第二十六話 善悪の奈辺
「……ところで、何故その保護した男性が吸血鬼狩りだとお分かりに?」
「彼の荷物に聖水や杭、聖典があったのと──首に銀で出来た認識票を下げていらっしゃったので」
「認識票──重篤な状態に陥ったり、亡くなられた兵士の情報……身元を明らかにするためのものですよね?」
軍事貴族の家に生まれた以上、エリシュカも認識票の存在については知っている。
エリシュカが答えると修道院長は静かに頷いた。
「よくご存知で。認識票によれば彼のお名前はヴィタリー・ルプ。レダ=ジェネロス──つまり首都の協会に所属している吸血鬼狩りのようです」
「首都の……?」
エリシュカは意外な答えに瞬き、首都から来たという吸血鬼狩りの存在を訝しみ始めた。
──やはりおかしい。早すぎる。
首都から街までは鉄道を使っても五時間ほど、更に街から村までは馬を走らせても一時間以上掛かるものだ。
兄が吸血鬼狩りに協力要請の書簡を送ったのは昨日の朝のことで、招聘に応じた首都の吸血鬼狩りが当日の夜に村まで辿り着くなど、到底不可能な芸当である。
──兄様の要請に応じた吸血鬼狩りじゃなかったんだわ。失踪事件とは無関係の吸血鬼を追っていたのかしら。
どちらにしろ、首都の吸血鬼狩りが何の目的もなく辺境の村に来たとは思えない。平和だった村を脅かす存在が、少なくとも一体以上近辺に潜伏していると考えるべきだろう。
村の娘たちの失踪に吸血鬼が関与しているとする説が、いよいよ現実味を帯び始めてきているのを感じ、エリシュカは唇を噛んだ。
「……ヴィタリーさんの怪我の具合は如何ですか? 差し支えなければ、彼からもお話を伺いたいのですが」
院長は言いづらそうに目を伏せ、ゆっくりと頭を振った。
「彼はカタルジュ様とお話できる状態ではありません。今日お持ち頂いた薬で持ち直してくれるとよいのですが」
「そう……ですか。吸血鬼に襲われて命があっただけでも良しとするべきなのでしょうが──残念です」
想像していたよりもヴィタリーの体調が思わしくなく、八方塞がりとなったエリシュカは天井を仰ぐ。
しかし、そこには心の曇天を晴らす青空はなく、息の詰まるような白く低い天井があるばかりだ。
けれども、落ち込むばかりではいられない。アルフレートに有益な情報を持ち帰ることすら出来ないのならば、エリシュカは修道院まで足を運んだ意義の半分を失ってしまう。
ならば自分はこれからどうすべきか、とエリシュカが考え始めた所で、院長が遠慮がちに声を上げた。
「吸血鬼……? いえ、違います。ヴィタリーさんの怪我の治療をした外科医によると、彼の身体にあるのは全て銃火器による傷──銃創であると伺いましたが」
その刹那、中庭にいたであろう鳥が力強い羽ばたきと共に一斉に飛び立った。何かに驚き逃げているのか、鋭く不気味な無数の囀りが青い空に木霊した。
「え……?」
エリシュカは平静を装うことを忘れて、大きく眦を裂く。
銃火器は国内での流通そのものが少ない。携行と使用が許可されているのは兵士や官憲、狩人などごく限られた者だけだ。
吸血鬼狩りもその限られたごく一部の中に含まれてはいるが、日中の市街地では銃を人目に触れさせてはならないなど、様々な制約が設けられていると聞く。
吸血鬼が銃火器を使って人間を襲ったのだとすれば話は別だが、そのような与太話を、エリシュカは寡聞にして知らない。
「人間の仕業だとすれば──例えば、彼は夜間外出禁止令を破って徘徊しているため、不審者と勘違いされて兵士に撃たれた可能性もございますが」
院長の言葉に、それはあり得ないとエリシュカは首を振る。
「そういうことでしたら、兵から報告があるはずですし、家令が事態を把握しているはず。ですが、彼にその様子はありませんでした」
そうですか、と院長は胸の前で祈るように手を組む。
「……彼の仲間の行方もいまだ知れません。心配です」
「仲間……ですか?」
「吸血鬼狩りは必ず集団で行動します。吸血鬼は不死身と言ってもいい化け物です。一人では到底太刀打ち出来ません」
それに、と修道院長は声を抑えながら続ける。
「任務の最中狩人が死亡した場合、その死体が吸血鬼として蘇生してしまう可能性があります。……そうならない様にご遺体に処置を施す者が必要なのです」
処置、という言葉にエリシュカは不覚にも動揺した。不意にオフェリアの死を突き付けられて目の奥が熱くなったが、公務中であることを思い出し、歯を食いしばって嗚咽を堪える。
「では……彼の仲間は既に亡くなっているかもしれない、と?」
「ご遺体すら見つかっていないので断言は控えますが、その可能性は高いかと。しかし、彼の怪我が銃火器によるものである以上、仲間割れやそれに近いことが起こったと考えるしか……」
エリシュカとマチルダは息を呑み、互いに素早く目配せをする。
同じ建物の中に殺人を犯したかもしれない人間がいるという恐怖は、吸血鬼が潜伏しているという恐怖よりも直截的に恐ろしかった。
「……何故その事を黙っていらっしゃったのです? 他人に銃口を向けるような方が此方にいると知っていれば、私どもは安易にお嬢様を送り出したりはいたしませんでした」
マチルダは、エリシュカを庇うようにエリシュカの手を握り、紫紺色の目で院長を睨め付ける。彼女にしては珍しく、言葉の端々から怒りが沸々と湧き出ている。
「隠していたのではありません。先に確証のない推測をお話しして妙な先入観を持たれるよりはよいと判断したまでのことです」
「しかし……!」
「事実、先程貴方は『ヴィタリーさんが危険な人物だと知っていたら安易にカタルジュ様を送り出さなかった』と仰いました。それは、悪人なら薬など届けなかったと──彼を見捨てることも辞さないということですか? 罪を詳らかにせず、彼に公正な裁きを受ける機会すら与えないと?」
「な──! そんなこと、ひとことも──!」
マチルダが思わず腰を浮かせたのをエリシュカがそっと押し留める。
「誤解させるような物言いだったことはお詫びいたします。ですが、彼女はただ私の身を案じているだけです。院長様の仰るような意図はありません」
エリシュカの弁明に、院長はいささか気まずそうに咳払いをした。
「いえ……こちらこそ大変失礼致しました。先ほどは仲間割れと申しましたが、力の強い吸血鬼の中には人を意のままに操ったり、誘惑する──【魔眼】と呼ばれる呪術を使うものもおります。どうか、彼の善悪のご判断は現段階ではお控えくださいまし」
その言葉をエリシュカが咀嚼する間もなく、応接室の扉が乱暴に開いた。先触れも無く、倒れ込むように部屋に入ってきたのは、エリシュカたちの案内を買って出たベアトリスだった。
「院長様、大変です!」
「何事です? お客さまがいらっしゃることは分かっているでしょうに!」
「も、申し訳ございません!」
ですが、とベアトリスは切羽詰まった様子で何故かエリシュカ達を見る。
「今し方、ヴィタリーさんが目を覚ましました。しかし、ひどく錯乱した様子で──!」
「なんですって……?!」
院長の顔からさっと血の気が引いた。
「今、他の修道女と馭者が、必死で取り押さえている状態です!」




