第百五話 伝えられなかった言祝ぎ
一方、エドワードが凶弾に斃れた現場では、今まさに怒号の応酬が繰り広げられていた。
官憲達は上司が撃たれたことで士気を落とした者が半数、彼らは壁際や遺体に寄り集まり、泣き言を繰り返している。
しかし、エリシュカにとって厄介なのは残りの半数である。彼らは警部補を殺害された怒りを発露し、寧ろ使命感を滾らさせていた。そして、その怒りを寄って集ってエリシュカにぶつけ始めたのである。
「だから! 被害者の身柄は官憲局で引き受けると言っているだろうが!」
「何で吸血鬼狩りの協会なんぞに借りを作らにゃならんのだ! 官憲局には提携している病院もある! それなのに何故わざわざ協会の医師に診せる必要がある?! 一体何が不満なんだ?!」
──そういうところよ。
エリシュカは未だに覚醒しないフィリカを背後に庇いながら、心の中でこっそりと毒づく。
エリシュカは協会の医師に診察させると主張したが、彼らの反発は凄まじかった。しかも、吸血鬼狩りを見下す発言が酷く鼻に付く。
「ですから、彼女が妊婦連続殺人事件の被害者で唯一の生き残りなんです。吸血鬼の被害を拡大しないためにも、まずは協会治療を受けてもらいながら聴取を──」
ふざけるな、と官憲は唾を撒き散らした。
「被害者は犯人の面を目撃している可能性が高い! 聴取はまずはこっちだ! 確かに今までの被害者は全員胎児が吸血鬼化していた! だが、今の時点で被害者達に吸血鬼の関与していた証拠は何もないだろうが!」
エリシュカはその剣幕に眉を寄せながらも、ずいと一歩足を踏み出す。
「吸血鬼の関与はありました。吸血鬼狩りは官憲の放った銃弾の軌道が有り得ない軌道で曲がったのを目撃しています」
なに、と官憲は一瞬たじろぐ。
エドワード殺害の現行犯で拘束された若い官憲は発砲した事実は認めたものの、銃弾が警部補に当たるはずがないと最後まで申し開きをしていた。
釈明を聞かずに官憲局へと身柄を送ったのは、仲間であるはずの彼らである。
「……は! これだから女は!」
「……何ですって?」
「嬢ちゃん、そんなに証人を押さえておきたいのかい。口はよく回るようだが、想像で物を言ってまるで現実味が無ぇ」
官憲の侮る視線がエリシュカに突き刺さる。彼は勝ち誇ったように顎をしゃくった。
「そもそも、女ごときに弾丸の軌道なんて見えるわけがねぇだろうが」
女は官憲にはなれない。体力も力も男に劣るとされているからだ。だが、吸血鬼狩りは本人の素養とやる気次第では志すことが出来た。
吸血鬼の特性や弱点を利用すれば、動けない吸血鬼を一方的に討伐することも不可能ではなかったからだ。
それ故、吸血鬼狩りは官憲に、度々死体蹴りの臆病者と揶揄されることをエリシュカは知っている。
だが、エリシュカはふん、と小さく花を鳴らした。出来ますよ、と腕を組んで大見得を切る。
「それくらい見切れなくて、怪物を相手に戦えると思っていて?」
命を賭けて戦い、そして散っていった先達のためにも、吸血鬼討伐を児戯と侮られてはならない。
エリシュカは強く官憲を睨み据えた。
「仲間の言い訳を聞かず、大した現場の検証もせずに乱心の末の殺害と判断したようですが、正気ですか? 必要なら、可哀想なお仲間の立ち位置と発砲した方向、警部補さんの立ち位置……諸々証言致しましょうか? それらをお得意の論理的思考とやらで判断すれば、すぐに弾道がおかしいと分かると思いますけど」
次いで、エリシュカは未だに昏倒したままのフィリカを振り返る。
「大体、男性の貴方がたが女性の被害者に何を、何処まで聞くつもりです? まさか根掘り葉掘り事情を聞き出して、彼女を責め立てるつもりですか? 何故妊婦がわざわざ夜の貧民窟をうろついていたんだ。子どもを堕ろすつもりだったのか。って?」
「そうだよ、文句あるか! こっちはな、事件解決のために全てを明らかにするっていう使命があるんだ!」
男はエリシュカを威嚇するようにいちいち大声を出し、厳つい顔を寄せて来る。エリシュカは嫌悪に耐えかねて、つい一歩下がった。
「そう厳つい顔で迫られたら、普通女性は怯えて何も言えません。貴方は女性の心を開いた上で話を聞きたいの? それとも閉ざしたいの?」
官憲はエリシュカに腕を振り上げるが、それを見た若い官憲が二人がかりで止めに入った。
「やめてください! 流石に暴力はまずいですって! 相手は吸血鬼狩りとはいえ、女性ですよ?!」
「止めるな! この無礼な女を一発……いや十発は殴らせろ! 半殺しにしてやる!」
官憲が腕を拘束する若者を跳ね除ける。振り払われた若者は壁際まで吹き飛ばされた。
エリシュカは静かに、気取られぬように構える。大きく事を構えるつもりはなかったが、黙って殴られるつもりもない。
その上で、どうにかしてこの場を鎮めるためには、攻撃を食らわず相手の根気が尽きるまで避け続けるしかない。
「何が女だ! 普通の女はな、男の言う事に楯突いたりしねぇんだよ! 俺は吸血鬼の様に甘くはねぇぞ!」
また一人、官憲の暴走を止める者が加勢する。
「落ち着いてください! もし彼女が本当に一線級の狩人なら、人間の俺達に勝ち目なんてないんですよ……!」
その時だった。外で見張りとして立っていた官憲が突如として悲壮な叫び声を上げた。
「ガ、ガブリエラさん?! どうしてここに?!」
何事か、と官憲たちばかりではなくエリシュカも入り口へと視線を向ける。
「夫が……夫が亡くなったと連絡を受けました。……私、……私、居てもたってもいられず……報せて頂いた方にご無理を言って、こちらに……」
「ガビーさん、そんな……申し訳ありませんが、此処にはいくら貴女でもお通しする訳にはいかないんですよ……」
その悲壮な声に全員が冷水を浴びせられたかのようにその場に立ち尽くした。
エリシュカだけは沈痛な雰囲気が理解出来ずに、眉を寄せる。
「ガブリエラさんって……どなたですか?」
官憲はエリシュカを睨むが、先程までの好戦的な光はすっかり鳴りを潜めていた。
「警部補の奥方だ」
「……え?」
エリシュカは官憲の言葉が理解出来ずに、ただ慄いたように唇を震わせた。
エドワードに再会した時、彼はそんな事をひと言も言っていなかった。
──何故……どうして?
「警部補、新婚だったってのにな。何だってこんなことになっちまったんだろう」
「……やりきれねぇ。たった二ヶ月の新婚生活なんて、あんまりだ」
エドワードは随分と慕われていたのだろう。部下達の心底悔しげに吐き捨てる言葉は、夜更けの海のように悲哀の色が黒く混じり、濁っている。
「……噂じゃ、喪に服していたせいで式を挙げるのが遅くなったらしいぜ。……不幸ってのは重なるもんだなぁ」
その言葉は残虐な鉄爪となってエリシュカの胸を深く抉った。胸から血が流れないのが不思議なほどの痛みに目眩がする。呼吸もままならぬ激痛は刹那の暴虐で終わらず、じくじくと膿んだように痛む。
アルフレートは未来の妻を亡くし、自身も吸血鬼化という不幸に見舞われ、既に故人として扱われて久しい。
エドワードはそんな彼らの喪に服し、自らの婚期を遅らせたのか。
慶事を遺族であるエリシュカに秘めていたのは、配慮だとでも言うつもりなのか。エリシュカはそのような優しさを求めてはいなかったのに。
──おめでとうって、言わせてもらえなかった。
今更彼の身の上に起こった慶事を知った所で、何もかもが既に遅い。皆に愛された尊い命は、今夜こんなにも悲しい場所で失われてしまったのだ。
だが、エリシュカは泣かなかった。今の自分にエドワードの死を泣く資格はない。
ただ、その優しさに何も返せなかったことが、何よりも心残りだった。




