第4話:ちゃんと「忍耐」しましたよ
タイガの町の周辺にゴブリンのような魔物が巣を作ることはまずない。痕跡を探すなら、人里離れた山間部まで、少し時間をかけて回り込む必要がある。
「先輩、もう一時間以上歩いてますよ? さっきの大イノシシを討伐対象にしちゃダメなんですか?」
後ろからついてきたキムが大きくため息をつき、腰をかがめて腕をぶらぶらさせながら元気なく聞いてくる。
「イノシシ一頭じゃ実力向上の証明としては弱い。それに人間はゴブリンへの敵意が強いから、そっちのほうが証明として効果が高い」
このあたりの木の幹に縄張りを示す爪痕を見つけ、目標が近いと合図すると、キムは一気に元気を取り戻し、羽をぱたぱたさせて俺の隣にふわっと浮かび、にこにこ笑い続けた。
「あの洞窟が巣だな。中は一匹も残すな。全部片付けろ。」
「中に入るんですか?」
そういえば、キムの戦闘力をまだ確認していなかったことに気づく。こういう汚れ仕事を嫌がる可能性だってあった。
「ゴブリンは夜行性だ。囲むなら中に入るしかない」
入口に立つだけで鼻をつく悪臭がする。もしキムが嫌がるなら、パーティーから外されたのは俺の責任だ。部下まで巻き込むわけにはいかない。
「じゃあ任せてください! 全部やっつけます!」
キムは両手を合わせて一歩跳ね、洞窟へ指先を向ける。瞬間、高密度の魔力が集まり、白くまぶしい小さな火球が生まれ、そのまま一直線に飛び込んだ。
直後、耳をつんざく爆音。
「やりすぎだろ!? 中のゴブリンが全部焼け焦げた!」
「一匹も残さないって言いましたよね?」
ウインクしながら、褒めろと言わんばかりの顔。
「普通は耳を切り取って討伐証明にするんだ。骨も残らなきゃ意味がない……」
説明しながら思わず口元が引きつる。事前に言わなかった俺も悪いが、まさかここまでとは。
「そんなぁ……せっかく見つけたのに」
キムはがっくり口を開け、俺が肩をすくめると、その場にへたり込んで嘆いた。
「疲れたなら休んでろ。すぐ戻る」
「え? どこ行くんですか? 置いていかないでください」
「急に元気だな。無理するなよ。休むときは休め」
「了解です! でもまだ平気です。先輩についていきます!」
飛ぶほうが楽らしく、軽やかに羽ばたいて俺の周りを回る姿に疲れは見えない。
「真面目に働くのは大事だが、心身を壊すのはダメだ」
人差し指を立てて諭す。特にうっかりやらかしたときこそ、ちゃんと気持ちを切り替えろ。自分を責め続けるんじゃなく、どう挽回するかに力を注ぐべきだ。
「ふふ、それ先輩の実体験ですか?」
「その通り」
胃穿孔の手術痕なんて、俺にとっては社畜の勲章みたいなもんだ。
◎
地形に沿って十分ほど下ると、小川が見えた。俺とキムは茂みにしゃがみ込み、しばらく待った。
「先輩、もう三十分近いですよ? まだですか?」
「静かに。もうすぐだ」
目を川面に向けたまま、じっと待つ。
五分後、予想どおり大イノシシが茂みを抜けて現れ、空気の匂いを確かめながら慎重に近づく。周囲を確認してから水を飲み始めた。
俺は即座に異次元ポケットからスリングショットを取り出し、小石を拾う。得意の魔法で軌道を補正し、眉間へ一射。
イノシシは頭を撃ち抜かれたことに気づく間もなく絶命した。
「さすが先輩! なんで来るってわかったんですか?」
キムは驚きと喜びが入り混じった声を上げ、先に飛んでいって跳ね回る。
「ジェシ……いや、勇者パーティーの一員だ。腕のいい狩人でな。足跡や習性を教わった。弱点を視る魔法と合わせれば、軌道上を撃つだけで大ダメージになる。今まで使わなかったから、弱いと思われてただけだ」
「まだあの人たちのこと気にしてるんですか?」
「俺たちの目標は、あのパーティーに戻ることなんだからな……」
腰を下ろし、小刀で解体を始める。いくつかの肉塊に分け、タイガの町で売って小遣いにするつもりだ。
「でも俺は表面上の関係しか築かなかった。スパイは対象に感情を持つな。いいな?」
「了解!」
キムはにこにこしながらしゃがみ、皮を剥ぐ様子をのぞき込む。
若い個体で肉質も良さそうだ。病気や寄生も見当たらない。今日いちばんの収穫かもしれない。
血なまぐさい光景に顔をしかめるかと思ったが、キムは興味津々で刃の動きを追っている。普通の箱入り娘とは違う。
「やってみるか?」
仕事とは無関係だが、こういう技術も悪くない。聞くと、目を輝かせてうなずいた。
小刀を渡し、筋膜に沿って切るよう指示する。だが力加減を誤り、毛皮を裂いてしまった。これでは値が大きく下がる。
「わっ、ど、どうしましょう?」
「ゆっくりでいい。引っかかったら少し刃を引け」
位置を整えてやると、キムは真剣な顔で作業を続ける。汚れ仕事を楽しんでいるようにすら見える。
「できました!」
助言どおりに進め、皮剥ぎを終えると、残った半分の毛皮を高く掲げてみせた。
「討伐の名声にはつながらないが、一番うまい部位は取っておこう。今夜の夕食だ。」
「やった! 先輩とキャンドルディナー! それで私は――あっ」
途中で口を押さえたが、笑みは隠せない。首を傾げてじっと見てくる。
「どうした?」
「ちゃんと『忍耐』しましたよ。言わずにいられました。」
そう言うと空中でくるりと回り、小川に飛び込んで水をかけてきた。上司扱いはどこへやら。
……まあいい。少なくとも俺の言葉は覚えているらしい。
子どもみたいにはしゃぐ姿を横目に、俺は黙々と肉を解体し、今日の力仕事を終えた。




