出した女に目を白黒させながら身元を尋ねたものの、返ってきたのは沈黙だった。特に男の方は最前から一言も口を開こうともしない。
村人はいよいよ胡乱な風体の客人たちを怪しみ、そのまま村に駐屯していた兵に身柄を引き渡そうとした。女は大層慌てて、己の身の上についてやっと白状したのだという。
『待って! 私は、吸血鬼に攫われて、ヴィスコル城から逃げてきたの……!』
そうして女はフードを取り、その顔貌を農夫に曝け出す。フードの奥に隠されていたのは愛くるしい美貌と、それをずたずたに切り裂く一条の裂傷であった。
『ヴィスコル城って……カタルジュ様の城じゃねぇか!』
『そう……私たち、エリシュカ・カタルジュに攫われて虐待を受けて……他の皆は殺されてしまったわ。私は彼に助けてもらって何とか逃れられたの……』
そう言って女は連れの男を振り返る。瞳がまるで白薔薇を伝う朝露を受けたように潤んでいるのは、男に対する深い感謝故だろうか。
純朴な娘らしからぬ色香に当てられた農夫がごくりと喉を鳴らした。
『……こ、この男は?』
『カタルジュ様の下男よ。生まれつき口が利けないから城では酷い扱いを受けていたの。私の脱出の手引きをしたことが分かれば、殺されてしまうわ。お願い、匿ってちょうだい』
農夫たちはすっかり困惑してしまった。確かに女は無残な傷を負っていたし、どうしてもエリシュカ・カタルジュという令嬢が悍ましい吸血鬼像と結びつかないのだ。
『……お願い……! 私たち……ヴィオラやクリンたちのように殺されたくないの!』
農夫たちはその名を聞いてぎょっと目を剥いた。それはまさしく村《ガラ=ルミナス》で行方知れずとなった二人の少女の名前だったからだ。
『ヴィオラにクリンだって?! ふ、二人の外見を教えてくれ! 知り合いかもしれんのだ!』
『それは──』
女が恐る恐る口にしたその特徴は、まさしく村の娘たちと一致した。女は余所者が知るはずのない家族構成についても言及し、遺族に末路を伝えて欲しいと頼まれたことを明かす。
仰天した農夫は駐屯兵に見つからないように二人の異客を女子修道院の聖堂へと連れて行ったのだった。
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「──十中八九、その二人連れってのは好色の魔女とアルフレートだろうな」
ヴィタリーの推測にエリシュカは頷く。その顔には令嬢らしくない青筋が立っていた。
アルフレートが言葉を発さないのは声で正体が露見するのを恐れているからだろうが、それを良いことにリュミドラが兄を下男だと呼ばわるのは甚だ業腹だった。
「それにしても、何故聖堂だったのかしら? 村には集会所もあるはずよね?」
「はい。ですが、集会所は兵に会話内容が漏洩する恐れがありますから。それに聖職者ならば例え貴族の不興を買うことになったとしても、被害者をおさおさ無下に扱わないだろうという計算もあったのでしょう」
なるほど、とエリシュカは苦笑する。
貴族を恐れて怪我人を見捨てるのは後味が悪いが、自分たちだけで責任は取りたくない。なので、貴族と同等程度の権力を持つ教会を巻き込んで責任の所在を分散させようと試みた──そういうことだろう。
権力の威光を借りようとする輩はどこにでもいるし、権力に付随した責任や外聞をちらつかせて提案を断らせないという手法は、往々にしてあるものだ。
「私はちょうどその時間、他の修道女と共に聖堂を掃除しておりました。まだ村人たちの利用時間ではなかったので、注意して追い出そうと思いましたが……雰囲気が異様だったのでそのまま様子をうかがうことにしたのです」
「異様というのは?」
「お二人が聖堂に入った途端、ものすごく具合が悪そうになさっていて……」
彼らが本当にリュミドラとアルフレートだったならば、それは大いにあり得ることだ。
吸血鬼であるならば、聖域に足を踏み入れること自体が苦痛であろう。しかも、これが早朝の出来事ならば、彼らの身体能力は既に人間と同等程度に落ちているはずだ。
その後、娘を攫われた家族が呼ばれた。農夫が事情を説明した後、改めてリュミドラは少女たちの扱いについて遺族に語った。
「あの女性は懐から何かを取り出しました。それを見せた途端、遺族が泣き崩れて……もしかしたら遺品か何かだったのかもしれません」
ヴィタリーが、ひび割れたように口を歪めた。居住まい自体はまだ鷹揚さを保っていたが、その顔色は肩の痛みも相俟って酷く悪い。
「……被害者の遺品を持った女が、自分も被害者だと名乗り、挙げ句にお嬢様を犯人だと──吸血鬼だと告発する? 馬鹿な、出来過ぎだ」
「……そうね。でも、ご家族の遺品を見せられて落ち着いていられる遺族なんていないでしょう。私を犯人に仕立て上げるのに、これ以上の手はないと思うわ」
エリシュカは酷く憔悴していたが、領民が誣告に騙されただけだと知って少しだけ持ち直していた。
「それで……殺された娘たちの仇を取るために、村人たちが私を殺しに来るのね? 大方、これ以上若い娘を犠牲にしてはならないとでも言って、彼らの義侠心を煽ったのでしょうけど」
「女の訴え通りお嬢様が吸血鬼ならば、平民が貴族を殺害したとしても罪には問われない。それならばいっそ……と思い詰める輩が出て来てもおかしくはない」




