中世から来た魔女は、ひとりじゃない。――5
夕日が差す頃。
マンションに帰ってきた俺は、喫茶店で買ったケーキの箱を片手に、ルンルン気分で廊下を歩いていた。
エリーにスイーツを振る舞うのははじめてだ。
スイーツを食べて、エリーはどんな顔をするだろうか? 女性は甘いものに目がないそうだし、エリーも喜んでくれるだろうか? あの、輝かんばかりの笑顔を見せてくれるだろうか?
想像するだけでウキウキして、頬が緩む。
もはやエリーの笑顔は、俺の生きる糧になっていた。
三〇八号室――自分の部屋にたどり着き、ドアを開ける。
「ただいまー」
返事はなかった。ただ、静寂のみが漂っている。
俺は首を傾げ、靴を脱いで部屋に上がった。
リビングダイニングには明かりがついていた。
キッチンに目を向けると、IHクッキングヒーターにフライパンが載っている。
蓋を開けると、冷たくなった肉じゃががあった。エリーが作ってくれたのだろう。
しかし、エリーの姿はない。
「……エリー?」
俺の自室にいるのかと思いドアを開けてみるが、やはりエリーはいなかった。
胸騒ぎがする。
俺は仕事部屋に向かった。
いない。
脱衣所に向かった。
いない。
バルコニーに向かった。
いない。
いない。エリーがどこにもいない。
胸のざわつきが大きくなる。冷や汗が頬を伝う。
外出している可能性はある。だが、律儀で健気なエリーが、留守番を放って勝手に出かけるだろうか?
胸はざわつくばかり。そして、このざわつきには覚えがあった。
エリーを警察に預けると決めたとき。エリーの側を離れたときのざわつきだ。
堪らず、俺は玄関へと走り、ケーキの箱を放り捨て、かかとを潰すように靴を履き、鍵もかけずに家を飛び出した。
ケーキの箱がフローリングに落ち、ぐしゃりと音を立てた。
○ ○ ○
養一の家を出たわたしは、賑わう街を歩いていた。
夕暮れに染まる街を、様々なひとが行き交っている。
スマホで話をしているひと。
友達同士と思われる三人組。
イヤホンという道具で音楽を聴いているひと。
いろいろなひとがいるが、見慣れないこの街で生きていることだけは同じだ。
このひとたちは、現代日本を生きている。
ただひとり、中世ヨーロッパから迷い込んだわたしだけが違う。
わたしは現代日本では生きられない。生きる術がない。このままでは、きっと野垂れ死にしてしまう。
ここではわたしはひとりだ。養一や悠莉と出会う前と同じ、ひとりぼっちになってしまった。
先ほどから心臓がうるさい。体は震えっぱなしで、視界は涙で歪んでいる。
「……養一……悠莉」
耐えがたいほどの孤独と恐怖に襲われて、わたしはふたりの名前を呼んだ。
養一に助けてほしくて、ポケットからスマホを取り出す。
スマホには、LINEの通知が来ていた。きっと養一からのものだ。わたしを心配するものだ。
わたしはスマホをタップしたい衝動に見舞われ、震える指を伸ばし――それでもその指を止めた。
ダメ。絶対にダメ。これ以上、養一に迷惑をかけられない。養一の生活を脅かしてはいけない。
いますぐ帰って養一とご飯を食べたい。悠莉と一緒にお風呂に入りたい。
それでも、いけないのだ。
助けてほしい。助けられてはいけない。
養一の側にいたい。側にいてはいけない。
わたしはもう、養一と一緒にはいられない。
悲しみと切なさが津波のように襲ってくる。
「養一ぃ……」
嗚咽が漏れた。ついに涙がこぼれ落ちる。
そのとき、前から来たひとと肩がぶつかって、わたしはスマホを落としてしまった。
地面にぶつかり、スマホの画面が砕ける。
まるで、わたしと養一たちとの繋がりが、砕けてしまったかのようだった。
「あ……ああぁ……っ」
わたしは震える手をスマホに伸ばす。
だが、スマホに手が届く寸前、風邪で倒れた養一の姿が蘇った。
ゾッとした。
血の気が引く。カチカチと歯が鳴る。呼吸が荒くなる。
わたしがいたら、また養一が倒れてしまうかもしれない。
考えた瞬間、スマホをそのままにして、わたしは走り出した。
視界も、頭のなかも、胸の奥も、グチャグチャだ。
「養一……養一ぃ……っ」
ただひたすらに養一の名を呼びながら、わたしは走り続けた。なにかから逃げ続けた。
○ ○ ○
GPS機能を頼りにして、俺は最寄り駅付近の繁華街で、液晶画面が砕けた、エリーのスマホを見つけた。
しかし、周りを見渡してもエリーはいない。
焦燥感が強まる。鼓動が荒ぶる。
エリーになにが起きたのかはわからないが、ただひとつ、現状が緊急事態であることだけはわかった。
俺はスマホを取り出して、できる限りの速さでフリック入力。グループチャットにメッセージを送る。
『養一:エリーがいなくなった! 悪いけど探す手助けをしてほしい!』
返事を待たずにスマホをしまい、俺は再び駆けだした。
「エリー……っ!」
エリーの無事だけを祈りながら。




