中世から来た魔女は、決意する。――3
異変を感じたのは、仕事部屋から自室に戻り、三〇分の仮眠をとったあと、目覚めた直後のことだった。
「……しんどい」
体が火照り、異様に怠い。喉はヒリヒリした痛みを訴え、頭がぼーっとする。
睡眠不足と疲労のコンボで、風邪を引いてしまったらしい。
「こんなときに風邪なんて……」
愚痴りつつ掛け布団をめくる。
上体を起こすだけでも一苦労。筋肉痛まで併発しており、とにかく動くのがおっくうだ。
それでも俺は立ち上がり、ふらつく脚でなんとか踏ん張る。
エリーを育てると決めた以上、泣き言は許されない。俺が面倒を見ないと、エリーは当惑してしまうのだから。
「あとで悠莉に助けを求めるか」
悠莉にも予定はあるだろうし、体調管理を怠ったのは俺のほうだから、協力を願うのは忍びない。
だが、悠莉の場合、黙っていたほうが責められるだろう。「なにひとりで無茶してるんですか!? 先輩はバカですか!?」と噛みついてくる悠莉が目に浮かぶ。
もちろん、お返しはするつもりだ。あいつの好きな焼き肉でも奢らせてもらおう。悠莉は結構な大食いだから、懐が寒くならないか心配だが。
とにもかくにも朝食の支度が先決だ。
ケホッ、とひとつ咳き込んで、俺はキッチンに向かう。
「……んぅ」
ドアノブに手をかけたところ、背後からエリーの小さな声がした。
振り返ると、上体を起こしたエリーが、目をくしくしとこすって、「はふ……」と可愛らしいあくびをしている。
エリーは俺の姿を目にして、頬をふにゃんと蕩けさせた。
「……おはよう、養一」
寝起き特有のぽわぽわした雰囲気と、親愛が込められた笑みが愛くるしい。
しかし、俺が覚えたのは危機感だった。
マズいな……エリーは俺に迷惑をかけていないか気にしていた。もし風邪を引いていることがバレたら、エリーはきっと自分を責める。
それだけは嫌だった。せっかくエリーが笑えるようになったのに、その顔を曇らせるのは耐えがたかった。
「おはよう、エリー! いい朝だな!」
だから俺は、ヒリつく喉に鞭を打ち、わざと明るく振る舞った。
しかし、エリーは気遣わしげに眉根を寄せる。
「養一、声、掠れてない?」
「そ、そんなことないぞ?」
「顔も赤いよ? もしかして、体調崩しちゃったの?」
エリーの顔がつらそうに歪む。自責と後悔と不安が混じった表情が、俺の胸を締め付けた。
「大丈夫だ! なんの問題もない! いまから朝ご飯の準備をするから、着替えたらリビングダイニングにおいで」
悲痛そうなエリーの顔を見ていられず、部屋をあとにしようと踵を返す。
だが、俺の体調は想像以上に悪かったらしい。脚をもつれさせて、俺はフローリングに転倒してしまった。
「養一!?」
エリーの悲鳴が聞こえる。
打ち付けた右半身が痛み、意識が朦朧とする。フローリングの冷たさだけが、火照った体に心地よかった。
「養一! しっかりして、養一!!」
エリーが駆け寄ってきて、俺の顔をのぞき込んだ。
サファイアの瞳が涙で潤み、天使の美貌はクシャクシャになっている。
心配するな、エリー。これくらいなんともない。
そう言って安心させようと思ったが、喉から出るのは弱々しい呼気だけだ。
もはや体を動かすこともままならない。本能的に休息を求めているのか、まぶたが重くなっていく。
頭と視界に靄がかかり、音が薄れ、遠のいていく。
「養一!! お願い、返事して!!」
そんななか、エリーの泣き顔と、俺を呼ぶ声が届いた。
エリーの涙を拭いたい。それなのに指一本動かせない。
エリーに大丈夫だと伝えたい。それなのに一言も声が出ない。
頬に温かい滴を感じた。おそらくエリーの涙だろう。
泣かないでくれ、エリー。きみが泣いていると俺もつらい。エリーに似合うのは笑顔なんだ。俺が笑顔にしなくちゃならないんだ。
だから動いてくれ、俺の体。エリーを慰めさせてくれ。
俺の願いは叶わなかった。
まぶたが完全に落ち、俺は意識を手放した。




