第四十一話 神の“御使い”、降臨す
「ですが、お嬢様は吸血鬼ではありません!」
「そんなことは分かってる!」
ネリーの悲鳴を聞いたヴィタリーは、どうにもならない事態の憤懣をぶつけるように吐き捨てる。
「……悪い。……だが、我々が事実を訴えたところで彼らが聞き入れてくれるだろうか? 遺品や女の傷付けられた顔を見せられて、冷静な判断を下せるか?」
ネリーは反論出来ず、悔しげにエリシュカの体を抱き寄せる。守りますから、と呪詛のように何度も繰り返すのが痛々しかった。
それまで黙っていたオクタヴィアンが、白い眉を情けないほどに下げる。
「──カタルジュ辺境伯家は断絶したとは言えど、陛下の正式なご裁可はまだ無い状態ですから、お嬢様の身分は現時点では貴族のままでございます。そして、吸血鬼でもない」
従って、とオクタヴィアンは更に言葉を継ぐ。
「彼らがお嬢様の弑逆に加担した場合、成否を問わずそのほとんどが極刑に処されるでしょうな。そうなれば村は立ち行かなくなり──貧困や犯罪、上流階級への反感が病のように広がり、蔓延るかもしれません。これは由々しき事態でございます」
オクタヴィアンの言葉にしんと客間が静まり返る。
いくら唆されたとはいえ、貴族に弓引くと決めたのは彼ら自身だ。浅慮は量刑を斟酌するに足る理由にはならない。
しかしながら、真に邪悪なのはやはり悪意をもって領民たちを罪へと押し出したリュミドラである。
元よりリュミドラは目的遂行のためには手段を選ばない女だ。多数の命を使い潰すことに良心の呵責など覚えるはずもない。
「よほど顔に傷を付けられたのが堪えたのかしら。私を傷付けるためだけに、私に関わるもの全てを破壊し尽くすつもりなのね。……魔女の名に相応しい悪辣さだわ」
エリシュカはそっとネリーの庇護を抜け出し、窓辺へと近付く。
木立から差し込む日差しが芝生をきらきらと輝かせ、色とりどりの花がうたた寝するように風にそよいでいた。
昨日と変わり映えのない安穏とした景色だ。これが、数時間後には踏み躙られてしまうのだと思うと胸が痛んだ。
「ベアトリス……危険を犯してここまで来てくれてありがとう。一つだけ聞いてもいい? あなたはどうして私のことを信じて、反乱のことを教えてくれたの?」
エリシュカは振り返らずにベアトリスに問う。
「お嬢様は傷付いたヴィタリー様を救おうと尽力されていましたから。もしもお嬢様が本当に吸血鬼だったならば、これ幸い彼をお見捨てになっていたはずです」
エリシュカは安堵したように瞑目し、無意識に詰めていた息を吐く。
傷付きつつも、任務に戻ろうとしたヴィタリーの姿を見たエリシュカが彼を信じると決めたように、ベアトリスもまたエリシュカの献身を具さに眼差していたのだ。
誰かのために行った行動だけが、本人はもちろん周囲の心さえも動かす。他者を慮ることを知らないリュミドラには出来ないことである。
「……ありがとう、ベアトリス」
いえ、と弱々しい返答をし、ベアトリスは恥じ入るように俯いた。
「……駐屯兵に通報することも考えましたが、それでは村人たちが兵士に殺されてしまいます。出来る限り犠牲を少なくするために、まずはエリシュカ様たちをお城から逃がすべきだと判断しました」
それは、村人たちの命を救うためにエリシュカに家を、住み慣れた土地を捨てろと言っているのに等しい。
しかし、エリシュカは全て納得したように微笑むばかりだ。
「俺も修道女の意見に賛成だ。今すぐにでも城を出て、首都へ向かえ。そして協会へ逃げ込むんだ」
ヴィタリーは足元の旅行鞄から一振りの短剣を取り出し、ネリーに差し出す。
それはエリシュカが兄から譲り受けたものより一回り大きく、ずっしりと手に重そうだった。
「これはお嬢様に預けておく。協会に着いたら誰でもいい、渡しておいてくれ。俺は出来るだけ全員が退避する時間を稼いでから脱出を──」
「待って! ……まさか私たちを逃がして死ぬつもりじゃないでしょうね? だめよ、そんなの!」
ヴィタリーの姿が、アルフレートの最期の優しさと重なり、エリシュカは思わずヴィタリーに詰め寄った。
だが、ヴィタリーはエリシュカの不安を豪快に笑い飛ばした。そして、旅行鞄からアルフレートが所有していたものよりも一回り大きな回転式拳銃を取り出し、器用にくるくると回転させて見せたのである。
「そんなわけあるか。俺の得物はこっちなのさ。もちろん、出来るだけ使わずに鎮静化させるつもりだ。望みは薄いが、吸血鬼狩りがお嬢様の味方だと知れば、暴走を止められるかもしれん」
ヴィタリーはエリシュカに短剣を押し付け、ネリーにエリシュカと共に逃げるように指示する。
ネリーは頷き、エリシュカの手を取ろうとしたが、エリシュカはその手を跳ね除ける。ばちんと乾いた音が客間に響き、全員が驚いてエリシュカを見つめた。
「──無礼者。気安く私に触れるな」
ネリーはややあって主の不興を買ったことを自覚したのか、慌てて一歩下がり頭を垂れる。
だが、エリシュカは自身の侍女を睥睨し、短剣を抜いた。
「お、おい……!」
ヴィタリーがネリーを案じてその前に立ちはだかるが、意外にもエリシュカは剣の状態を検分するために抜き身を見つめるばかりである。
「なるほど……良く鍛造された好い刃じゃねェか。ニイサマが寄越した粗悪品とは比較にならねェ。……貴族相手には粗悪品を高値で売り付けて、金儲けってところか? 全く嘆かわしい」
これには、オクタヴィアンとベアトリスが慄然とする。
銀を使った武器の製造は教会傘下の鍛冶屋のみに許可されており、製造した品を誰にどの程度の値段で販売するのかを決めるのは教会である。
粗悪な武器の鍛造を指示し、貴族に売り払ったと教会の拝金主義を臆面もなく批判すれば、彼らは糾弾者に対して銀製の武器の供給を即時停止するだろう。
それは、吸血鬼という危険に晒されるこの国では自殺行為だ。処世に疎い令嬢が多いといえどその短慮は致命的で、到底許されるものではない。
「あの夜もこれが手元にあれば、決着はもっと早く着いたはずだったのになァ。……まぁ、いい。これで今度こそあの女を仕留められそうだ」
くつくつと陰惨な笑みを浮かべるエリシュカの足元に、ヴィタリーは銃を床に置き片膝を付いて跪く。貴族令嬢であるエリシュカ相手にも見せなかった最上級の敬礼である。
「崇高なる神の“御使い”とお見受け致します。“使徒”を通じ不浄の下界に顕現なされましたお慈悲に、心より感謝申し上げます」




