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#56「証明が為の戦い・捌」

 時は遡る。怒りが夢に沈んだ、あの日まで――



 ――――身体が浮いている。一切光が届かない程まで、身体が海の底へ落ちていく。不思議にも身体は無意識に、かつ安らかに体重を預ける。


「……」


 今――芹澤桐生(せりざわきりゅう)は夢に沈む。



 冷たい。全身が冷たい。頭に上っていた血も熱も、次第に冷めていく。だがこの深海はあくまで夢の具現に過ぎない。故に、深海(ここ)が桐生を眠らせたパジャマ先生の禁忌魔法なのだから。


『僕には……気持ちだけで君を殴るなんて、出来ないよ』


 ふと、脳裏に蘇る。異種族であることを人の身に隠し、陽翔学園に現れた裏切り者口から放たれた、無駄な優しさ。争いを嫌い、仮に自身が標的になったとしても、の決して牙を出す事のない男の本音。


 いつ聞いても、本当に腹が立つ。しかしその怒りも一瞬で冷めてしまう。


(ちっ、まるで感情を抑えられてる感じだぜ)

「惜しいねぇ……ふわぁ。でも、いい線いってたよ~、桐生く~ん……」

(先生っ……! くそっ、どこにいやがる!)

「関心しないなぁ~、先生にそんな口きくなんてぇ~。そこも含めて、『お説教』しなきゃかな~」

(……!)

 

 突如、肌に何かが触れる。視界は暗くて何も見えない。それもそのはず、桐生は眠っているのだから、この禁忌から解放されるまでは、目を開くことなど決してあり得ない。


「私の禁忌魔法……『夢幻時極(アンチエンドリーム)』は、あらゆるものを眠らせ、個々に応じた世界(ゆめ)(いざな)う。今回は君のオーバーヒート寸前の頭を冷やしてもらうために、深海の夢へご招待したんだよ~」

(余計なお世話っすよ)

「自分で感情をコントロールできない人が強がらないの~」

(ぐっ……手足がっ、縛られたっ……!?)


 四肢が何かに縛られる感覚がした。これもまた、冷たい。海の鎖だ。まるで監禁でもさせられてるかのようだ。


「怒る気持ちも、分かるよ。異種族に家族を殺されたって、入試の面接のときにも言ってくれた……誰よりも異種族を憎んでいる桐生君だから、余計にね。


 でもね、だからこそ考えてごらん。憎むべき者と、そうでない者を。本当に美尊君を憎み、殺すべき者なのかを」

(んなのっ……決まってますよ。俺がこの手で殺す。異種族は全員俺がぶっ殺すって

な!!)

「……そうですか。なら――」



 ――――――これを貴方は、殺せますか?


(……!!)


 海中で渦が生まれ、先生の身を包んでは、取り込まれる。水の鎖からも解放され、四肢の束縛が解かれる。急速に水が消える。即ち、禁忌が解かれる。


「――!!」


そこに視えたのは背景を剥奪された、画用紙のように白い空。そして正面に姿を現す、見たことの無い先生の姿。水で作られた羽根と衣服、そして彼女の周囲に浮く無数の水玉。


「皆には隠してましたけど……やむなしです。私も、水精族(ウンディーネ)と呼ばれる異種族なのですよ。今の皆さんが思う美尊君と同じように、人の皮を被っているのですよ。それでも君は私も異種族と一括りにして殺しますか?」

「なっ……」


 突然身体と感情の自由が利くようになったと思えば、先生が異種族であることの驚きで身体も思考も止まる。


「嘘……だろ……先生が、異種族っ……!?」

「そもそもこの陽翔学園には、教師生徒共に異種族を受け入れないだなんてルールはありません。無論、私以外にも異種族として学校生活を送る者も少なくありません。


 この世界は元より、人間と異種族が共存して成り立っているのです。異種族にもちゃんと善も悪もあるのですよ、人間と同じように。それをまとめて悪として片付けてはいけません。逆も然りです。


 桐生君、その区別をしっかりつけてください。その上で憎むべき者から守るべきものを守り抜いてください。それが出来ない者に、英雄を名乗る資格はありませんよ」

「――!!」


 信じられなかった。この目に見える何もかもを否定したかった。拒絶したかった。でも出来なかった。これが芹澤桐生(せりざわきりゅう)に打ち付けられた真実だった。


 それが悔しかったのか、せめてもの足掻きなのか、桐生は走り出しては先生の胸倉を掴む。


「出来るかよっ……んな区別つけれるわけねぇよ!

 こっちは家族をっ……親父も母さんも、兄貴も妹も生まれたばかりだった弟も失ってんだぞ! 何もかもを奪われたんだぞ! 俺から全部奪った奴共にっ……善悪の区別つけろだ? ふざけんなっ!!


 異種族は異種族だろうが! 善も悪も存在しねぇっ!! あいつらは無作為に人を殺して、愉悦に浸りながら侵略する害虫だ!! もうこれ以上俺みてぇな思いする奴を出さねぇために……俺が全員ぶっ潰して終わらせ――――」

「『水閃(スピリス)』」

「がっ……!!」


 怒り叫ぶ桐生の額に、先生が右手の人差し指の先から水滴を弾いて当てる。弾かれた水滴は瞬時に桐生の額に凍てつく。衝撃で桐生は後ろに吹き飛ばされては転がっていく。


「……逃げるなと言った本人が逃げてどうするのですか! この卑怯者!!」

「――っ!」

「桐生君、美尊君に言いましたよね。『逃げてないでかかってこいと。口だけで実行しないなど、それこそ人じゃねぇって言ってるようなものだ』と。その理屈だと、今の君が、一番人じゃありませんよ。


 ほら、今にも私を前にしても殺そうとしないじゃないですか。私、異種族なのに。君の憎む異種族ですよ?」

「っ……!!」

「現実を受け入れなさい! 感情に逃げてないで、守るべきものを冷静に判断しなさい! そうやって感情に転がされて周りが見えなくなるところ、桐生君の悪いところですよ」

「……」


 ぐうの音も出ない。頭も心に籠った熱が逃げていく。やけに額が冷たく感じる。やがて完全に熱が消えた。もうどうでもよくなった。戦う理由だの異種族を恨むだの何だの、全部がどうでもよくなった。


「……そろそろ時間ですね。先生の指摘したところ、しっかり直してくださいね~。先生からの宿題ですよ~。ちゃんとできるまで、進級させてあげませんからね~……ふわぁ」


 パチッ――と視界が消える。と、同時に。


「っ……」


 目が覚める。天井が見える。身体に布団がのしかかる。ピンクの薄いカーテンが左右に覆う。脳が今自分が保健室にいることを理解する。何やら廊下が騒がしい。誰かが戦っているのだろうか。


「……はぁ」


 引っ掻くようにカーテンを右手で勢いよく開け、ドアの方へ向かう。そのままドアノブに手をかけようとした刹那――


「僕っ、はっ……誓ったんだっ……今と向き合うって……自分で蒔いた種から、逃げないって……! 


 たとえ、ここで終わったとしてもっ……どんなに、ボロボロでもっ……最後まで、どんな不条理な現実からもっ、正々堂々……立ち向かうって……!」

「――!」


 覚悟の声が、ドア越しに響いた。美尊の声だ。


「これがっ……僕の覚悟(アンサー)だよ、豪喜君」


 戦いに向いてない程に優しく、でも強い決意が桐生の心を動かそうとしていた。


(美尊、お前は俺に殴られたあの日から、スパイだって呼ばれて、非難され続けてきた現実に打ちのめされながらも、逃げずにここまで来たってのかよ。

 人間であることを証明するために。俺達と同じ陽翔学園の仲間として、今を生きる人々を守るために……学園の皆に剣向けて戦ってるってのかよ)

「何だよ……俺の方が、弱ぇじゃねぇかよ……(ここ)が何より、貧弱じゃねぇかよ……!」


 悔しかった。復讐で正義を語っていた自分が恥ずかしく思えた。どんな絶望を前にしても進み続ける美尊の声に宿る覚悟に、羨ましさを覚えた。また現実を突きつけられた。


「くそっ、くそっ……くそぉおおおおおお!!!!」


 感情が爆発した。声となって爆風が保健室に響き渡る。しかし何も吹き飛ばされない。窓ガラスも割れない。所詮声だ。そんなこと起こる筈も無い。代わりに大粒の涙が、桐生の頬を伝い、煌めいた。



 数日後、桐生は再び保健室で目覚める。上体を起こし、一つ深呼吸を置く。


「……よしっ」


 ベッドから出ては保健室内の引き出しを漁る。そこから包帯を取り出しては両手にきつく巻き付ける。外れないようにきっちり結び、指を動かす。


「あいつが逃げずに立ち向かってんだ。いつまでも俺が背けてちゃ、先生に怒られちまうからな」


 今度はしっかりとドアノブを掴み、勢いよく開ける。開けるまでに、一切の迷いは無かった。


「もう一度、美尊(あいつ)と戦う。俺の冷めきった心に火をつけるために。俺の戦う理由を、見つけるために。今は美尊(あいつ)の覚悟を知りてぇ。その重さを、強さを知りてぇ。いつか俺も同じくらいの覚悟(もの)を、背負えるように」


 そして桐生は歩き出す。復讐を夢に捨て、生まれ変わった姿となって。一度は非難した男の強さを、直接身体に叩き込むために。


「死ぬんじゃねぇぞ……美尊ぉおおお!!!」

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